前回、テレキャスターの話を書いたのだが、
テレキャスターを弾いているギタリストでもっとも重要な人を
忘れていた。
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズである。
実はあのテレキャスターを買ったのもキース・リチャーズに
憧れてのことである。
自分がギターを始めたきっかけは、実は寺内タケシさんである。
少年のある日、テレビでかっこよくギターを弾く彼を見て、
とり付かれたようにのめり込んでしまったわけだ。
でも当時のギター少年にとっての憧れの多くは、
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、いわゆる
ヤードバーズの三大ギタリストといわれる人たちだった。
日本人のミュージシャンにもすばらしいギタリストは沢山いた(チャーさんとか)
が当時はロックは日本のミュージックシーンを席巻するようなポピュラーに
はなり得ていなかったわけで、必然、憧れというか、お手本となる人が
海外にしかいなかった。
そんな状況で自分もジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、
それからリッチー・ブラックモア、マイケル・シェンカー、ヴァン・ヘイレン、
はたまた、オジー・オズボーン(ランディー・ローズ)、ゲイリー・ムーア
(うわー、きりがない…)
など、片っ端からコピーしまくっていた。
自分でいうのもなんだが、高校生の頃は自分のギター歴の中でももっとも
テクニシャンだったんじゃないか…。
当然、高校の文化祭にも出て、当時の田舎の高校生が知りもしないような
海外の音楽と驚異的なテクニックを見せ付けたわけだ。
当然、女の子からモテるだろうな、と思っていたら、結果はそうではなかった。
少なくとも、自分の場合は(笑)。
当時の女の子にとっては、ヴァン・ヘイレンよりも俊ちゃんやマッチのほうが
大切だった。今でもそうだと思うが、日本人の女の子に海外の音楽の話を
したところで、それは別世界の話で、誰だって今目の前にあるおいしいものを
拾いたがるものだ。
結局、みんな知っているもの、例えば、たのきんトリオなどの歌を
巧くやればよかったのだが、自分のプライドが許さなかった。
そんなわけでクサクサした、高校生活だった。
ギターなど弾いていても、田舎にいるかぎりは、せいぜい自分ひとりで
部屋にこもって、レコードにあわせてギターを弾いて、ひとりで
悦に入っている、そこを親に見られ気まずい思いをする、という、
これじゃ、自慰行為と大差のない世界なわけで、
「あー、アホくさ。」
と思っていたところ、ある日ラジオから衝撃的なサウンドが流れてきた。
ザ・フーの「Won't Get Fooled Again」である。
これが、すごかった。ギターの早弾きとかテクニック面ばかり追いかけてきた
自分にとって、コードカッティングだけの破壊的なサウンドで
聴いている人をたたき切ってゆく感覚、はたまた、本当にギターを破壊して
しまう、そのサウンドに完全にノックアウトされてしまった。
そんなわけで、ザ・フーのレコードを買いあさっていたわけだが、
彼らも僕が高校生の頃には解散してしまった。
追いかけるものがなくなった気がして、辛かったが、そんな痛みを
いともたやすく吹き飛ばしてくれたバンド、
未だ現役で世界のミュージック・シーンを引っ張っているバンド、
あのビートルズと同世代の大御所バンドがいた。
ローリング・ストーンズである。
大学時代はもっぱらローリング・ストーンズ一色だった。
ちょうど初来日を果たした時期だったので東京ドームに観に行ったしね。
キース・リチャーズは自分のすべてだったと思う。
80年代のバブル全盛の時代、トレンディードラマ、
ポロシャツの襟を立て、チノパンをはいて、テニスラケット片手に
女の子とカクテル・バーに行く、というそんな時代に自分は
細いジーパン、Tシャツの上にジャケットをはおり、
ポケットに片手を突っ込み、もう片手にはタバコをもち、
ヨタヨタとバックビートで歩く、という文字通りヨタ公のようなことを
やっていた。
ギターをもてば、まず最初に鏡の前でポーズを確認する。
テクニックなんか二の次だった。
自分がサラリーマンになるなんて考えられなかったし、
なによりもトレンディーな連中と職場をともにするということが
耐えられないと思っていた。
そういう思いのこもったギター。
要するにモテない男のひがみ根性のこもったギターである(笑)。
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
テレキャスターを弾いているギタリストでもっとも重要な人を
忘れていた。
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズである。
実はあのテレキャスターを買ったのもキース・リチャーズに
憧れてのことである。
自分がギターを始めたきっかけは、実は寺内タケシさんである。
少年のある日、テレビでかっこよくギターを弾く彼を見て、
とり付かれたようにのめり込んでしまったわけだ。
でも当時のギター少年にとっての憧れの多くは、
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、いわゆる
ヤードバーズの三大ギタリストといわれる人たちだった。
日本人のミュージシャンにもすばらしいギタリストは沢山いた(チャーさんとか)
が当時はロックは日本のミュージックシーンを席巻するようなポピュラーに
はなり得ていなかったわけで、必然、憧れというか、お手本となる人が
海外にしかいなかった。
そんな状況で自分もジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、
それからリッチー・ブラックモア、マイケル・シェンカー、ヴァン・ヘイレン、
はたまた、オジー・オズボーン(ランディー・ローズ)、ゲイリー・ムーア
(うわー、きりがない…)
など、片っ端からコピーしまくっていた。
自分でいうのもなんだが、高校生の頃は自分のギター歴の中でももっとも
テクニシャンだったんじゃないか…。
当然、高校の文化祭にも出て、当時の田舎の高校生が知りもしないような
海外の音楽と驚異的なテクニックを見せ付けたわけだ。
当然、女の子からモテるだろうな、と思っていたら、結果はそうではなかった。
少なくとも、自分の場合は(笑)。
当時の女の子にとっては、ヴァン・ヘイレンよりも俊ちゃんやマッチのほうが
大切だった。今でもそうだと思うが、日本人の女の子に海外の音楽の話を
したところで、それは別世界の話で、誰だって今目の前にあるおいしいものを
拾いたがるものだ。
結局、みんな知っているもの、例えば、たのきんトリオなどの歌を
巧くやればよかったのだが、自分のプライドが許さなかった。
そんなわけでクサクサした、高校生活だった。
ギターなど弾いていても、田舎にいるかぎりは、せいぜい自分ひとりで
部屋にこもって、レコードにあわせてギターを弾いて、ひとりで
悦に入っている、そこを親に見られ気まずい思いをする、という、
これじゃ、自慰行為と大差のない世界なわけで、
「あー、アホくさ。」
と思っていたところ、ある日ラジオから衝撃的なサウンドが流れてきた。
ザ・フーの「Won't Get Fooled Again」である。
これが、すごかった。ギターの早弾きとかテクニック面ばかり追いかけてきた
自分にとって、コードカッティングだけの破壊的なサウンドで
聴いている人をたたき切ってゆく感覚、はたまた、本当にギターを破壊して
しまう、そのサウンドに完全にノックアウトされてしまった。
そんなわけで、ザ・フーのレコードを買いあさっていたわけだが、
彼らも僕が高校生の頃には解散してしまった。
追いかけるものがなくなった気がして、辛かったが、そんな痛みを
いともたやすく吹き飛ばしてくれたバンド、
未だ現役で世界のミュージック・シーンを引っ張っているバンド、
あのビートルズと同世代の大御所バンドがいた。
ローリング・ストーンズである。
大学時代はもっぱらローリング・ストーンズ一色だった。
ちょうど初来日を果たした時期だったので東京ドームに観に行ったしね。
キース・リチャーズは自分のすべてだったと思う。
80年代のバブル全盛の時代、トレンディードラマ、
ポロシャツの襟を立て、チノパンをはいて、テニスラケット片手に
女の子とカクテル・バーに行く、というそんな時代に自分は
細いジーパン、Tシャツの上にジャケットをはおり、
ポケットに片手を突っ込み、もう片手にはタバコをもち、
ヨタヨタとバックビートで歩く、という文字通りヨタ公のようなことを
やっていた。
ギターをもてば、まず最初に鏡の前でポーズを確認する。
テクニックなんか二の次だった。
自分がサラリーマンになるなんて考えられなかったし、
なによりもトレンディーな連中と職場をともにするということが
耐えられないと思っていた。
そういう思いのこもったギター。
要するにモテない男のひがみ根性のこもったギターである(笑)。
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト