荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『おかる勘平』 マキノ雅弘

2014-01-22 22:04:23 | 映画
 自分が単にだらしない懐古趣味の人間ではないかと考えさせられる瞬間がやってくるのは、現代においても際々の現代性を誇示してやまぬ小津安二郎映画を見ている時ではなく、岸井明の150kgの球体じみた巨漢を眺めながら癒やされている時である。
 木村荘十二『純情の都』『三色旗ビルディング』、矢倉茂雄『踊り子日記』、伏水修『唄の世の中』、山本嘉次郎『新婚うらおもて』…と、P.C.L.(東宝の前身)で撮られた1930年代の都会派喜劇で岸井明がどれほど輝いているか、私はいつまでも考えていられる(『踊り子日記』では、単にヒロイン千葉早智子にからむ酔っぱらいだが)。どんなに気分が落ち込んでいても、これらP.C.L.のナンセンス喜劇での岸井明の脱力した、あきらめの中の賑々しさ、150kgの巨漢が醸す癒し効果は、つねに素晴らしい処方箋となってきた。

 そんな岸井明の十八番といえる場面を、このたび初見かなったマキノ雅弘『おかる勘平』(1952)の中に認めた時、私の涙腺は思わず弛んでしまう。
 『おかる勘平』は、帝国劇場(現在の前の建物)を舞台にした、エノケンと越路吹雪ダブル主演のバックステージもの。前年の1951年に帝劇が初演したオペレッタを小国英雄が映画脚本として書き換えた。デビュー間もない岡田茉莉子がバックダンサー役の中に紛れていたりと見どころ多いことこの上なし。
 帝劇の食堂でカツライスを待つ岸井明が「早く早く! 稽古のベルが鳴っちゃうじゃないか」とあせり顔で訴えると、画面左からすっと現れた特大のトンカツ、おひつ1杯分そのままとあるだろうライスがうずたかくそびえている。さあ食べようという時、案の定、稽古開始を告げるアナウンスが鳴り響くのである。「どうせこうなると、分かっていたよ」とでも言いたげにカツライスに背を向けて立ち去るその姿は、岸井明というボードビリアンの魅力を余すことなく示しているのだ。
 結婚引退を発表して劇場を去った越路吹雪がラストシーンで婚約者の許しを得ることに成功、帝劇のバックステージに戻り、スタッフ・キャストの注目の中、階段を下りてくる場面の見開かれた目、いとしの共演者エノケンの名前を連呼する叫びは、「わが人生、ここにあり」と雄弁に語っている。エノケンや岸井明もふくむピエル・ブリアント、笑いの王国と続く1930年代の東京喜劇シーンが、大戦による壊滅をはさんで、ここに残照として映えているのだ。

 また、帝劇の実景カットを見てはじめて知ったが、当時の正面玄関は皇居の方を向いていたのか。おそらく当時の観劇客は旧・都電の「馬場先門」で下車して内堀に沿って劇場に向かったはずである。現在の帝劇の玄関は第一生命の方を向いているが、これは有楽町駅からのアクセスを考慮しての設計であろう。
 それと、暗くてはっきりしないが、GHQに接収されて本部として使用された、お隣の第一生命も写っている。本作が公開された1952年3月からわずか1ヶ月後の4月28日、サンフランシスコ講和条約の締結によってGHQは第一生命ビルから撤収し、「オキュパイド・ジャパン」の時代が終わっている。


神保町シアター(東京・神田神保町)で上映
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/