荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『華麗なるギャツビー 3D』 バズ・ラーマン

2013-06-19 07:17:46 | 映画
 『華麗なるギャツビー』といっても、ロバート・レッドフォード主演の前回映画化(1974)はまったく参照するべくもない。同じフィッツジェラルド原作だが、前回と今回では内容も製作条件もあまりに乖離している。ようするに今回は完全にバズ・ラーマンの映画になっているためである。
 バズ・ラーマンの代表作『ムーラン・ルージュ』が公開された2001年、横浜国立大学での「映像論」の授業で、私はバズ・ラーマンを「現代映画で最も気の小さい監督」と紹介した記憶がある。『ムーラン・ルージュ』は1カットの長さが1秒以下しかない。取っ替え引っ替え次から次へとカット割りされて、忙しいことこの上ない。当時はこれが、相も変わらぬ「MTV感覚」の名のもとにハリウッド新時代のごとく見られたりもしたのだから、なんと牧歌的だったのだろう。カットを細かく刻みさえすれば「見る側が退屈しない」などという貧しい発想は、TVディレクターのなかでも最も単細胞な層だけが信じている邪教であって、こんな輩は「テンポの遅い映画は貧しい映画」と本当に信じ切っているのだから、笑止千万である。日本だとひな壇形式のバラエティがちょうどバズ・ラーマンのテンポに相通じる。
 それにしても気の小さい監督でも、ここまでできるのか! 今回版『華麗なるギャツビー 3D』が現出させる1920年代バーレスクのヒップホップ化は、バズ・ラーマンの功の部分である。才能のない監督のもとでも、巨額の予算とスタッフ、キャストの力でここまで見応えあるものができてしまうのである。
 ただし、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2003)以降のレオナルド・ディカプリオは、『ジャンゴ』『J・エドガー』『インセプション』『シャッター アイランド』『アビエイター』など、アイデンティティ危機を孕んだ謎の人物だの、権力者だのそんなのばかりを演じている。「現代のオーソン・ウェルズ」でも目指しているのだろうか、顔つきも心なしかそんな風になってきてしまった。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか全国で公開
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