今年に入って、現代中国映画を代表する3人の映画作家によるそれぞれの文化大革命の総括を、比較しながら見ることができた。張藝謀(チャン・イーモウ)は『サンザシの樹の下で』で、山田洋次的ノスタルジアを復活させるための舞台装置として文革をおそらく意図的に矮小化させてみせたし、ドキュメンタリー作家の王兵(ワン・ピン)は自身初の長編劇映画となった『無言歌』で、強制収容所生活の描写を勅使河原宏のごとき即物的な不条理劇にまで昇華させてみせた。
『僕は11歳』の王小帥(ワン・シャオシュアイ)は、思春期を迎える前の男の子の生態を、運動感あふれる手持ちカメラで追い続ける。作家たちは個々のモチベーションで作品を単に撮りあげているのであって、たまたま文革という共通点をあげつらって比較されるのは迷惑な話だろうが、観客としてのこちら側は勝手なものである。
1975年。ロケ地は中国西南部、鬱蒼と切り立つ亜熱帯の高原に囲まれた貴州省。ここで疑似体験しうる子どもたちのありように対しては、ジャン・ヴィゴ、清水宏、稲垣浩、フランソワ・トリュフォーを思い出すのはやや評価しすぎかもしれないが、最近のものでは塩田明彦の『どこまでもいこう』(1999)も思い出される。と同時に、『僕は11歳』の悲痛さにはどこか他人行儀な面があって、その点がいい。
1975年という文革末期の状況が重く頭をもたげてはいても、脳天気な遊びの映画であった前半が終わると、後半の川遊びのシーンから突如として暗い影が差しはじめ、あたりを冷気が漂いはじめる。主人公がひそかに慕う5才年上の少女を陵辱した革命委員会の局長が少女の兄に殺されるといった事件、放火事件が、主人公の知らぬところですでに起こっている。
終盤のシーンで、主人公は父親と共に森へ写生に出かけた帰りに夕立に遭い、少女の家で雨宿りすることになる。少女は濡れた服の着替えを手伝ってくれ、居間では、右派の烙印を押されパージされた父親同士が悲嘆に暮れた会話を交わしている、という三極の中央に少年は立たされる。振り向くなという少女の言葉にもかかわらず、おそるおそる背後に目を投じると、彼女もまた濡れた衣服を脱ぎはじめているのが見え、少年は場を和らげる言葉を少女の背中に向かって口に出す勇気はなく、かといって居間でしゃべる父親たちの絶望を共有することもできない。少年はただ、黙ったまま立ち往生するしかない。緊張感にみちた数秒間である。
第24回東京国際映画祭《アジアの風・中東パノラマ》部門で上映
http://2011.tiff-jp.net/
『僕は11歳』の王小帥(ワン・シャオシュアイ)は、思春期を迎える前の男の子の生態を、運動感あふれる手持ちカメラで追い続ける。作家たちは個々のモチベーションで作品を単に撮りあげているのであって、たまたま文革という共通点をあげつらって比較されるのは迷惑な話だろうが、観客としてのこちら側は勝手なものである。
1975年。ロケ地は中国西南部、鬱蒼と切り立つ亜熱帯の高原に囲まれた貴州省。ここで疑似体験しうる子どもたちのありように対しては、ジャン・ヴィゴ、清水宏、稲垣浩、フランソワ・トリュフォーを思い出すのはやや評価しすぎかもしれないが、最近のものでは塩田明彦の『どこまでもいこう』(1999)も思い出される。と同時に、『僕は11歳』の悲痛さにはどこか他人行儀な面があって、その点がいい。
1975年という文革末期の状況が重く頭をもたげてはいても、脳天気な遊びの映画であった前半が終わると、後半の川遊びのシーンから突如として暗い影が差しはじめ、あたりを冷気が漂いはじめる。主人公がひそかに慕う5才年上の少女を陵辱した革命委員会の局長が少女の兄に殺されるといった事件、放火事件が、主人公の知らぬところですでに起こっている。
終盤のシーンで、主人公は父親と共に森へ写生に出かけた帰りに夕立に遭い、少女の家で雨宿りすることになる。少女は濡れた服の着替えを手伝ってくれ、居間では、右派の烙印を押されパージされた父親同士が悲嘆に暮れた会話を交わしている、という三極の中央に少年は立たされる。振り向くなという少女の言葉にもかかわらず、おそるおそる背後に目を投じると、彼女もまた濡れた衣服を脱ぎはじめているのが見え、少年は場を和らげる言葉を少女の背中に向かって口に出す勇気はなく、かといって居間でしゃべる父親たちの絶望を共有することもできない。少年はただ、黙ったまま立ち往生するしかない。緊張感にみちた数秒間である。
第24回東京国際映画祭《アジアの風・中東パノラマ》部門で上映
http://2011.tiff-jp.net/