日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(190)反論: どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?

2019-04-22 12:50:49 | 「鏡の中の、上下左右」

(01)
解答: どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?
2008年04月23日 20時23分52秒 | 学校で教えてくれないコト(gooブログ)
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。
然るに、
(02)
「紙に書いた文字」は「2次元(平面)」であって、「3次元(立体)」ではない。
然るに、
(03)
「2次元(平面)」に有るのは「上下左右」だけであって、「前後(手前と奥)」は無い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
「紙に書いた文字」には「奥行(手前と奥)」が無い故がに、
「紙に書いた文字」の、「奥行(手前と奥)」を「逆転させる」ことは、出来ない。
従って、
(01)(04)により、
(05)
「紙に書いた文字」に関しては、
『鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前逆転させている。」だけなのだ。』
といふことには、ならない
然るに、
(06)
紙にも表裏があります。
どちらが表か分からなくなった時はまず紙の表面を触ってみると良いでしょう。
一般的に、スベスベしたなめらかな方が表、ちょっとザラザラしたほうが裏です。
(紙の表裏・上下 2017年5月8日、コラム, 紙, 道具の話|紙)
それ故、
(06)により、
(07)
「紙の表面」を「紙の表面」と呼び、
「紙の裏面」を「紙の背中」と呼ぶことにする。
然るに、
(08)
「AE」といふ「文字」を、
「コピー用紙の表面」に書いてから、「そのコピー用紙の背中(裏面)」を見ると、
「AE」といふ「文字」は、「背中(裏面)の側」には無い。
然るに、
(09)
「AE」と書いた「そのコピー用紙の背中(裏面)」を、自分に向けたまま、「照明にかざす」と、「コピー用紙」は「十分に薄い(0.08㎜)」ため、
「∃A」といふ「文字」が「透けて見える」。
然るに、
(10)
「AE」と書いた「コピー用紙」を「鏡に向ける」と、「鏡の中」で、
「AE」といふ「文字」は、
「∃A」といふ「文字」に見える。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
「鏡の中」の
「∃A」といふ「文字」は、
「AE」と書いた「コピー用紙の表面」を、
背中(裏面)の側から、透かして見てゐる際の形」に「等しい」。
然るに、
(10)により、
(12)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
「鏡の中」で、
「AE」といふ「Tシャツの文字」は、言ふまでもなく、
「∃A」といふ「文字」に見える。
従って、
(11)(12)により、
(13)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
鏡の中の、文字輪郭」と、
鏡の中の、自分輪郭」は、
鏡の外で、背中(裏面)を向けて立ってゐる際の、輪郭」に「等しい」。
然るに、
(14)
「鏡の前」に立つとき、
「鏡の中の、もう一人の自分は、こちらを向いてゐる。」
従って、
(14)により、
(15)
「鏡の中の、もう一人の自分は、背中を向けてゐない。」
従って、
(13)(15)により、
(16)
「鏡の前」に立つとき、
「鏡の中の、もう一人の自分は、背中(裏面)を向けてゐないのに、背中(裏面)を向けてはゐる。」
然るに、
(17)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「回れ右」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、言ふまでもなく、
「AE」といふ「文字」に「見える」。
然るに、
(18)
「∃A(鏡の)」と、
「AE(鏡の)」は、
左右(∃E)がで、上下(AA)が等しい。」
従って、
(17)(18)により、
(19)
「鏡の中の人物」を、
「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
と「仮定」すると、
「左右(∃E)が逆で、上下(AA)が等しい。」
といふ「矛盾」が生じる。
従って、
(19)により、
(20)
「鏡の中の人物」は、
回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
といふ「仮定」は、「否定しなければ、ならない
cf.
背理法(Reductio ad absurdum)。
然るに、
(21)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「回れ右」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、
「AE」に「見える」ものの、
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「逆立ち」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、
「∃∀」といふ「文字」に「見える」。
然るに、
(22)
「∃A(鏡の)」と、
「∃∀(鏡の)」は、
上下(A∀)がで、左右(∃∃)が等しい。」
従って、
(21)(22)により、
(23)
「鏡の中の人物」を、
「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
と「仮定」すると、
「上下(A∀)が逆で、左右(∃∃)が等しい。」
といふ「矛盾」が生じる。
従って、
(23)により、
(24)
「鏡の中の人物」は、
逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
といふ「仮定」は、「否定しなければ、ならない
従って、
(20)(24)により、
(25)
α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」は、
「否定」しなければ、ならない。
β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」は、
「否定」しなければ、ならない。
然るに、
(26)
我々は、「後ろを振り向く」際に、「逆立ちをして、振り向く」といふことを、「普通は、しない。」
従って、
(25)(26)により、
(27)
α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」。
β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」。
といふ「二つの仮定」の内の、
β)に関しては、「初めから、否定済み」であるものの、
α)に関しては、「否定、出来ない」のが、「普通」である。
従って、
(17)~(27)により、
(28)
β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」だけでなく、
α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」も、
同時に、否定」しなければ、ならない。
といふことに「気づくことが出来ず」、それ故、「どうして鏡は左右に映すのに上下そのままなの?」
といふ「疑問」だけが、生じることになる。
然るに、
(29)
このことを、「理解」するためには、
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
鏡の中の、文字輪郭」と、
鏡の中の、自分輪郭」は、両方とも、
鏡の外で、背中(裏面)を向けて立ってゐる際の、輪郭」に「等しい」。
といふことを、「理解」する必要がある。
然るに、
(30)
このことを、「理解」するためには、まず最初に、
「鏡の中」の、例へば、「∃A」といふ「文字」は、「AE」と書いた「コピー用紙の表面(2次元)」を、『背中(裏面)の側から、透かして見てゐる際の形』に「等しい」。
といふことを、「理解」する必要がある。
従って、
(31)
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。
といふことは、その通りだとしても、
鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前逆転させている。」だけなのだ。
といふことを、敢へて「強調」する「必要」はない。といふ風に、思はれる。