日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(689)「あるフランス人は学生である。」の「述語論理」。

2020-07-25 16:56:17 | 論理

(01)
{a、b、c}を{xの、変域}とし、
{a、b、c}は{3人の個人}であるとする。
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x(Fx&Gx)≡(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
② ∃xFx&∃xGx≡(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
然るに、
(03)
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
を見れば、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
といふことが、「一目瞭然」である。
然るに、
(04)
どのやうに、「一目瞭然」であるのか、といふことを、「説明」すると「長くなる」。
然るに、
(01)により、
(05)
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx
に於いて、
F=フランス人である。
G=学生である。
とすると、
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx
は、それぞれ、
① あるフランス人は学生である。
② フランス人は存在し、学生も存在する。
といふ風に、読むことが、出来る。
然るに、
(06)
① あるフランス人は学生である。
といふのであれば、
② フランス人は存在するし、学生も存在する。
然るに、
(07)
② フランス人(2歳)は存在し、学生(20歳)も存在する。
としても、
① ある(2歳の)フランス人は、(20歳の)学生である。
といふことは、有り得ない。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
然るに、
(09)
(ⅰ)
1  (1) ∃x(Fx&Gx) A
 2 (2)    Fa&Ga  A
 2 (3)    Fa     2&E
 2 (4)  ∃xFx     3EI
1  (5)  ∃xFx     124EE
  6(6)       Ga  2&E
  6(7)     ∃xGx  6&E
1  (8)     ∃xGx  167EE
1  (9)∃xFx&∃xGx  57&I
従って、
(08)(09)により、
(10)
「述語計算」の「結果」も、
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(11)
(ⅱ)
1  (1) ∃xFx&∃xGx A
1  (2) ∃xFx      1&E
1  (3)      ∃xGx 1&E
 4 ()   F      A
  5(5)        Ga A
 45(6)   Fa&Ga   45&I
 5(7)∃x(Fx&Gx)  6EI
14 ()∃x(Fx&Gx)  357EE
然るに、
(12)
EEを適用する際には、任意の名前が、結論()を得るために用いられた(代表的選言項以外の)仮定のなかに現われてはならない
(E.J.レモン著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、147頁
従って、
(11)(12)により、
(13)
(ⅱ)
1  (1) ∃xFx&∃xGx A
1  (2) ∃xFx      1&E
1  (3)      ∃xGx 1&E
 4 ()   F      A
  5(5)        Ga A
 45(6)   Fa&Ga   45&I
 5(7)∃x(Fx&Gx)  6EI
14 ()∃x(Fx&Gx)  357EE
といふ「計算」は、
『結論()を得るために用いられた(代表的選言項以外の)仮定()のなかに「任意の名前」現われている。』ため、「マチガイ」である。
従って、
(08)(13)により、
(14)
「述語計算」の「結果」も、
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx
に於いて、
② ならば、① であるとは、限らない。
従って、
(08)(10)(14)により、
(15)
「計算」の「結果」も、
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
然るに、
(16)
(ⅱ)
1  (1)   ∃xFx&∃yGy A
1  (2)   ∃xFx      1&E
1  (3)        ∃xGy 1&E
 4 (4)     Fa      A
  5(5)          Gb A
 45(6)     Fa&Gb   45&I
 45(7)  ∃y(Fa&Gb)  6EI
14 (8)  ∃y(Fa&Gy)  357EE
14 (9)∃x∃y(Fx&Gy)  8EI
1  (ア)∃x∃y(Fx&Gy)  249EE
(ⅲ)
1  (1)∃x∃y(Fx&Gy)  A
 2 (2)  ∃y(Fa&Gy)  A
  3(3)     Fa&Gb   A
  3(4)     Fa      3&E
  3(5)   ∃xFx      4EI
  3(6)        Gb   3&E
  3(7)      ∃yGy   6EI
  3(8) ∃xFx&∃yGy   57&I
 2 (9) ∃xFx&∃yGy   238EE
1  (ア) ∃xFx&∃yGy   129EE
従って、
(16)により、
(17)
② ∃xFx&∃yGy
③ ∃x∃y(Fx&Gy)
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(18)
性質をもつ少なくとも2つの相異なった対象が存在する、ということを表現するためには、われわれは符号を必要とする。すなわち、
 ∃x∃y{(Fx&Fy)&~(x=y)}
― どちらもFをもつ同一でないxとyが存在する。
(E.J.レモン著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、210頁)
従って、
(18)により、
(19)
性質と性質をもつ少なくとも2つの相異なった対象が存在する、ということを表現するためには、われわれは符号を必要とする。すなわち、
 ∃x∃y{(Fx&Gy)&~(x=y)}
従って、
(19)により、
(20)
性質F性質をもつ少なくとも1つの対象が存在する、ということを表現するためには、われわれは符号を必要とする。すなわち、
 ∃x∃y{(Fx&Gy)&(x=y)}
然るに、
(21)
(ⅴ)
1  (1)∃x∃y{(Fx&Gy)&(x=y)} A
 2 (2)  ∃y{(Fa&Gy)&(a=y)} A
  3(3)      Fa&Gb &(a=b)  A
  3(4)      Fa            3&E
  3(5)         Gb         3&E
  3(6)              a=b   3&E
  3(7)         Ga         56=E
  3(8)      Fa&Ga         57&I
  3(9)   ∃x(Fx&Gx)        8EI
 2 (ア)   ∃x(Fx&Gx)        239EE
1  (イ)   ∃x(Fx&Gx)        12アEE
従って、
(14)(17)(21)により、
(22)
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx
③ ∃x∃y{(Fx&Gy)}
④ ∃x∃y{(Fx&Gy)&(x=y)}
に於いて、
① ⇒ ②

④ ⇒ ①
である。
従って、
(22)により、
(23)
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx&(x=y)
であるならば、
①=② である。
従って、
(05)(23)により、
(24)
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃xFx&∃xGx&(x=y)
であるならば、すなはち、
① あるフランス人は学生である。
② フランス人は存在し、学生も存在し、そのフランス人と学生は「同一人物」である。
であるならば、そのときに限って、
①=② である。
従って、
(24)により、
(25)
① あるフランス人は学生である。
② フランス人は存在し、学生も存在する(が、そのフランス人と学生は「同一人物」ではない)。
であるならば、
①=② ではない
然るに、
(03)(05)(25)により、
(26)
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
を見れば、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
といふことが、「一目瞭然」である。
といふことと、
① あるフランス人は学生である。
② フランス人は存在し、学生も存在する(が、そのフランス人と学生は「同一人物」ではない)。
ならば、
①=② ではない。
といふことは、「同じこと」である。