荻野洋一 映画等覚書ブログ

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新宿の中の下町 抜弁天

2010-03-24 02:09:45 | 身辺雑記
 ばたばたと落ち着かぬ仕事の合間を縫って、彼岸の墓参りをした。以前にも書いたかもしれないが、「荻野家之墓」は新宿・抜弁天きわの某寺境内にある。
 ゴールデン街や歌舞伎町からも至近距離にあり、地下水脈には美醜混交となったアルコール養分がちゃんぽんに染み出て、死後佇むにもってこいの地所である。その点では、灰色に終始している生前に対して、薔薇色の死後が待ち遠しくて仕方がない。5年前にこの墓に入った亡父も、さぞかし快適に眠っていることだろう。

 たまさか先日、川本三郎の『きのふの東京、けふの東京』(平凡社)なる新刊に目を通していたら、一章を割いて抜弁天界隈(新宿六丁目、七丁目)について触れてくれている。まあ、余丁町の荷風の実家がほど近く、新宿文化センターあたりが『日和下駄』にも出てくるのだから、これは当然か。戦災であまり焼けなかったせいで、この辺はいまだにまったく新宿らしくない下町風の古びた町並なのだが、意外にも私がヴェンダースの映画と出会ったのは、新宿文化センターの視聴覚室で見た『さすらい』が最初であった。
 両親がマイホームを買い求めた埼玉県内の閑静な住宅街で平和に育ったものの、祖父母の家があったり、幼いころに火炎瓶による交番焼き討ちの美しい炎を見学したりと、東新宿こそやはり、わが心のふるさとと言っても過言ではない。中学時代は、佐藤重臣が水炊き屋「玄海」の裏手でやっていた「黙壺子フィルムアーカイヴ」でジャン・エプスタンやルネ・クレールの映画、フレッド・フリスのフィルムライヴなどを見た。高校も大久保ロッテ工場の裏手にある私立男子校に通い、さらに大学も少し北上した早稲田に通った。しかし不思議と大学を出てからは、墓参か法事くらいしかこの界隈とは縁がなくなってしまう。あとは「小野ライト」や「東洋照明」に照明機材を借りに行くか、「福島音響」でアフレコ&ダビングをするかしたくらいであろう。

 抜弁天から女子医大方面に少し行った、都営大江戸線の若松河田駅前に「小笠原伯爵邸」という、旧華族の洋館をリフォームしたミシュラン1つ星のスペイン料理店があり、その真ん前に「ぎゃらりい松」という、唐津焼のわりにいい物が出ている店があった。東京に唐津の専門店は皆無に等しいため、以前はよく墓参帰りに寄ってウィンドウを眺めたものである。
 ここの女主人が、私好みの鉄絵、刷毛目のいいのを見つくろってくれると請け合っていたが、しばらく訪ねぬうちに店じまいしてしまった。はたして廃業前においても、鉄絵、刷毛目の出物は仕入れておいてくれたのであろうか? 数年前のこの不義理が依然として、心に刺さった小骨となっている。