荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『マイヤーリング』 アナトール・リトヴァク

2014-01-16 02:30:52 | 映画
 “マイヤーリング” とは、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇室狩猟場のあった村の名前で、すぐに思い出すべきなのは、本作『マイヤーリング』(1957)ではなく、有楽町朝日ホール〈フランス映画の秘宝〉での上映も記憶に新しい『マイエルリンクからサラエヴォへ』(1939)だろう(ただし、マイエルリンクというのはちょっと知ったかぶりの発音法で、実際はマイヤーリングという発音のほうが適切)。
 マックス・オフュルスによるこの美麗なるフィルム体験には比べるべくもない、ごく標準的なメロドラマ体験としてアナトール・リトヴァクの『うたかたの恋』(1935)という作品があって、これはDVDやテレビ放映でいつでも見られる、いわゆる名作。題材からすると両者は双子のような作品だ。『うたかたの恋』は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の実子であるルドルフ皇太子が、男爵令嬢と心中するまでの悲恋メロドラマ。『マイエルリンクからサラエヴォへ』では、ルドルフ皇太子の死後に皇位継承者に指名されたフランツ・フェルディナント大公が女伯爵と恋に落ちる。フランツ・フェルディナント大公がサラエヴォでセルビアの愛国青年に暗殺されたことで、第一次世界大戦が勃発したのは、教科書の知識だ。
 皇位継承者が傾城の恋に身をやつし、破滅する点ではきれいに相似形を描いている。またこれは、ハプスブルク皇室の落日が、このようなメランコリアの反復運動をへながら進行していったことを如実に示す。

 ウクライナ系ユダヤ人監督アナトール・リトヴァクは、たとえば蓮實氏からはオフュルスの偉大さを強調するために、ごく標準的な説話行為に収める凡庸な監督として名が挙がる程度の人だが、もちろん全然ダメではないというのは前提となる。事実、ジェームズ・キャグニー主演のボクシング映画『栄光の都』(1940)などは、ラオール・ウォルシュもかくやという香しさを湛えていたものである。
 ところで今回初公開となる幻の作品『マイヤーリング』は、じつは単発もののテレビドラマで、『うたかたの恋』の同一監督による22年ぶりリメイクである(『うたかたの恋』も原題は『Mayerling』)。日本でもそうだが、当時の技術的限界としてVTRへの録画と編集が不可能だったため、テレビドラマは一発本番の生中継だった。したがって作品は現存していないと思われたが、キネトスコープという、言わば生中継のモニターを再撮影するキネコ技術を駆使して、フィルムの形で保管されていたのだそうだ。ただしオンエア時はカラー放送だったが、残されたのはモノクロフィルムである。生中継ドラマという未熟なメディアに挑むにあたって、リトヴァクとしては、勝手知ったる『うたかたの恋』のリメイクという安全牌を選択したのにちがいない。

 格という点でオードリー・ハプバーンより偉大な女優あまたいるけれども、彼女ほど商品価値の衰えぬ人はいないというのは、すこし不思議な感じもする。この『マイヤーリング』の奇跡の復刻も、オードリーをもっと見たいという汎地球的欲望のなせる業だろう。これは、『ローマの休日』から4年後の彼女である。私にとってはむしろ、メル・ファーラーの苦悶にやつれた顔貌を「ひとつの新作」として見られたのは、僥倖であった。


1/4(土)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ、新宿シネマカリテほかで上映
http://www.mayerling.jp