日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(910)「吾輩は(が)猫である。名前は無い。」の「述語論理」と「ピリオド越え」:三上文法批判。

2021-06-02 14:08:49 | 「は」と「が」

―「昨日(令和03年06月01日)の記事」を補足します。―
(01)
1   (1)  ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}    A
 2  (2)  ∃x{タマx&    ∃y(名前yx)}    A
  3 (3)     吾輩a&猫a&~∃y(名前ya)     A
   4(4)     タマa&    ∃y(名前ya)     A
  3 (5)            ~∃y(名前ya)     3&E
   4(6)             ∃y(名前ya)     4&E
  34(7)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     56&I
 23 (8)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     247EE
12  (9)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     138EE
1   (ア) ~∃x{タマx&    ∃y(名前yx)}    29RAA
1   (イ) ∀x~{タマx&    ∃y(名前yx)}    ア量化子の関係
1   (ウ)   ~{タマa&    ∃y(名前ya)     イUE
1   (エ)    ~タマa∨   ~∃y(名前ya)     ウ、ド・モルガンの法則
1   (オ)    ~∃y(名前ya)∨~タマa        エ交換法則
1   (カ)     ∃y(名前ya)→~タマa        オ含意の定義
1  4(キ)              ~タマa        6カMPP
12  (ク)              ~タマa        24キEE
  3 (ケ)     吾輩a&猫a               3&E
123 (コ)     吾輩a&猫a&~タマa          クケ&I
123 (サ)  ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)         コEI
12  (シ)  ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)         13サEE
12  (〃)あるxは(吾輩であって猫であるが、タマではない)。 13サEE
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。然るに、
(ⅱ)∃x{タマx&    ∃y(名前yx)}。従って、
(ⅲ)∃x(吾輩x&猫x&~タマx)。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。然るに、
(ⅱ)あるxは{タマであって、      あるyは、xの名前である}。     従って、
(ⅲ)あるxは{吾輩であって、猫であるが、タマではない}。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)吾輩は猫である。名前は無い。然るに、
(ⅱ)タマには名前がある。    従って、
(ⅲ)吾輩は猫であるが、タマではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}⇔
① あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(05)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。
(三上章、日本語の論理、1963年、40頁)
従って、
(05)により、
(06)
① 私が理事長である。
② 理事長は私である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(06)により、
(07)
① 私が理事長である。
② 私は理事長であり、理事長は私である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(07)により、
(08)
① 吾輩が猫である。
② 吾輩は猫であり、猫は吾輩である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
1  (1) ∀x{吾輩x⇔猫x &~∃y(名前yx)}   A
 2 (2) ∃x{タマx&~吾輩x&∃y(名前yx)}   A
1  (3)    吾輩a⇔猫a &~∃y(名前ya)    1UE
1  (4)    吾輩a⇔猫a               3&E
1  (5)    吾輩a→猫a&猫a→吾輩a        4Df.⇔
1  (6)           猫a→吾輩a        5&E
  7(7)    タマa&~吾輩a&∃y(名前ya)    A
  7(8)    タマa                  7&E
  7(9)        ~吾輩a             7&E
  7(ア)             ∃y(名前ya)    7&E
1 7(イ)          ~猫a            69MTT
1 7(ウ)    タマa&~猫a              8イ&I
1 7(エ)    タマa&~猫a&∃y(名前ya)     ウエ&I
1 7(オ) ∃x{タマx&~猫x&∃y(名前yx)}    エEI
12 (カ) ∃x{タマx&~猫x&∃y(名前yx)}    27オEE
12 (〃)あるx{はタマであって、猫ではなく、名前がある} 27オEE
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)∀x{吾輩x⇔猫x &~∃y(名前yx)}。然るに、
(ⅱ)∃x{タマx&~吾輩x&∃y(名前yx)}。従って、
(ⅲ)∃x{タマx&~猫x& ∃y(名前yx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが吾輩ならばxは猫であり、xが猫ならば吾輩であり、あるyがxの名前である、といふことはない}。然るに、
(ⅱ)あるxは{タマであり、吾輩ではなく、あるyは、xの名前である}。従って、
(ⅲ)あるxは{タマであり、 猫ではなく、あるyは、xの名前である}。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
(ⅰ)吾輩猫である。  名前は無い。然るに、
(ⅱ)タマは吾輩ではなく、名前が有る。従って、
(ⅲ)タマは、猫ではなく、名前が有る。
といふ「推論(三段論法)」は、「正しい」。
従って、
(08)~(11)により、
(12)
② 吾輩猫である。名前は無い。⇔
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}⇔
② すべてのxについて{xが吾輩ならばxは猫であり、xが猫ならば吾輩であり、あるyがxの名前である、といふことはない}。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(04)(12)により、
(13)
①「吾輩猫である。名前は無い。」≡∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。
②「吾輩猫である。名前は無い。」≡∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}。
といふ、2つの「等式」が、成立する。
然るに、
(14)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲(スコープ)は、問題になっている変数が現れる少なくとも2つの箇所を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(ⅱ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲(スコープ)は、同じ変数を用いたいかなる他の量記号も含まないであろう。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁改)
従って、
(13)(14)により、
(15)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}。
に於いて、
①「変数x」の「作用範囲(Scope)」は、∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}の「全体」であって、
②「変数x」の「作用範囲(Scope)」は、∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}の「全体」である。
然るに、
(16)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}。
に於いて、
①「変数」は、「吾輩」に対する、言ふなれば、「代名詞」である。
②「変数」は、「吾輩」に対する、言ふなれば、「代名詞」である。
従って、
(15)(16)により、
(17)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}。
に於ける、
① ~∃y(名前yx)
② ~∃y(名前yx)
といふ「論理式」は、
①「吾輩(x)の名前」である所の、yは、存在しない。
②「吾輩(x)の名前」である所の、yは、存在しない。
といふ、「意味」である。
従って、
(13)(17)により、
(18)
①「吾輩猫である。(吾輩に)名前は無い。」≡∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。
②「吾輩猫である。(吾輩に)名前は無い。」≡∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(19)
三上は、助詞「」の働きは節を超え(コンマ越え)、文さえ超える(ピリオド越え)ことが出来ると、主張する。それは、文を超える「」の、「」以下の格助詞とは明らかにパワーが違うことの表れなのだ。三上がその証明に使うのは、誰もが知っている文学作品「吾輩は猫である」の冒頭である(金谷武洋、日本語の文法の謎を解く、2003年、72頁)。
従って、
(19)により、
(20)
①「吾輩猫である。名前は無い。」
②「吾輩猫である。名前は無い。」
といふ「日本語」が、実際には、
①「吾輩猫である。(吾輩に)名前は無い。」
②「吾輩猫である。(吾輩に)名前は無い。」
といふ「意味」である。
といふことを、「ピリオド越え」と言ふ。
従って、
(18)(19)(20)により、
(21)
①「吾輩猫である。名前は無い。」≡∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。
②「吾輩猫である。名前は無い。」≡∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}。
といふ「等式」が「成り立つ」が故に、
①「吾輩猫である。(吾輩に)名前は無い。」
②「吾輩猫である。(吾輩に)名前は無い。」
といふ「ピリオド越え」が、生じる、ことになる。
然るに、
(22)
(ⅰ)
1  (1)猫であるならば吾輩である。 仮定
 2 (2)       吾輩でない。 仮定
  3(3)猫である。         仮定
1 3(4)       吾輩である。 13肯定肯定式
123(5)吾輩でなくて、吾輩である。 24連言導入
12 (6)猫でない。         35背理法
1  (7)吾輩でないならば猫でない。 26条件法
(ⅱ)
1  (1)吾輩でないならば猫でない。 仮定
 2 (2)        猫である。 仮定
  3(3)吾輩でない。        仮定
1 3(4)        猫でない。 13肯定肯定式
123(5)  猫であって、猫でない。 24連言導入
12 (6)吾輩でないでない。     35背理法
12 (7)吾輩である。        6二重否定
1  (8)猫であるならば吾輩である。 27条件法
従って、
(22)により、
(23)
① 猫であるならば吾輩である。
② 吾輩でないならば猫でない
に於いて、
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
従って、
(23)により、
(24)
① 猫は吾輩である。
② 吾輩以外は猫でない
に於いて、
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(08)(12)(24)により、
(25)
② 吾輩猫である。名前は無い。⇔
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}⇔
② 吾輩は猫であり、吾輩以外は猫はゐない。名前ない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(26)
② I am a cat. I have no name of mine.
であるならば、
② 吾輩猫である。名前は無い。⇔
② 吾輩は猫であり、吾輩以外は猫はゐない。名前ない。
といふ「意味」には、ならない(はずである)。
従って、
(26)により、
(27)
② 吾輩は猫であり、吾輩以外は猫はゐない。名前ない。
といふのであれば、
② I am a cat.
ではなく、
② I am the cat.
であるべきである(はずである)。
然るに、
(28)
② I am a cat.
ではなく、いきなり、
② I am the cat.
といふのは、「不自然」である。
従って、
(22)~(28)により、
(29)
「逆」に言へば、
② I am the cat.
と言っても、「不自然」でない「文脈」が有るのであれば、
① 吾輩猫である(∃x{吾輩x&猫x})。
ではなく、
② 吾輩猫である(∀x{吾輩x⇔猫x})。
であっても、「不自然」ではない、といふことになる。