日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(180)「AIが心を持つこと」は有り得ない。

2019-04-17 19:47:09 | 訓読・論理学

―「今日の午前の記事(178)」の「続き」を書きます。―
従って、
(05)~(13)により、
(14)
いづれにせよ、
① 虎求百獸而食之得狐。⇔
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。⇔
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
④ 今子食我是逆天帝命也。
④ ∃x∃y∃z{子x&我y&天帝z&(食xy→逆xz)}
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。⇔
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文(人工言語)の全体」を、「述語論理(人工言語)」に「翻訳」することは、出来ない。
従って、
(14)により、
(15)
「漢文(人工言語)」の「表現力」は、「述語論理(人工言語)」の、「上を行く」。
然るに、
(16)
例へば、
漢丞相亮、率諸軍北伐魏。
臨發上疏曰、
今天下三分、益州疲弊。
此危急存亡之秋也。
宜開張聖聽、不宜塞忠諌之路。
宮中・府中、倶爲一體。陟罰臧否、不宜異同。
若有作姦犯科及忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭平明之治。
親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。
親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。
・・・・・・・・
といふ「漢文(諸葛亮、出師表)」を読むとき、「私は感動」する。
然るに、
(17)
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
④ ∃x∃y∃z{子x&我y&天帝z&(食xy→逆xz)}
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
といふ「述語論理」を読んでも、「私は感動」しない
従って、
(16)(17)により、
(18)
よりも、壱萬倍賢いAI」が、「すべての漢文」を、「述語論理語(等の論理語)」に「翻訳」出来たとしても、おそらく私は、「その論理語」を読んでも、「理解」出来ないし、「感動」しない
従って、
(18)により、
(19)
AIが、「同じ心」を持つことは、おそらくは、有り得ない
従って、
(20)
AIが、『私のやうな人間と、同じ心』を持つことは、有り得ない

(179)「民無二王。」の「述語論理」(Ⅱ)。

2019-04-17 17:47:10 | 訓読・論理学

(01)
孔子曰天無二日、民無二王。
孔子曰く、天に二つの太陽は無く、民に二人の王は無い(孟子、萬章章句上)。
(02)
(ⅰ)
1  (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1  (2)∃xFx                 1&E
 3 (3)  Fa                 A
1  (4)     ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1  (5)       ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1  (6)          Fa&Fb→a=b  5UE
  7(7)          ∀y(Fy)     A
  7(8)             Fb      7UE
 37(9)          Fa&Fb      38&I
137(ア)                a=b  69MPP
13 (イ)             Fb→a=b  8アCP
13 (ウ)          ∀y(Fy→a=y) イUI
13 (エ)   Fa&∀y(Fy→a=y)     3ウ&I
13 (オ)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    エEI
1  (カ)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    13オEE
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ) ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
(ⅱ)∃x{Fx&  ∀y(   Fy→x=y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)である。
然るに、
(04)
任意の名前が、結論Cの中に現れてはならないという理由を知るためには、そうでなければ、
あるものがFをもつという仮定から、すべてのものがFをもつということが証明されるであろうということを考えれば十分である。
 1 (1)∃xFx A
  2(2)  Fa A
  (3)  F 122EE
 1 (4)∀xFx 2UI
UIの適用は正しい。  なぜならば、1はaを含んでいないからである。しかし、
EEの適用は正しくない。なぜならば、問題になる結論、ここでは、
  (3)  F 122EE
において、     をふくんでいるからである。
あるもの
がFをもっていることから、任意に選ばれた対象がFをもつということは帰結しない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、147頁改)
然るに、
(05)
(ⅱ)
 1  (1)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    A
  2 (2)   Fa&∀y(Fy→a=y)     A
  2 (3)   Fa                2&E
  2 (4)      ∀y(Fy→a=y)     2&E
   (5)      ∀y(Fy→=y)     124EE
 1  (6)    ∀x∀y(Fy→x=y)     5UI
  2 (7)∃xFx                 3EI
 1  (8)∃xFx                 127EE
 1  (9)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 68&I
UIの適用は正しい。  なぜならば、1はaを含んでいないからである。しかし、
EEの適用は正しくない。なぜならば、問題になる結論、ここでは、
   (5)      ∀y(Fy→=y)     124EE
において、               をふくんでいるからである。
従って、
(04)(05)により、
(06)
(ⅱ)
 1  (1)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    A
  2 (2)   Fa&∀y(Fy→a=y)     A
  2 (3)   Fa                2&E
  2 (4)      ∀y(Fy→a=y)     2&E
 1  (5)      ∀y(Fy→a=y)     124EE
 1  (6)    ∀x∀y(Fy→x=y)     5UI
  2 (7)∃xFx                 3EI
 1  (8)∃xFx                 127EE
 1  (9)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 68&I
といふ「述語計算」は、「正しくない」。
(02)~(06)により、
(07)
(ⅰ) ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
(ⅱ)∃x{Fx&  ∀y(   Fy→x=y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であるが、
(ⅱ)ならば(ⅰ)ではない。
然るに、
(08)
(ⅱ)
1   (1)  ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
 2  (2)     Fa&∀y(Fy→a=y)  A
 2  (3)     Fa             2&E
 2  (4)        ∀y(Fy→a=y)  2&E
 2  (5)           Fb→a=b   4UE
 2  (6)          ~Fb∨a=b   5含意の定義
 2  (7)       ~~(~Fb∨a=b)  6DN
 2  (8)       ~(~~Fb&a<>b)  7ド・モルガンの法則
 2  (9)         ~(Fb&a<>b)  8DN
  ア (ア)        ∃y(Fy&a<>y)  A
   イ(イ)          (Fb&a<>b)  A
 2 イ(ウ)~(Fb&a<>b)&(Fb&a<>b)  9イ&I  
 2ア (エ)~(Fb&a<>b)&(Fb&a<>b)  アイウEE
 2  (オ)       ~∃y(Fy&a<>y)  アエRAA
 2  (カ)    Fa&~∃y(Fy&a<>y)  3オ&I
 2  (キ) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} カEI
1   (ク) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} 12キEE
(ⅲ)
1   (1) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} A
 2  (2)    Fa&~∃y(Fy&a<>y)  A
 2  (3)    Fa              2&E
 2  (4)       ~∃y(Fy&a<>y)  2&E  
  5 (5)           Fb&a<>b   A
  5 (6)        ∃y(Fb&a<>y)  5EI
 25 (7)       ~∃y(Fy&a<>y)&
               ∃y(Fb&a<>y)  46&I
 2  (8)         ~(Fb&a<>b)  57RAA
 2  (9)         ~Fb&∨a=b   8ド・モルガンの法則
 2  (ア)           Fb→a=b   9含意の定義
 2  (イ)        ∀y(Fy→a=y)  アUI
 2  (ウ)     Fa&∀y(Fy→a=y)  3イ&I
 2  (エ)  ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 2EI
1   (オ)  ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 12EE
cf.
「≠」を「<>」と書くこととし、それ故、「<>ではない」が「=」であって、「=ではない」が「<>」である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅱ)∃x{Fx& ∀y(Fy→x=y)}
(Ⅲ)∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば、(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば、(ⅰ)である。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅱ)∃x{Fx& ∀y(Fy→x=y)}
(ⅲ)∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(03)(10)により、
(11)
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
従って、
(12)
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
従って、
(12)により、
(13)
(ⅰ)あるxは王であり、すべてのxとyについて、xが王でありyも王であるならば、xはyと「同一人物」である。
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、  yが王であるならば、      xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
然るに、
(13)により、
(14)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふこと、すなはち、
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、yが王であるならば、xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
といふことは、要するに、
(ⅱ)王は、一人しかゐない。
(ⅲ)王は、一人しかゐない。
といふことである。
従って、
(14)
(ⅱ)∃x{舜x&王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅲ)∃x{舜x&王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふこと、すなはち、
(ⅱ)あるxは舜といふ王であり、すべてのyについて、yが王であるならば、xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは舜といふ王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
といふことは、要するに、
(ⅱ)王は、舜の一人だけある。
(ⅲ)王は、舜の一人だけある。
といふことである。
従って、
(14)により、
(15)
獨舜爲王矣。⇔
獨り
のみ王たり。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∃x{舜x&王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅱ)∃x{舜x&王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
因みに、
(16)
(ⅰ)あるxは王であり、すべてのxとyについて、xが王でありyも王であるならば、xはyと「同一人物」である。
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、  yが王であるならば、      xとyは「同一人物」である。
に於いても、
(ⅰ)=(ⅱ) であるやうに、思へない、こともない。
然るに、
(17)
因みに言ふと、
E.J.レモン自身は、「E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、211・212頁」に於いて、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
と、書いてゐる。
然るに、
(18)
「E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、211・212頁」の中には、「結論」だけが書かれてゐて、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
といふことに関する、「計算」が示されてゐない。
従って、
(02)~(12)、(18)により、
(19)
私自身は、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ){(ⅱ)=(ⅲ)}
であらうと、思ってゐるものの、
E.J.レモンは、
(ⅰ){(ⅱ)=(ⅲ)}
である。いふ風に、書いてゐる。

(178)「天帝使我長百獣。」の「述語論理」。

2019-04-17 11:18:33 | 「鏡の中の、上下左右」

(01)
③ 天帝使我長百獣=
③ 天帝使〔我長(百獣)〕⇒
③ 天帝〔我(百獣)長〕使=
③ 天帝〔我をして(百獣に)長たら〕使む=
③ 天帝 let me be the chief of all the beasts.
(02)
1    (1)∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}  A
 2   (2)  ∃y{天帝a&我y&∀z(獸z⇔長ayz)}  A
  3  (3)     天帝a&我b&∀z(獸z⇔長abz)   A
  3  (4)            ∀z(獸z⇔長abz)   3&E
  3  (5)               獸c⇔長abc    4UE
  3  (6)    獸c→長abc&長abc→獸c       5Df.⇔
  3  (7)            長abc→獸c       6&E
  3  (8)   ~獸c→~長abc              7対偶
   9 (9)∃w(鳥w&~獸w)                A
    ア(ア)   鳥c&~獸c                 A
    ア(イ)   鳥c                     ア&E
    ア(ウ)      ~獸c                 イ&E
  3 ア(エ)      ~長abc               8ウMPP
  3 ア(オ)   鳥c&~長abc               イエ&I
  3 ア(カ)∃w(鳥w&~長abw)              オEI
  39 (キ)∃w(鳥w&~長abw)              9アカEE
 2   (ク)     天帝a&我b               3&E
 239 (ケ)     天帝a&我b&∃w(鳥w&~長abw)  キク&I
 239 (コ)  ∃y{天帝a&我y&∃w(鳥w&~長ayw)  ケEI
 2 9 (サ)  ∃y{天帝a&我y&∃w(鳥w&~長ayw)} 23コEE
 2 9 (シ)∃x∃y{天帝x&我y&∃w(鳥w&~長xyw)} サEI
1  9 (ス)∃x∃y{天帝x&我y&∃w(鳥w&~長xyw)} 12シEE
従って、
(02)により、
(03)
(1)あるxは天帝であり、あるyは我であって、すべてのzについて、zが獸であるならば、その時に限って、xはyを、zの長にする。 と「仮定」し、
(9)あるwは鳥であって獸ではない。 と「仮定」すると、
(ス)あるxは天帝であり、あるyは我であって、あるwは鳥であって獸ではないが、xは、yを、wの長にはしない。 といふ『結論』を得る。
(∴)我は、百獸の長であっても、鳥の長ではない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
③ 天帝使我長百獣=
といふ「漢文訓読」は、
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}=
③ あるxは天帝であり、あるyは我であって、すべてのzについて、zが獸であるならば、その時に限って、xはyを、zの長にする。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(04)により、
(05)
『これ迄に示した記事』と、併せて言ふと、
(a)
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
(b)
① 虎百獸を求め而之を食らひ狐を得たり。
② 狐曰はく、子敢へて我を食らふこと無かれ。
③ 天帝、我をして百獸に長たら使む。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
⑥ 子我が後に隨ひて觀よ。
⑦ 百獸之我を見て敢へて走ら不らんや。と。
⑧ 虎以て然りと爲す。
⑨ 故に遂に之與行く。
⑩ 獸之を見て皆走る。
⑪ 虎獸の己を畏れて走るを知ら不るなり。
⑫ 以て狐を畏るると爲す也。と。
といふ「漢文(戦国策、虎の威を借かる)」に於ける、
① 虎求百獸而食之得狐。
③ 天帝使我長百獸。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
といふ「漢文」は、それぞれ、
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(06)
② 狐曰子無敢食我也。⇔
② 狐曰はく、子敢へて我を食らふこと無かれ。
の場合は、「命令形」である。
然るに、
(07)
「論理学」は「命題」だけを「研究の対象」とし、尚且つ、「命令形」は、「命題」ではない。
従って、
(06)(07)により、
(08)
② 狐曰子無敢食我也。⇔
② 狐曰はく、子敢へて我を食らふこと無かれ。
といふ「漢文訓読」を、「述語論理」に「翻訳」することは、出来ない。
(09)
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
に於ける「変数(x、y、z)」は、「個物(集合の要素)」に、対応する。
然るに、
(10)
④ 今子食我是逆天帝命也。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。
に於ける、
④ 天帝の命
は、「個物(集合の要素)」ではない。
従って、
(09)(10)により、
(11)
④ 今子食我是逆天帝也。⇔
④ 今子我を食らはば、是れ天帝に逆らふなり。
といふ「漢文訓読」を、「述語論理」に「翻訳」することは、出来ない。
然るに、
(12)
④ 今子食我是逆天帝命也。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。
ではなく、
④ 今子食我是逆天帝也。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝に逆らふなり。
とするならば、
④ 天帝
は、「個物(集合の要素)」である。
従って、
(09)(12)により、
(13)
④ 今子食我是逆天帝也。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝に逆らふなり。
であるならば、
④ ∃x∃y∃z{子x&我y&天帝z&(食xy→逆xz)}⇔
④ あるxは子であって、あるyは我であって、あるzは天帝であって、xがyを食らふならば、xはzに逆らふ。
といふ「述語論理」に、「翻訳」することが、出来る。
従って、
(05)~(13)により、
(14)
いづれにせよ、
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文の全体」を、「述語論理」に「翻訳」することは、出来ない。