スーパーで買い物を済ませ、エレベーターに乗ろうとしたとき
車いすのご婦人がこちらに向かってきました。
当然、その方が乗り込むまで扉ボタンを開くにして待ちました。
「ありがとうございます」
「いえいえ、私も経験があるのでわかりますから」
「もう10年もこういう生活してるのですっかり慣れてるんですよ
いやになりますねえ」
それを聞いた瞬間、言葉が続きませんでした。
いかにもえらい体験をしたかのような自分のおごりに恥ずかしくて
何も言えなくなってしまったのです。
この方がどうして車いいすの生活を強いられるようになったのか
もちろん聞くことはできないし、想像もできません
ただ、ほんの一時期車いすを利用しただけの自分と、
多分一生涯、車いすの生活を送ることになろう、ご婦人に対して
なんという無神経な言葉をかけてしまったのだろうと
悔やんでも悔やみきれない思いです。
5年前の今頃は本当に自分の脚で立つことができるだろうかと
毎日必死で松葉杖の練習をしていました。
体が思うように動かない不自由さはわかっていたはずです
元気になってそのときの気持ちが薄らいできたのは確かです。
入院中に書いていた日記を読み返して、あの時の気持ちを思い出し
もっと自然に接することの大切さを心に留めましょう
車いすのご婦人がこちらに向かってきました。
当然、その方が乗り込むまで扉ボタンを開くにして待ちました。
「ありがとうございます」
「いえいえ、私も経験があるのでわかりますから」
「もう10年もこういう生活してるのですっかり慣れてるんですよ
いやになりますねえ」
それを聞いた瞬間、言葉が続きませんでした。
いかにもえらい体験をしたかのような自分のおごりに恥ずかしくて
何も言えなくなってしまったのです。
この方がどうして車いいすの生活を強いられるようになったのか
もちろん聞くことはできないし、想像もできません
ただ、ほんの一時期車いすを利用しただけの自分と、
多分一生涯、車いすの生活を送ることになろう、ご婦人に対して
なんという無神経な言葉をかけてしまったのだろうと
悔やんでも悔やみきれない思いです。
5年前の今頃は本当に自分の脚で立つことができるだろうかと
毎日必死で松葉杖の練習をしていました。
体が思うように動かない不自由さはわかっていたはずです
元気になってそのときの気持ちが薄らいできたのは確かです。
入院中に書いていた日記を読み返して、あの時の気持ちを思い出し
もっと自然に接することの大切さを心に留めましょう
