大人と子どものための世界のむかし話13/タンザニアのむかし話/宮本正興:編訳/偕成社/1991年
どこの国にもトリックスターがいて、アブヌワスというのはスワヒリ昔話に登場します。
・むち打ちのやまわけ
なかなか王さまにあえないアブヌワスが門番長に「王さまからなにかいただきものがあれば、やまわけしよう」と約束し、王さまにおめどおりします。
アブヌワスは王さまの前で、あいさつもできない不作法者なので、百回のむち打ち刑で、しかるようにお願いします。
きのりがしない王さまでしたが、しかたなく、それはそれはお手やわらかな やさしいむち打ちでした。
五十回のむち打ちをおえたとき、アブヌワスは門番長ととりかわした証文をとりだし、半分の五十回は、門番長にむち打ちするようにいいます。
おかげで、門番長はよくばり者として、ひどくむちで打たれ、アブヌアスと、やまわけの約束したことを後悔します。
・生きているものは死に、死んでいた者は生きかえる
金欠病のアブヌワスが、王さまにお目通りして、妻が死んだと伝え、そのあとに妻がお妃さまのところに出かけ、アブヌワスが死んだとつたえ、とむらいの金をもらうことにします。
目論見どおり白い綿布とお金を手にいれた夫妻でした。
ところが、王さまが疑問に思って、使者をアブヌワスのところにやると、妻が埋葬用の白い綿布でおおったアブヌワスの体をあらっていました。そのときアブヌワスが大きなくしゃみをしてしまいます。アブヌワスは「慈悲深く、慈愛あまねきアッラーのみ名において。生きているものは死に、死んでいた者は生きかえる、これ万物流転のことわりよ」と、つぶやきます。
そして、王さまがなぜだましたかと問うと「今朝、妻が本当に死んで、わたしが埋葬しました。しかし、そのあとで妻は生きえったのです。たったいま、わたしも死んだのですが、妻が埋葬しようとしたところ、こうして生きかえったのでございます。」
なにかこじつけのような話。
・九百九十九リアルのもうけ話
アブヌワスは「たとえ神さまから、九百九十九リアルいただけることになっても、わたしはちょっきり一千リアルでなければ いただかない」という。
ものずきなお金持ちが本当にそうか九百九十九リアルをアブヌワスの家の前庭にそっとおいておきます。
アブヌワスは、お金を数え九百九十九リアルしかないが、それでも結構なことだと自分のものにしてしまいます。
お金持ちが、いうことがちがうというと、アブヌワスは、一リアル神さまにお貸ししておけば、ちかいうちにくださるだろうといいかえします。
ペテンにひっかかった金持ちが、王さまに訴えようとすると、アブヌワスは、貧乏なため宮殿にいく服やターバン、のっていくロバもだしてくれといいます。
そして宮殿につくと、服もロバもお金持ちのものだという証拠はなにもないと、自分のものにしてしまいます。
アブヌワス、やや やりすぎです。
・二階売ります
アブヌワスが二階建ての家を建て、買い手を探しますが、なかなか見つかりません。
あるお金持ちに、そのいえの二階だけを安く売ることに成功しますが、一階もなんとか売りつけようとします。
法外な値段なので、金持ちは買う気持ちはまったくありません。ところがアブヌワスは、人夫を連れてくると、一階の空き部屋を取り壊そうとします。
人夫たちが柱を倒したり、ドアをこわしはじめたので、金持ちはアブヌワスのたくらみにまけて、法外な値段でその家をまるごと買うことになりました。
・こどもをうんだなべ
ロバのためにとなりから大きな鍋をかりたアブヌワスは、鍋を三日後にかえすとき、大きな鍋の内側に小さな鍋をいれておきました。隣の男が、小さな鍋はわたしもものでないというと、鍋が子どもを産んだのだから、おまえさんのものだといいます。
それから三日後、隣の男は、大きな鍋をアブヌワスに貸しますが、こんどはいつまでたっても鍋をかえしてくれません。鍋を返してくれというと、アブヌワスは、「鍋はかわいそうに死んでしまった」といいます。そして「子どもをうむものは、なんだって最後には死んじまうってこと、お前さんは知らないのか」とこじつけ、小さな鍋と大きな鍋の交換に成功します。