ルビッチにせよホークスにせよ、ハリウッドの古典を集中的に見た学生時代、室内の男女が立ったまま会話するシーンを眺めていて、訳もわからず感動がこみ上げてくることがあった。私たち日本人は、腰かける、あるいはしゃがみ込むことからコミュニケーションのスイッチが入るのであって、立ったままおこなうのは、もっぱら炊事、洗濯、掃除、洗顔、着替えなど、家事や身だしなみといった姿勢に限られる。だから、ドアを開けてつかつかと歩み寄りながら激しい議論の応酬がすでに開始されている、といった光景はカルチャーショック以外の何物でもなかった。このショックには、あんな風にフランクに他人と応酬できたらさぞかし痛快だろうという憧憬が混じる。
サルトルの1959年の戯曲『アルトナの幽閉者』が、東京・初台の新国立劇場小劇場で上演されている(演出 上村聡史)。3時間半にわたり登場人物たちがもがき苦しむこの舞台を眺め続け、私の意識へとヴィヴィッドに突き刺さったのは、ナチスドイツが滅んで15年の歳月が経ったハンブルクのブルジョワジー家庭のだれもが立ち尽くしまま考え、しゃべり、家族と対峙するという、演技者の現象的側面であった。逆に、登場人物のだれかが椅子に座るという行為は、なにやら相当の決心を必要とする行為であるかのように演出されている。
劇の後半、フランツ(岡本健一)の部屋に入りびたるようになったフランツの弟妻ヨハンナ(美波)が、ヒトラーの肖像写真の真下に椅子を運んできて、観客に正面から向き合う角度で腰かけてみせるとき、これはなにやら、あってはならぬ事態が起きてしまったのような、奇妙な切迫感があたりにただようのだ。私には、まっすぐ前に視線を送る美波の正面の顔が、大島渚の映画における佐藤慶のように見えた。
アルジェリア戦争の最中に書かれた本作は、フランツの従軍体験への悔悟をねちっこく描写することによって、フランス公安部隊によるアルジェリア人への残虐な拷問をサルトルが暗喩的に告発したもの、というシニフィエが説明されている。そして、革新的な企画選びに定評のある新国立劇場が、現代日本の政治的状況を鑑みて、『アルトナの幽閉者』の上演を決めたことは、火を見るよりも明らかである。
しかし、そのことを十二分に受け取りつつも、私はどうしても、上演における演出アプローチ、あるいは単に手癖のようなもの、そういう舞台上のフィジカルな磁場を探そうとしてしまうのである。
サルトルの1959年の戯曲『アルトナの幽閉者』が、東京・初台の新国立劇場小劇場で上演されている(演出 上村聡史)。3時間半にわたり登場人物たちがもがき苦しむこの舞台を眺め続け、私の意識へとヴィヴィッドに突き刺さったのは、ナチスドイツが滅んで15年の歳月が経ったハンブルクのブルジョワジー家庭のだれもが立ち尽くしまま考え、しゃべり、家族と対峙するという、演技者の現象的側面であった。逆に、登場人物のだれかが椅子に座るという行為は、なにやら相当の決心を必要とする行為であるかのように演出されている。
劇の後半、フランツ(岡本健一)の部屋に入りびたるようになったフランツの弟妻ヨハンナ(美波)が、ヒトラーの肖像写真の真下に椅子を運んできて、観客に正面から向き合う角度で腰かけてみせるとき、これはなにやら、あってはならぬ事態が起きてしまったのような、奇妙な切迫感があたりにただようのだ。私には、まっすぐ前に視線を送る美波の正面の顔が、大島渚の映画における佐藤慶のように見えた。
アルジェリア戦争の最中に書かれた本作は、フランツの従軍体験への悔悟をねちっこく描写することによって、フランス公安部隊によるアルジェリア人への残虐な拷問をサルトルが暗喩的に告発したもの、というシニフィエが説明されている。そして、革新的な企画選びに定評のある新国立劇場が、現代日本の政治的状況を鑑みて、『アルトナの幽閉者』の上演を決めたことは、火を見るよりも明らかである。
しかし、そのことを十二分に受け取りつつも、私はどうしても、上演における演出アプローチ、あるいは単に手癖のようなもの、そういう舞台上のフィジカルな磁場を探そうとしてしまうのである。