(01)
1 (1)∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→x=z)} A
2 (2) ∃y{Sa&Py&Tay&∀z(Tzy→a=z)} A
3 (3) Sa&Pb&Tab&∀z(Tzb→a=z) A
3 (4) ∀z(Tzb→a=z) 3&E
3 (5) Tcb→a=c 1UE
6 (6) ∃z(Az&~Sz) A
7 (7) Ac&~Sc A
3 (8) Sa 3&E
7 (9) ~Sc 8&E
ア(ア) a=c A
7ア(イ) ~Sa 9ア=E
3 7ア(ウ) Sa&~Sa 8イ&I
3 7 (エ) a≠c アウRAA
3 7 (オ) ~Tcb 5エMTT
3 (カ) Ac 7&E
3 (キ) Pb 3&E
3 (ク) Ac&Pb カキ&I
3 7 (ケ) Ac&Pb&~Tcb オク&I
3 7 (コ) ∃y(Ac&Py&~Tcy) ケEI
36 (サ) ∃y(Ac&Py&~Tcy) 67コEE
36 (シ)∃z∃y(Az&Py&~Tzy) サEI
2 6 (ス)∃z∃y(Az&Py&~Tzy) 23シEE
1 6 (セ)∃z∃y(Az&Py&~Tzy) 12スEE
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→x=z)}。然るに、
(ⅱ) ∃z(Az&~Sz)。従って、
(ⅲ)∃z∃y(Az&Py&~Tzy)。
といふ「三段論法」、すなはち、
(ⅰ)あるxとあるyについて{xはソクラテスであって、yはプラトンであって、すべてのzについて、zがyを教へたのであれば、xとzは「同一」である}。然るに、
(ⅱ)あるzについて(zはアリストテレスであって、ソクラテスではない)。故に、
(ⅲ)あるzとあるyについて(zはアリストテレスであって、yはプラトンであって、zはyを教へなかった)。
といふ「三段論法」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)Socrates is the only philosopher who taught Plato.
(ⅱ)Aristotle is not Socrates. therefore,
(ⅲ)Aristotle did not teach Plato.
といふ「三段論法」は、「妥当」である。
然るに、
(04)
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
(1)―(3)の文は単純な主語・述語の文である。特定の対象が(ソクラテス、パリ、勇気)がある性質(哲学者であること、都市であること、徳であること)をもつ、と言われるのである。従って、(1)―(3)における「である」のことを、述語の作用する「である」('is' of predication)とよぶ。この「である」の用法は(4)―(6)における「である」と比較対照される必要がある。ここでは、その意味はむしろ、「同じ対象である」(「対象:という語をある広い、中立的な意味に用いて)である。この「である」をわれわれは同一性の「である」('is' of identity)として区別する。
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、205頁)
然るに、
(05)
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
に於いて、
(4)「ソクラテス」と「ソクラテスはプラトンを教えた哲学者」が「同一」である。
といふことは、
(4)「ソクラテスだけが、プラトンを教えた哲学者である。」
といふことに、他ならない。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
①「Socrates is the philosopher who taught Plato.」といふ「英語」は、実質的には、
②「Socrates is the only philosopher who taught Plato.」といふ「意味」である。
従って、
(06)により、
(07)
「英語の話者」は、
① Socrates is the philosopher who taught Plato.
といふ「英語」を、
② Socrates is the only philosopher who taught Plato.
といふ「意味」で、用ひてゐる。
然るに、
(08)
② Socrates is the only philosopher who taught Plato.
② ソクラテスだけがプラトンを教えた哲学者である。
に対して、
② Socrates is a only philosopher who taught Plato.
② ソクラテスだけはプラトンを教えた哲学者である。
といふ、少なくとも、「日本語」は無いし、「英語」も、無いはずである。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
① Socrates is the philosopher who taught Plato.
① ソクラテスがプラトンを教えた哲学者である。
といふ「英語」と「日本語」が、それぞれ、
② Socrates is the only philosopher who taught Plato.
② ソクラテスだけがプラトンを教えた哲学者である。
といふ「意味」であるとしても、「不思議」ではない。
従って、
(09)により、
(10)
② Socrates is the only philosopher who taught Plato.
② ソクラテスだけがプラトンを教えた哲学者である。
に於いて、
② only
② だけ
を「省略」した形が、
① Socrates is the philosopher who taught Plato.
① ソクラテスがプラトンを教えた哲学者である。
であるとしても、「不思議」ではない。
(01)
問題5:ラッセルの「確定記述の理論」を用いて、つぎの論証の健全性を確立せよ。
(a)マイン・カンプの著者は1945年に死んだ。ヒトラーはマイン・カンプを書いた。故にヒトラーは1945年に死んだ。
Exercise 5: Using Russell's theory of definite description, establish the soundness of the following argument.
(a)The author of the Mein Kampf died in 1945; Histler wrote Mein Kampf; therefore Histler died in 1945.
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、215頁と原文)。
(02)
1 (1)∃x(我が闘争x&45年死x) A
2 (2) 我が闘争a&45年死a A
3 (3)∃y{ヒトラーy&我が闘争y&∀x(我が闘争x→x=y)} A
4(4) ヒトラーb&我が闘争b&∀x(我が闘争x→x=b) A
4(5) ∀x(我が闘争x→x=b) 4&E
4(6) 我が闘争a→a=b 5UE
2 (7) 我が闘争a 2&E
2 4(8) a=b 67MPP
4(9) ヒトラーb 4&E
2 4(ア) ヒトラーa 89=E
2 (イ) 45年死a 2&E
2 4(ウ) ヒトラーa&45年死a アイ&I
2 4(エ)∃x(ヒトラーx&45年死x) ウEI
23 (オ)∃x(ヒトラーx&45年死x) 34エEE
1 3 (カ)∃x(ヒトラーx&45年死x) 12オEE
1 3 (〃)あるxはヒトラーであって1945年に死んだ。 12オEE
(03)
問題□:ラッセルの「確定記述の理論」を用いて、つぎの論証の健全性を確立せよ。
(b)マイン・カンプの著者は1945年には死んでいない。ヒトラーがマイン・カンプを書いた。故にヒトラーは1945年に死ななかった。
Exercise 5: Using Russell's theory of definite description, establish the soundness of the following argument.
(b)The author of the Mein Kampf did not die in 1945; Hitler wrote Mein Kampf; therefore Hisler did not die in 1945.
(04)
1 (1)∃x(我が闘争x&~45年死x) A
2 (2) 我が闘争a&~45年死a A
3 (4)∃y{ヒトラーy&我が闘争y&~∃x(我が闘争x&x≠y)} A
4(4) ヒトラーb&我が闘争b&~∃x(我が闘争x&x≠b) A
4(5) ~∃x(我が闘争x&x≠b) 4&E
4(6) ∀x~(我が闘争x&x≠b) 5量化子の関係
4(7) ~(我が闘争a&a≠b) 6UE
4(8) ~我が闘争a∨a=b 7ド・モルガンの法則
4(9) 我が闘争a→a=b 8含意の定義
2 (ア) 我が闘争a 2&E
2 4(イ) a=b 9アMPP
4(ウ) ヒトラーb 4&E
2 4(エ) ヒトラーa イウ=E
2 (オ) ~45年死a 2&E
2 4(カ) ヒトラーa&~45年死a エオ&I
2 4(キ)∃x(ヒトラーx&~45年死x) カEI
23 (ク)∃x(ヒトラーx&~45年死x) 34キEE
1 3 (ケ)∃x(ヒトラーx&~45年死x) 129EE
1 3 (コ)あるxはヒトラーであって1945年には死ななかった。 129EE
従って、
(01)~(04)により、
(05)
「ラッセルの確定記述の理論」は、
「マイン・カンプの著者」が「ヒトラー」と「同一人物」であるならば、
「マイン・カンプの著者」に対して「起こったこと」は、「ヒトラー」にも「起こったこと」であり、
「マイン・カンプの著者」に対して「起こったらなかったこと」は、「ヒトラー」にも「起こらなかったこと」である。
といふことを、示してゐる。
然るに、
(06)
いづれにせよ、
「マイン・カンプの著者(The author of the Mein Kampf)」は、「一人しかゐない」。
従って、
(06)により、
(07)
① ヒトラーは「マイン・カンプの著者」であって、
② 「マイン・カンプの著者」はヒトラーである。
然るに、
(08)
② 「マイン・カンプの著者」はヒトラーである。
③ ヒトラー以外は「マイン・カンプの著者」ではない。
に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(04)により、
(09)
③ ∃y{ヒトラーy&我が闘争y&~∃x(我が闘争x&x≠y)}⇔
③ あるyはヒトラーであって、我が闘争の著者であり、あるxが我が闘争の著者であって、xがy以外である、といふことはない。
然るに、
(10)
② 「マイン・カンプの著者」はヒトラーである。
③ ~∃x(我が闘争x&x≠y)⇔
③ あるxが我が闘争の著者であって、xがy以外である、といふことはない。
に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
(01)~(10)により、
(11)
① Histler is the author of the Mein Kampf.
といふ「英語」は、
② ヒトラーは「マイン・カンプの著者」であって、ヒトラー以外は「マイン・カンプの著者」ではない。
といふ「日本語」に相当し、
② ヒトラーは「マイン・カンプの著者」であって、ヒトラー以外は「マイン・カンプの著者」ではない。
といふ「日本語」は、
③ ∃y{ヒトラーy&我が闘争y&~∃x(我が闘争x&x≠y)}⇔
③ あるyはヒトラーであって、我が闘争の著者であり、あるxが我が闘争の著者であって、xがy以外である、といふことはない。
といふ「述語論理式」に相当する。
然るに、
(07)により、
(12)
① Hitler is the author of the Mein Kampf.
② The author of the Mein Kampf is Hitler.
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
(b)「である(is)」の両側にならぶ語句は、近似値的に同じ意味をたもちつつ入れ換えることができるか―もしできるならば、その「である(is)」は同一性の「である」('is' of identity)である。
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、205頁改)
従って、
(13)により、
(14)
「A is B.」であって、
「B is A.」ならば、「A=B」であって、その場合の、「is」は、同一性の「である」('is' of identity)である。
cf.
「交換法則(commutative law)」。
然るに、
(15)
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
Sentences(1)-(3)are simple subjects-predicate sentences; a particular objects(Socrates,Paris,courage)is said to have a certain property(being a philosopher,being a city,being a virtue). We accordingly call the 'is' in(1)-(3)the 'is' of predication. This use of 'is' must be contrasted with the 'is' in(4)-(6), where rather the sense is 'is' the same object as(with 'object' used in some broad neutral sense). This 'is' we distinguish as the 'is' of identity.
(E.J.Lemmon, Beginning Logic,1978/6/1,p160)
(1)―(3)の文は単純な主語・述語の文である。特定の対象が(ソクラテス、パリ、勇気)がある性質(哲学者であること、都市であること、徳であること)をもつ、と言われるのである。従って、(1)―(3)における「である」のことを、述語の作用する「である」('is' of predication)とよぶ。この「である」の用法は(4)―(6)における「である」と比較対照される必要がある。ここでは、その意味はむしろ、「同じ対象である」(「対象:という語をある広い、中立的な意味に用いて)である。この「である」をわれわれは同一性の「である」('is' of identity)として区別する。
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、205頁)
従って、
(14)(15)により、
(16)
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
であれば、
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
(4)The philosopher who taught Plato is Socrates
(5)The capital of France is Paris.
(6)The virtue I most admire is Courage.
に於ける「is」が、同一性の「である('is' of identity)」である。
従って、
(16)により、
(17)
(4)ソクラテスがプラトンを教えた哲学者である。
(5)パりがフランスの首都である。
(6)勇気が私が最も賛美する徳である。
に於ける「が」は、同一性の「が」('が' of identity)である。
然るに、
(18)
(6)私が最も賛美する徳。
に於ける「が」は、
(6)我が家。
(6)博士が愛した数式。
に於ける「が」と同じく、「連体助詞」の「が」であるため、同一性の「が」('が' of identity)ではない。