荻野洋一 映画等覚書ブログ

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横浜吉田町「登良屋」

2007-06-01 01:40:00 | 味覚
 梅本洋一は、横浜・旧市街に不案内の僕を、吉田町にある古い天婦羅屋「登良屋」に連れて行く。最初「とらや」に行こうと聞いたとき、虎屋を連想した(あそこの黒羊羹「おもかげ」は僕の好物)。
 野毛町と伊勢佐木町の中間にある、やや淋しげな街区が吉田町なのだが、商店の上のアパートメントなど、ちょっと雰囲気のある街区である。角を曲がると、右手に「濱新」という名門のうなぎ屋、左手に「野毛おでん」というおでんの老舗があったのだが、もうそのあたりから、胡麻油の揚げる旨そうな香りが濃厚に漂っている。

 くたびれたバラック建ての引き戸を開けると、意外や店内は立派で奥が深い。座敷は古びてはいるが、《旨いぞ》光線が四方から発せられている。待つこと10分ちょっと、注文した天丼が来る。芝えび、ししとう、茄子、椎茸、柚子入りかき揚げに、関東人好みの甘辛ダレがちょうどいい量だけかかっており、すこぶる美味。新香、味噌汁付き。

 旨いものを食べるといつも思うのだが、幸福感ばかりでなく、感謝の念が頭をもたげてくる。丁寧な仕事をこなす店の人々への感謝なのか、連れてきた人への感謝なのか、それとももっと漠然とした生そのものへの感謝なのか、よくわからない。
 それは昨夜に食べに行った、日本橋人形町の芸者新道という粋な路地(かつて芳町と呼ばれた地区)にそっとたたずむ寿司屋「O」で出されたコハダ、煮ハマグリといった江戸前の握りもしかり。毎日ネタの性質の違いに合わせて、締め方、包丁の入れ方を変えるのだという。

 こうした毎日の仕事への真摯さ、丁寧さ、謙虚さ、そして食べる人を思いやるもてなしの心というものは、それ自体が感動的であり、賞讃と感謝の念に値するものである。文章にすると、やや大仰な表現になってしまうが、「登良屋」で天丼を頬ばりながらついそんなことを考えた。

 こうした店々がある限り、そしてその中で職人たちの手間を惜しまぬ意地と、もてなしのプロフェッショナリズムが健在である限り、それは断じて「テーマパーク」だとか「ノスタルジー」などという矮小化された用語とは無縁の事柄なのである。

P.S.
「登良屋」は7月から天丼をしばらくやめてしまうらしい。どうやら食材調達の問題らしい。試すならなる早。