国際学どうでしょう

私が気にしている情報のメモ

春の甲子園-外野席の風景

2006-03-27 00:31:48 | 散歩写真
3月26日(日)の第三試合京都外大西VS東海大相模の試合の外野席の様子です。

日曜日の午後でしかも近畿勢の登場で、スタンドはほぼ満員でした。試合よりも東海大相模のブラスバンドの演奏がうまいのに感心しました。

阪神甲子園駅では、野球開催時に混乱を防ぐため、普段は閉まっている北口を開けます。これがその北口です。一件何の変哲もないこのようなものを、いい年をしたおじさんが、嬉しそうに写真を撮っているのは、他人からは奇妙に見えたようでした。自転車に乗ったご婦人が、冷ややかな目で私を眺めて去っていきました。
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高校での授業(3)-日本近現代史の立場から

2006-03-27 00:23:52 | 国際学入門の入門
 短時間で、国際関係論を高校生の皆さんの関心を引くようにお話しするのは、私の力に余ります。だから、最近では、私の専門(日本近現代史)の立場から、国際関係をどう見るかというお話をすることにしています。

 私の専攻は、歴史の一部門です。きわめて地味なもので、要するに古い文書や書物をあさって、それを読んで、考えてまとめるという学問です。全く先進的でない。むしろ、華やかな国際学部を落ち着かせていると言えるでしょう。
 
 しかし何か新しいことを期待して、国際学部に来た学生さんを失望させることがあります。昨年度にも、ゼミの学生さんに「フィールドワーク(実地調査)はやらないのですか」と尋ねられましたが、「やらない」と言ってひどく失望させたようです。
 
 ところで、日本近現代史を研究するのに、なぜ外国のことも一緒に勉強する必要があるのでしょうか?
 
 皆さんもご存じの通り、日本の近代は、黒船来航により、開かれました。その後の日本の繁栄も失敗も、国際的環境に左右された側面が強いのです。たとえば全世界が1930年代に同時不況に陥ったとき、新興の日本は、現状打破を求める余り、武力に頼りすぎて、侵略戦争を起こしてしまいました。また戦後の日本の繁栄も、パックスアメリカーナ(アメリカの平和)を無視する訳にいきません。
 
 さらに第二に、他者の視点から、自己の社会を眺めることが、私たちの知見を広げるかもしれないのです。私たちは、物事をありのままに客観的に見ているつもりです。しかしそう考えるのは正しくないでしょう。私たちは、何らかの色眼鏡をかけて、物事を見ていると考えた方が適切でしょう。別の視点(他国の視点、他文化の視点)から、同じことを見れば違った風に見えているということがあるのです。(もちろん別の視点も、色眼鏡付きであることには違いありません。しかし私たちのとは違う色眼鏡をかけているので、別のものが見える可能性があるのです。)
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