荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ヘルタースケルター』 蜷川実花

2012-08-05 01:44:51 | 映画
 蜷川実花の活動はこれまで写真にしろ映画にしろスルーしてきたが、いまこの2012年という時間に『ヘルタースケルター』が作られたことはとても意義深いような気がする。その極彩色の映像は、さして期待していたわけではないこちら側をしたたかに出し抜く、度肝を抜くという地点には達してはいないかもしれない。また、ヒロインのりりこ(沢尻エリカ)の錯乱の進行に呼応して、画面はパニックのようにイメージの奔流となるが、同一テイクかそれに類するフッテージが何度も再使用されているのは、いささか興ざめでもある。
 しかし、これは一にも二にも沢尻エリカを見るための作品なのである。ここ数年の舌禍、結婚、離婚、薬物疑惑など数知れぬスキャンダルでひたすら昼ワイドショーの素材に堕ちていた彼女がどこかすがりつくように、自分と二重写しのような主人公を演じる。観客のほとんどはあえて〈りりこ≒沢尻エリカ〉を措定して画面と対峙しようとするだろう。その方がおもしろいからだ。そして、そういう容赦のない視線を受けとめつつ、崩れ落ちそうな予感も漂わせた肢体は、〈いま、ここ〉にしか存在しえないスリリングなドキュメンタリー的体験を対峙者に与えることに、かろうじて成功している。
 岡崎京子の原作を私は読んでいないが、映画への優れた理解者である岡崎のことだから、おそらくエミール・ゾラの小説『ナナ』を映画化(1926)したジャン・ルノワールとカトリーヌ・エスランへの讃辞が込められているだろう。ゾラが産みだしたヒロインの女優は、紳士たちを手玉にとって破滅させたあと、天然痘にかかり最後は醜い姿と化し、パリの片隅で人知れず死んだ。全身整形の副作用という随分とヘンテコなテーマ設定から始まる本作のヒロインはこの東京という街で、最後にはどうなるのか? それはここで言うべきではあるまい。ただひとつ、りりこの不安はわれわれ東京都民すべての不安と相通じている。経済縮小による国際的地位低下、天災による第二のカタストロフへの漠然とした不安。いずれにしろ、すべてが近々終わりそうだという自暴自棄で空疎な宴の中にいる点では、りりこも私もたいして変わりはしないのだ。
 最後になったが、上野耕路のサウンドトラックが非常に素晴らしかったことを追記しておかねばならない。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか全国で上映中
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