アレキサンドル・スクリャービン:
・交響曲第2番 ハ短調 作品29
・夢想 作品24
指揮:ネーメ・ヤルヴィ
スコットランド国立管弦楽団
Chandos: CHAN 8462
一ヶ月ちょっと前から精神状態が最悪で、ブログ更新する気力もありませんでした。今も元気ハツラツというわけではないですが、3連休でちょっと持ち直したようです。で、比較的元気だった二ヶ月程前に、このスクリャービンの交響曲第2番を面白がってよく聴いておりました。ところが気分が落ち込んでからは、この曲を聴くのがかなりしんどくなってしまいました。何というか、「オレ様の自己満足」の度合いが高過ぎるのです。どんな芸術作品にも大なり小なりそういう側面はあるものだし、この曲も好きではありますが、無条件で受け入れられる作品ではなかったということでしょうか。もっとも、何時でも誰にでも無条件で受け入れられるものなんて、芸術としては無価値にも等しいですが。
スクリャービンについてはピアノ協奏曲の紹介の時に書きましたが、とにかく特異な作曲家です。作品はピアノ曲が多くを占めますが、交響曲も5つあります。この第2番は作曲者の個性が現れ始めた頃の作品で、スクリャービンの場合は要するに誇大妄想が噴出しだした時代と言えましょう。「悪魔的な詩」と呼ばれる事もありますが、これは何かの間違いのようです。それでも悪魔的に聴こえるのは確かですけど。
全部で5楽章構成で、交響詩的な雰囲気もあります。第1楽章は実質的には序章で、ここで後の旋律が予告されます。冒頭で静かに奏でられる旋律は、短調ながら上下に大きなアクションをしており、何となくクドさを感じさせます。ほぼ連続して突入する第2楽章はさらにクドくて自己満足的な楽章になっており、元気な時に聴くのならば非常に楽しい部分です。穏やかな第3楽章でしきり直したと思ったら、第4楽章では大音響がところどころで炸裂するというこれまたクドい音楽です。そしてそのまま第5楽章になだれ込むと、冒頭の旋律が長調で高らかにヒロイックに提示され、「ああ、作曲家はこれがやりたかったんだ。それにしてもこっ恥ずかしいな…」と思わずにはいられません。誇大妄想的ではありますが、まだその妄想も青いものでして、今後のさらなる成長に期待したくなります。
オーケストレーションははっきり言ってヘタクソで、ひたすら弦楽器が高音で旋律を奏で、金管楽器が合いの手を入れ、木管楽器が時々ピーヒャラいうだけです。それを自己満足的な旋律の積み重ねだけで押し切った、というのが私の印象。だからこそ好きな曲だし、場合によっては聴くのがイヤになるのかも知れません。このディスクでは強めの残響がかかっていて、余計に押しが強くなっています。ちなみにカップリングの「夢想」はピアノ小品を管弦楽曲化したような作品で、口直しにはちょうどいいですよ。
YouTubeにあったアシュケナージ指揮の録音から、もっとも自己満足的な第2楽章。演奏はなかなか整理されているようですが、曲の持つクドさは健在。
クラシックCD紹介のインデックス
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます