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【ゲームクエスト】デスクリムゾンOX+

2010-10-29 17:18:24 | ゲームクエスト
デスクリムゾンOX+(プレイステーション2)

2006年10月17日掲載、不明瞭な点を修正

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 初代「デスクリムゾン」のクソゲー伝説を耳にしてきた私のような者にとっては、本作は良く出来た作品だと思います。快適に遊べるし、上級者は究極のプレイを追求することも出来ます。ところが、プレイしていてやっぱり何かおかしい。それは「悪夢」「気持ち悪い手触り」という印象がぬぐえないからですが、なぜかそれが魅力へと転じているのです。

 初代「デスクリムゾン」は、あまりの出来の酷さに、雑誌やインターネット上で「ゲームになっていない」とさんざんに叩かれ、笑いものにされました。そしてマニア達は、こうなったらものはついでにとことん楽しんでやれと、一周まわって「ゲームとして」熱い攻略プレイに走ったのでした。それもまた、ネット上で評判でした。

 笑いものにされた制作者の方々は、それは苦しかったと思います。なんとか「デスクリムゾン」で汚名を返上したい! そしてネット上の評判を分析し、「悪夢のクオリティ」を「悪夢の導入」へと昇華し、ヘンなノリさえ狂気として拡大し体系化して、本作などの続編を創り上げたのです。ゲームとしての手応えも残したままに。

 この一連の流れの中に、私はゲーム文化の有りようを鮮明に見るのです。オタク文化の中でもさらにマイノリティ文化のクソゲー愛好の中に!

 例えば、文化的とのイメージがある「芸術」そのものが文化であるわけではありません。社会を映し出す芸術(の様式)を、ある程度の人数が「愛好する」ということが文化なのです。ゲームに芸術性を持たせれば文化的になる、というわけではないのです。その意味ではゲームはすでに文化的と言えそうです。

 ただし、芸術とゲームは類似性があります。すぐれた芸術作品は鑑賞者に常に様々な問いかけをしてきます。鑑賞者は作品と対決するのです。ゲームもいわば対決です。デスクリムゾンマニア達も対決してきました。それはものすごいエネルギーでした。私はそこにゲーム文化を見い出すのです。

 また、ゲーム文化が映画や小説などを愛好する文化に漸近するのであれば、メディア文化に埋没し、ゲーム文化としての未来は無いでしょう。ゲームは必ずしも何かの表現を伝えるための「メディア」である必要はないのです。思想やメッセージ性がなくても、文化的たりえるのです。ゲームをゲームとして単純に楽しむことこそが、ゲーム文化なのだと考えるのです。悪夢や狂気もついでに飲み込んで、楽しんでしまおう! つじつまが合わないというなら、思想のないことにこそ価値がある!

 なぁんてことを、本作「デスクリムゾンOX+」をプレイしながら考えていたのですが、まさかクソゲーの代名詞がゲーム文化への扉を開くとは思いませんでした。