荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『はじまりのみち』 原恵一

2013-06-22 08:14:04 | 映画
 戦意高揚映画、国策協力映画であるはずの『陸軍』(1944)のラストで、出征する息子に田中絹代が泣きながら追いすがる演出があまりにもウェットに過ぎるということで、軍部から批判された映画監督・木下惠介は、デビュー間もない32歳で沈黙を余儀なくされる。この期間の1945年6月、脳梗塞で闘病中の母親を疎開させるために、母親をリヤカーに乗せて60㎞の山道を引いて歩き通す。たったそれだけのエピソードだけで成り立つのが、今回の木下生誕100年記念映画『はじまりのみち』で、よくもまあこんな地味な企画が通ったものである。戦時における孝行息子の一昼夜におよぶ道行きという点では、主人公が木下惠介である必然性がないほどに抽象化された物語である。
 そこに戦意高揚への違和という、いわば現代に一脈通じそうな位置どりで、木下の庶民的エモーションを援用するあたりの製作側の政治的バランス感は非常にすばらしい。また、山間部の道行きを緩慢なトラヴェリングで撮らえ続けるという運動感覚は、木下的というよりよりは清水宏的と言ったほうがいいだろうが、これは広く「大船調」と見てよく、「大船調」がノスタルジックなホームドラマや軟弱なメロドラマだけに与えられた仇名でないことを改めて思い出させる。
 問題となった『陸軍』のラストシーンが途中で引用されるが、息子の姿を遮二無二追いかける母親(田中絹代)を撮らえる横移動ショットの凄味は、改めて見ても異様なほどで、このシーンはどれだけ苦労して撮ったのだろう? 『日本の悲劇』『太陽とバラ』『惜春鳥』の激烈な例を引くまでもなく、私たちは、木下惠介がトラヴェリングの名手であったことも思い出さなければならない。
 また、このわずかなオフ期間における諸事象が、その後の木下映画の予兆となっている演出も心憎い。母親を負ぶさって山を歩く体験から『楢山節考』(1958)を予期させ、川の向こう岸を児童に囲まれて歩く女教師(宮凬あおい)の浮かぬ表情を見て『二十四の瞳』(1954)を、戦時中に沈黙を余儀なくされる自身の心中に『少年期』(1951)の父親像(笠智衆)を、恋人たちを乗せた馬車に対する憧憬から『わが恋せし乙女』(1946)を、空腹時にいだくカレーライスへの欲望から『破れ太鼓』(1949)を、日の出に手を合わせて拝むというしぐさから『野菊の如き君なりき』(1955)を、作者ともども予期させていくイメージ的遊戯である(余談ですが私はやはり『野菊の如き君なりき』が木下では一番好きですね)。もちろん母親への包み隠すことなき思慕は、彼の全フィルモグラフィを貫通するものだろう。主人公(加瀬亮)の母親を演じた田中裕子は、今秋公開予定の青山真治『共喰い』ともども、今年の助演女優賞確定である。


東劇(東京・築地)ほか全国で公開
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