「点滴の管を取りますね」と医師が優しく言葉かけをされる。
89才のお母様が脳梗塞で救急搬送された大学病院で命を繋ぐために
心臓に近い首辺りの太い静脈の点滴から栄養を取る「中心静脈栄養」処置をされたという。
ただ、家族は人に頼らず気丈だったお母様が今の生き方を望んでいるのか・・、
疑問に思うとともに、お母様らしさを尊重したいと希望されて管を外すことを決断された。
‘最期まで自宅で自分らしく生きるサポート’をする病院の番組でした。
現在8割の人が病院で最期を看取ることに疑問を抱いた医療者たちの挑戦だそうです。
家に帰りたくても帰れない・・、そんな現実を見てきた医療者が集ったという。
住み慣れた我が家で最期を迎えられるように、患者と家族を支えたいとのこと。
私の母が同じように脳梗塞で緊急入院してから10ヵ月余の間、
介護、看護、医療関係者の多くの人に支えていただきました。
身近においても長い付き合いのある友人から多くの励ましをもらいました。
そんな友人の一人から、「お母様と同じような看取りの番組があったよ」と
ご連絡をいただき、拝見させてもらいました。
意思表示が出来ず寝たきりの状態で、気丈だったお母様の雰囲気は私の母と同じです。
同時に家族の不安な想い、迷いから決断に至るまでの経過も同じでした。
母は中心静脈栄養の点滴ではなく、経腸栄養法で鼻から胃まで管を通して栄養を取りましたが、私たち家族はかなり紆余曲折でした・・。
母が延命治療を望まなかったこと、家族も同様であることをその都度医師に伝えましたが、
「本人が書いた書面が無いから意思確認ができない」「管を外す処置をしたことが無いので」
「栄養で身体は安定しているから」「鼻管栄養の処置をした医師に抜いてもらわないと」
「他の医師を探してください」「経管栄養をする時に断らないと途中下車は出来ない」
「栄養の量を減らすことは出来るが、抜くことはできない」と・・・。
厚労省のガイドラインで医療行為の変更及び中止の話し合いは可能だと記してあることを
伝えましたが「ガイドラインに過ぎませんから」と・・。
家族に寄り添うことは無く、管を取る処置はしてもらえませんでした・・。
家族が最も辛い時間を過ごし、袋小路に入って迷い諦めかけた時でした。
ケアマネジャーさんの紹介で会えた医師は上記の番組と同じように優しい声で
「(管を)抜きましょうね。ご高齢でもあるし、ご本人もご家族さんも望まれていますので」と。
身体から力が抜けていきました。ずっと堪えてきた涙が溢れてきました。
やっと母の願いが叶って、母自身が楽になれると思えました。
コロナ禍で面会も限られていましたが、母に会えて嬉しいと思ったことはありませんでした。
延命治療を望まないことを何度も聞いていた私は母の姿を見るたびに辛い気持ちでした。
脳梗塞の後の後遺症である痙縮から既に拘縮にまでいき、足も手も曲がったままで
伸ばすことは出来ません。自己実現できることは何も無く、寝たきりで鼻から胃へと管を通した
栄養のみで「生きること」に母を頑張らせてしまったことには今でも後悔が残っています。
番組でも言われていましたが、管を抜いて栄養と水分を摂らなければ余命は一週間程度だと。
私の母も6日目の朝に静かに息を引き取りました。
管を抜くことを拒否された医師に余命を尋ねた時に「それは分からない」と言われた。
この後何年も母は寝たきりで意識が分からない状態が続くかもしれないと
悲嘆にくれたことを思い出します。
その後、様々な本などを読んでいると、最期に近い看取りの時には水分を摂ると却って
むくんだり、辛いそうで、身体の水分を出しきった方が安らかに逝けることを知りました。
一人ひとり異なる看取りの時になるかと思いますが、本当に多くのことを学ぶ機会になりました。
ただ、番組でもお母様を看取られたご家族が
「淋しさはありますが、後悔とかじゃなく、亡くなった時からすごく気持ちが穏やかなんです」と。
その穏やかな気持ちの感覚はとてもよく分かります。
やっと母を見送ることが出来たこと、多くの人たちに私達家族が支えられたこと、
家族皆で同じ気持ちを持ち続けられたこと。
本当に穏やかな気持ちで沢山の思い出を整理できていることに感謝です。
患者や家族を支え、寄り添いながら、‘最期まで自宅で自分らしく生きるサポート’へ
挑戦される医療者の皆様を心より応援しています。
・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・
因みに、令和2年(2020年)5月に日本医師会 生命倫理懇談会 答申
『終末期医療に関するガイドラインの見直しと
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の普及・啓発』
として21ページに亘ってまとめられています。
以下、一部を掲載します・・・
人生の最終段階における ACP の重要性と延命措置の開始・差し控え・変更
及び中止等に関して、基本的な考え方及び手続き等を述べた。
患者が延命措置を望まない場合、または本人の意思が確認できない状況下で
ACP 等のプロセスを通じて本人の意思を推定できる家族等がその意思を尊重して
延命措置を望まない場合には、このガイドラインが示した手続きに則って
延命措置を取りやめることができる。
それについて、民事上及び刑事上の責任が問われるべきではない。
本人の意思決定を尊重した医療・ケアを提供し、尊厳ある生き方を実現するために も、
本人が意思を明らかにできるときから、家族等及び医療・ケアチームと繰り返し
話し合いを行い、その意思を共有しておくことが重要になると考える。
従来、延命治療といわれてきたが、現在では、これはもはや「治療」ではな いとする
考え方も有力になりつつあるため、本ガイドラインでは、延命措置と いう言葉を用いた。
89才のお母様が脳梗塞で救急搬送された大学病院で命を繋ぐために
心臓に近い首辺りの太い静脈の点滴から栄養を取る「中心静脈栄養」処置をされたという。
ただ、家族は人に頼らず気丈だったお母様が今の生き方を望んでいるのか・・、
疑問に思うとともに、お母様らしさを尊重したいと希望されて管を外すことを決断された。
‘最期まで自宅で自分らしく生きるサポート’をする病院の番組でした。
現在8割の人が病院で最期を看取ることに疑問を抱いた医療者たちの挑戦だそうです。
家に帰りたくても帰れない・・、そんな現実を見てきた医療者が集ったという。
住み慣れた我が家で最期を迎えられるように、患者と家族を支えたいとのこと。
私の母が同じように脳梗塞で緊急入院してから10ヵ月余の間、
介護、看護、医療関係者の多くの人に支えていただきました。
身近においても長い付き合いのある友人から多くの励ましをもらいました。
そんな友人の一人から、「お母様と同じような看取りの番組があったよ」と
ご連絡をいただき、拝見させてもらいました。
意思表示が出来ず寝たきりの状態で、気丈だったお母様の雰囲気は私の母と同じです。
同時に家族の不安な想い、迷いから決断に至るまでの経過も同じでした。
母は中心静脈栄養の点滴ではなく、経腸栄養法で鼻から胃まで管を通して栄養を取りましたが、私たち家族はかなり紆余曲折でした・・。
母が延命治療を望まなかったこと、家族も同様であることをその都度医師に伝えましたが、
「本人が書いた書面が無いから意思確認ができない」「管を外す処置をしたことが無いので」
「栄養で身体は安定しているから」「鼻管栄養の処置をした医師に抜いてもらわないと」
「他の医師を探してください」「経管栄養をする時に断らないと途中下車は出来ない」
「栄養の量を減らすことは出来るが、抜くことはできない」と・・・。
厚労省のガイドラインで医療行為の変更及び中止の話し合いは可能だと記してあることを
伝えましたが「ガイドラインに過ぎませんから」と・・。
家族に寄り添うことは無く、管を取る処置はしてもらえませんでした・・。
家族が最も辛い時間を過ごし、袋小路に入って迷い諦めかけた時でした。
ケアマネジャーさんの紹介で会えた医師は上記の番組と同じように優しい声で
「(管を)抜きましょうね。ご高齢でもあるし、ご本人もご家族さんも望まれていますので」と。
身体から力が抜けていきました。ずっと堪えてきた涙が溢れてきました。
やっと母の願いが叶って、母自身が楽になれると思えました。
コロナ禍で面会も限られていましたが、母に会えて嬉しいと思ったことはありませんでした。
延命治療を望まないことを何度も聞いていた私は母の姿を見るたびに辛い気持ちでした。
脳梗塞の後の後遺症である痙縮から既に拘縮にまでいき、足も手も曲がったままで
伸ばすことは出来ません。自己実現できることは何も無く、寝たきりで鼻から胃へと管を通した
栄養のみで「生きること」に母を頑張らせてしまったことには今でも後悔が残っています。
番組でも言われていましたが、管を抜いて栄養と水分を摂らなければ余命は一週間程度だと。
私の母も6日目の朝に静かに息を引き取りました。
管を抜くことを拒否された医師に余命を尋ねた時に「それは分からない」と言われた。
この後何年も母は寝たきりで意識が分からない状態が続くかもしれないと
悲嘆にくれたことを思い出します。
その後、様々な本などを読んでいると、最期に近い看取りの時には水分を摂ると却って
むくんだり、辛いそうで、身体の水分を出しきった方が安らかに逝けることを知りました。
一人ひとり異なる看取りの時になるかと思いますが、本当に多くのことを学ぶ機会になりました。
ただ、番組でもお母様を看取られたご家族が
「淋しさはありますが、後悔とかじゃなく、亡くなった時からすごく気持ちが穏やかなんです」と。
その穏やかな気持ちの感覚はとてもよく分かります。
やっと母を見送ることが出来たこと、多くの人たちに私達家族が支えられたこと、
家族皆で同じ気持ちを持ち続けられたこと。
本当に穏やかな気持ちで沢山の思い出を整理できていることに感謝です。
患者や家族を支え、寄り添いながら、‘最期まで自宅で自分らしく生きるサポート’へ
挑戦される医療者の皆様を心より応援しています。
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因みに、令和2年(2020年)5月に日本医師会 生命倫理懇談会 答申
『終末期医療に関するガイドラインの見直しと
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の普及・啓発』
として21ページに亘ってまとめられています。
以下、一部を掲載します・・・
人生の最終段階における ACP の重要性と延命措置の開始・差し控え・変更
及び中止等に関して、基本的な考え方及び手続き等を述べた。
患者が延命措置を望まない場合、または本人の意思が確認できない状況下で
ACP 等のプロセスを通じて本人の意思を推定できる家族等がその意思を尊重して
延命措置を望まない場合には、このガイドラインが示した手続きに則って
延命措置を取りやめることができる。
それについて、民事上及び刑事上の責任が問われるべきではない。
本人の意思決定を尊重した医療・ケアを提供し、尊厳ある生き方を実現するために も、
本人が意思を明らかにできるときから、家族等及び医療・ケアチームと繰り返し
話し合いを行い、その意思を共有しておくことが重要になると考える。
従来、延命治療といわれてきたが、現在では、これはもはや「治療」ではな いとする
考え方も有力になりつつあるため、本ガイドラインでは、延命措置と いう言葉を用いた。