さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

名古屋旅行記(6)

2007-02-12 00:13:06 | 
さぁ、いよいよ名古屋旅行記も終盤です。
北館から入場したわたしたちは、今度は南館に進みます。
南館が魅せるエリアだとすれば、南館は観るエリアです。
全3階のうち、エリアを細かくわけ寒い地域から暑い地域まで、それぞれの環境に住む海の生物を見ることができます。

南館に入ってすぐのエリアは、「日本の海」です。
マグロをはじめとする回遊魚から、湾岸に生息するヒトデまで実に多くの生物が生息することがわかります。
近年あまり騒がれなくなりましたが、汚染されつつある日本近海にも、その逆境にくじけずに住み続けている生物がいることは実に驚くべきことです。
近くに住む海の生物が気に掛かるのか、意外と多くのギャラリーを得ていたことは驚きでした。
北館の1階は、南館の2階に当たります。
南館2階から、1階に下りればそこは日本近海のような明るい海ではなく、光のかけらも届かないような「深海ギャラリー」となります。
深海魚はそのおどろおどろしい姿から、好む人とそうでない人がはっきりと分かれますが、わたしは興味を持つ方です。
その異形の姿と結びつけてなのか、深海魚コーナーの最初には古来より言い伝えられてきた妖怪の類が紹介されていました。
また、宇宙への興味と同じく海の深さへも深い興味と関心があったこともわかります。
昔の潜水服というのが、半袖半ズボンでヘルメットの上からホースが出ていてそこから空気を送り込むという、まさしく古典的な仕組みとなっています。
それに、深海にはまだ人類に知られていない生物や進化の仕組みを知るための手がかりになるような生物が、山のようにいます。
通常では考えられないような環境で生きるからこその進化の停滞というものを、考えさせられるエリアです。
「深海ギャラリー」を抜けると、白や黒、怪しい輝きが目立った深海生物とはうってかわり、実に明るく華やか…あるいはドぎついともいえる魚たちが現れます。
そこは「赤道の海」エリアです。
深海魚とはまた違う個性豊かな魚たちが、鑑賞者の目を楽しませてくれます。
赤道の海の魚たちの水槽は1階2階3階とぶち抜きで、上に行きつつも様々な生き物を見ることができます。
その赤道下の色とりどりの海の生き物たちを見ながら階段を上がり、3階へ。
3階はさらに南に下り、「オーストラリアの水辺」というわけで、オーストラリア近海の魚たちを見ることができます。
特有の自然を持つオーストラリアには、やはり特有の美しい魚たちがいます。
また同一フロア内には、人気の高いペンギンの水槽とウミガメの水槽があります。
どちらの水槽も大変自由度が高く、見ていて飽きないつくりです。
特に、ペンギン水槽には、なんと雪まで降っていたのですから驚きです。
その雪の中で立ちつくしたり寝ころんだりするペンギンの姿は、大変愛くるしいものです。
それから、ウミガメの水槽には生まれて間もないウミガメの赤ちゃんがいて、こちらもたいそうな人気でした。
その後、3階から下って1階の出口から退場するという感じで、名古屋港水族館を後にしました。

というわけで、たぶん次回が最後の旅行記になるはずです。
しかし、その最後の日に、わたしは生まれて初めての体験をすることになるのです…。
その体験とは…また次回のお楽しみです。

今日の一枚は、「名古屋港水族館のペンギン ~直立排便」です。
この写真を撮った直後に脱糞した、驚くべきペンギンなのです!

名古屋旅行記(5)

2007-02-10 22:13:15 | 

先日は大人とは思えぬ下らない話で終わってしまいましたね。
風呂の中では大人げなくはしゃぎ、入っていた他のお客さんが出て知ってしまうほどでした。
風呂から出てくると、S井が深夜に中京地方で人気の番組が見たいというので、それまで起きていることになりました。
その番組の開始時間は、深夜2時半。
この時点で起きているのは、わたしとKとS井の三人。
三人で『はなまる作文ゲーム』(KAWADA)をやりまして時間などをつぶしておりましたが、ふとんに入ってしまうとどうにも眠くて仕方ありません。
はなまる作文ゲームにつきましては、リンク先に詳しい説明がございますので、見てみてください。
残念ながら、わたしは2時29分に力尽きて就寝。
しかも、いざ2時半になってもその番組は始まらなかったと言うことで、わたしたち3人のがんばりはまったくの無意味に終わってしまったわけです。
さて、一日目の夜はそんな感じでくれまして、話はいよいよ2日目になります。

翌日、朝7時半ぐらいにおきまして、朝ご飯をいただきました。
すっかり歯がおかしくなっていたわたしは、ご飯を口に含み味噌汁で押し流すのが精一杯でした。おいしそうなおかずも食えず、まったく悲しい朝ご飯になりました。
その後、どこに行くかを決めました。
行き先は、「名古屋港水族館」。
9時半には宿を出て、名古屋駅で幹事を務めた岐阜のS井が、午後に用事があるというので一足先に帰ることになりました。
さよならS井よ、と彼を見送りました。

名古屋駅から市営地下鉄桜通線を久屋大通駅で、名城線に乗り換え、金山駅で名港線に乗り換えます。そうすると、名港線終着駅の名古屋港駅にたどり着きます。
歩いて10分もせずに、名古屋港水族館にたどり着きます。
まずはさわやかな海岸が目に入ります。
赴いた2月4日は、風あれど晴天。肌寒いですが、日は照っていますのでさわやかな陽気といえそうです。
さすが日曜ということで、人が多くてごった返しています。チケットは、まとめてKに買いに行ってもらいました。
名古屋港水族館では、北館と南館に分かれており、入り口は北館の方にあります。
入ってすぐには「日本の海」という、バンドウイルカやベルーガなどの展示スペースがあります。
非常に広い水槽で、何匹ものイルカが自在に泳いでいます。
入ってきてすぐのこの展示は、お客の目を引きつけて放しません。
その次の「進化の海」と名付けられたスペースは、イルカ・クジラなどの進化などを学ぶことができます。
また、ここの見所はメインプールと水中閲覧室です。
名古屋港水族館にはイルカパフォーマンスを見ることができる大きなメインプールがあります。
そのパフォーマンスを見るためのスタジアムは2階にあり、1階にあるのが水中閲覧室です。つまり、メインプールの2階ではパフォーマンスを、1階ではパフォーマンス中の水中の様子を見ることができるわけです。
山梨には海がないわけで、水族館などを気軽に見に行けるところにいないので、この演出は大変興味深く見ることができました。
水中閲覧室で、普段に見られないイルカのパフォーマンスを楽しんだあと、2階に上がり「オーロラの海」というベルーガ専用展示室に行きます。
これも1階入り口のベルーガ水槽と繋がっていて、水面のベルーガと水中のベルーガを楽しむことができます。
そして、再び1階に戻って、連絡口から南館に移動します。
というわけで今日はここまで。

今日の写真はシンプルな一枚。
「名古屋港景観」です。


名古屋旅行記(4)

2007-02-09 23:17:34 | 

集合場所は前回紹介したなごや花亭・美よしさんでした。
ホテルに集合したのは、この日の参加者のうち、恩師以外の6名でした。
まず、三島のK、横浜のA川さんとK本さん。富山のA木くんと名古屋城に行く前に松坂屋であった岐阜のS井。そして、わたしの計6人。
本当は、北は北海道から南は長崎まで広い範囲のメンバーがいるのですが、やはり地理的にも中部周辺にいる人しか集まれません。
前回は横浜、今回は名古屋と回を重ねるごとに西進してはいるのですが、やはりこの地理的な差はいかんともしがたいものがあるようです。

さて、集まったのは宿泊場所でしたが、同期会の会場になったのは、名古屋駅太閤通口から歩いて10分。「赤から」という鍋屋さんです。
もちろん、売りは鍋だけではありません。せせりという鶏の首肉が絶品らしいです。
すでに着いたときには恩師は着いておりました。
幹事・S井に、はじめの言葉を無茶ぶりされましたが、どうにか切り抜け。同期会がはじまりました。
実は、わたしの所属していたゼミは教育学ゼミです。つまり、将来の学校の先生を目指す学生の集まりで、わたしの同期の人たちも軒並み教育関係の職に就いています。
わたしは学校の先生になりたいわけではなかったのですが、諸々の事情により所属し、今に至っています。
教職に就かなかったのは、生ける伝説・神戸のNとわたしぐらいのものでした。
というわけで、教育談義に花が咲きました。わたしにはついて行きにくい話だったわけですが、みなが苦労しながらも懸命に生きているということは、わたしのようなへたれにとってはたいそう励みになりました。

ところで、サッカーのスウィーパーというディフェンスポジションのうちの、一つの役割をご存じですか。
特定のマークを持たずに、あいたスペースを埋めて攻撃の芽を摘んでいきます。その様がsweeper…つまり、掃除係に似ているということで、そういう名前を与えられたのでしょう。
わたしは宴会の最中、そのスイーパーとなり、ひたすら皿を空ける役目に就いたのです。
まさしく、もったいない妖怪となっていました。
歯に不安を抱えながら、ひたすらみなの目を盗んでは皿を平らげていた、そのときでした。
わたしの左の上奥歯に激痛が走りました。
動きが止まります。
い…痛い。痛くて、左では食べられない。…しかし、右は歯を抜きたてで無理はできない。これでは、使えるところが前歯ぐらいしかないということで、もはやどうにもならない状況になりました。
歯医者に行くまでこのまま…つまり、おいしくごはんが食べられないということで、この悲劇は次の日へと続いていくのです。

同期会も8時には終了し、赤から前で写真を撮って、宿に戻ることに。
恩師は別の宿をとっているということで送り届けて、帰りにコンビニに寄りました。
ちょうど2月3日で節分でしたので、コンビニ前では赤鬼とアントニオの仮面を被った二人の店員が恵方巻と節分まめを売り払っていました。
この二日でこのコンビニの前を通り過ぎたのは4回程度ですが、通り過ぎるたびに恵方巻が減っていたのですごいなぁと思ったのですが、コンビニの中に入るとまだ恵方巻が鬼のように摘まれていたのでですが…無事に売り切ることができたのか、今でも心配しています。
宿に戻ってから、コンビニで買ってきたものをもりもりくいながら話をしました。
シリアスな話が5、ファニーな話が3、どうしようもない話題が2ぐらいの割合だったでしょうか。
わたしは、一人で三島のKが買ってきてくれた100円ショップのおもちゃであそんでいました。
そのおもちゃというのは、一つが馬に黒装束の忍者がまたがった「おうま パッカパッカ」というのと、もう一つは「スペースレインジャー」の「ゴードン」でした。
わたしは、この二人を戦わせて楽しんでいました。
で、わたしが下らない遊びをしていると、KやS井が絡んできて、愉快な写真を撮ることにしました。
アングルやロケーションに腐心して、ようやくイメージ通りの作品ができあがりました。

まさしく、「美の巨人たち」(JOTX-TV 系列)に出てもおかしくないような出来。
そこで、本日の今日の一枚。
「おばか三人組作、走り逃げる忍者と倒れたスペースレインジャー」。
一番上には、奥の逃げゆく馬と忍者に焦点を合わせた極めて近い画です。たまたま通りがかった蟻でしょうか…それとも、血のにおいを嗅ぎつけたトカゲでしょうか…。
二番目は、鳥瞰図です。勝負を見届けた鷲の目線でしょうか…それとも、斃れたスペースレインジャーの死肉を狙う鷹の視線でしょうか。
一番下には、人間的な視点の一枚。忍者に命を助けられたスペースレインジャーの生き残りか、それとも通りがかった娘の視点でしょうか。
この一枚で、コロコロと視る人の立場が変わっていきます。まさに、視るたびに立場が異なる作品なのです。
みたいなナレーションが入っても、おかしくないような。
そんな写真群だと思いませんか? 無理がありますか…。


名古屋旅行記(3)

2007-02-08 22:41:49 | 

シアターを含めた2階全体は、本丸御殿に飾られていたふすま絵や戦災を免れた重文・『竹林豹虎図』などが展示されています。その他にも、名古屋城が誇る宝の数々…刀剣・兜・帽子・鎧などが飾られ、また名古屋城本丸御殿の精巧なジオラマなども展示されています。
上の階に行くにつれて民俗的な展示が強まり、6分で1日を体感できる町並み施設や名古屋築城に際して積まれた石塁運搬を体感できる展示、金鯱の背にまたがることができるアトラクションや千両箱の視覚展示、また籠の体験アトラクションなどなど、盛りだくさんです。
最上階は展望台です。名古屋の街を一望できます。
…とはいっても、名古屋の土地勘がまったくないわたしにとっては、ちんぷんかんぷんなわけで、ふむといいながら窓をのぞくにとどまりました。
最上階には、展望台のほか土産物屋もありました。
わたしの興味を引くにたり得るものばかりだったのですが、ここはぐっと堪えて集印帳を買うにとどまりました。
実は、スタンプを集めるのは嫌いではありません。
つとめてスタンプを押す方ではないのですが、「お、こんなところにあった」といって、何か発見でもしたかのように押すのがいいのです。
最上階の土産物屋で集印帳を扱っているということは、すなわちスタンプもあるということで、さっそく押してみました。
集印帳の最初を飾るのが名古屋城のものなんて、けっこういいものです。

さて、昇りはじめたのが遅い時間でしたので、わたしたちが最上階についてしばらく経つと、土産物屋さんが店じまいをはじめました。
そこで下界に降ることにしました。階段を下りるときには各フロアもすでにシャッターが下りはじめていて、なかなかいいタイミングで見に来たものだと思いました。
名古屋城の外に出ると、天守閣前の土産物屋で売っていたみたらしだんごにひかれて、Kが購入。
もう閉園間近と言うこともあったのでしょうが、おまけでもう一本つけてくれました。
それで、Kが食えよといってくれたのですが、当然わたしは歯が不安でしたので気持ちだけ受け取っておきました。
さぞかしうまかったろうなと、悔し紛れにトイレに行って、土産物屋の前のスタンプ(天守閣最上階のものとは別デザイン)を押したのでした。
その土産物屋で、みそかつソースを購入して、名古屋城を後にしました。
もう時間も迫っているし、何せ本日の目的は同期会なのですから。それに遅刻しては、まったくもっておかしいことになってしまいます。

そして、集合場所である本日の宿「ホテル・なごや花亭美よし」へと向かったのでした。いよいよ、同期会がはじまります。

さて、本日の写真は名古屋城天守閣内の展示のうち、「巨石運び」体験の人形です。
これは、実はひもを引っ張って、自分がどれぐらいの力かをはかる機械がついているのですが、友人Kは意外と記録が伸びなかったことに、非常なショックを受けていました。


名古屋旅行記(2)

2007-02-06 22:14:41 | 

名古屋の名物数あれど、やはり「名古屋は城で持ち」ます。
江戸最初期に築城された、まさしく「名城」。
とりわけ、金のしゃちほこ(金鯱)が有名で、名古屋のマスコット的象徴でもあります。

名古屋駅に降り立ったわたしたちは、もう1人の同期生Aを伴って名古屋城に行こうということになりました。
その前に、駅前の松坂屋にて別の同期生Sとちょっと会いました。Sはまだ用事があるというのでまた後ほどの会おうということで、Sとは分かれました。
名古屋は地下鉄が発達している割には、ゴチャゴチャしておらずとてもわかりやすく、名古屋城までの道のりも地下鉄を乗り継いでいきました。
名古屋市営地下鉄桜通線を久屋大通駅で名城線に乗り換え、わずか一つめの市役所駅で降ります。そして、歩いて3分ほどで名古屋城への入り口の一つである東門につきます。
名古屋城の周囲には、市役所などが集まるオフィス街ですが、名古屋城を圧倒するような高い建物もなく…いや、周りのビルディングが名古屋城に圧倒されているのか。
とにかく、ものすごい存在感を持つ城です。
甲府にも城跡があり、武田家の居館であった躑躅ヶ崎館もありますが、正直名古屋城とは比較になりません。

名古屋城でもらった資料によれば、名古屋城は1609(慶長14)年に築城。家康が、関ヶ原前後に下った新参大名を中心に普請させました。
以後、家康9男徳川義直(1601~1650)から続く御三家筆頭尾張家の居城となりました。
東海随一の名君と謳われる義直をはじめ、尾張徳川家には優秀な殿様が多く、7代宗春(1696~1764)、14代・17代慶勝(1824~1883)などを輩出しました。
また、現在の名古屋が大阪とも東京とも違った文化を持つようになったのは、その一因を尾張徳川家の独自の治世に探っても間違いではないでしょう。

入場料500円を払って中に入ります。
入ってすぐ右手には、実質上藩主の居住区であった旧二の丸庭園があります。そちらの方も見てみたかったのですが、事情により断念。早速、本丸へと向かいます。
ちなみに、織田信長(1534~1582)が生誕したと言われている那古野城は二の丸付近にあったといい、その後継城として名古屋城が建てられたというのは、深い意義がありそうでなさそうですね。
東門入口から、本丸へ向かう途中に左手に長槍を持ち、右手に日の丸扇を振りかざす、愉快なおじさんの像がありました。
このおじさんが誰あろう賤ヶ岳七本槍の一人、あるいは肥後熊本藩初代藩主の加藤清正(1562~1611)です。関ヶ原前後に徳川家に降った大名の一人で、秀吉の縁者だった清正は、名古屋の城普請を命じられました。
清正は築城の名手で、特に石垣造りが得意で美しい反りが特徴でした。熊本城や江戸城の石垣も組んだといいます。
名古屋城本丸の石垣には清正石という、それはそれは大きな石があり清正は石垣づくりを命じられた際、自ら陣頭指揮を執り、見事に完成させたということでそれを記念した像のようです。
KやAと「愉快で、陽気なおじさんだなぁ」などと話しながら、表二之門から本丸、天守閣へと向かいました。
さすが、日本三名城の一つ名古屋城天守閣です。
その壮大で広大な土地たるや、甲府城など足元にも及びません。広いしでかいし白いし。実に素晴らしいと思いました。
甲府城は今、石垣や白壁ぐらいしかないのですが、もし天守閣を再現するなら、けちらずに壮大なものを作って欲しいですね。

さて、いよいよ天守閣へと足を踏み入れます。入口では「本丸御殿」再建の寄付を募っていました。個人で50万一口を十口寄付している人がいて、すごい人もいるものだと驚きました。
「本丸御殿」というのは言うなれば官邸です。
天守閣が政務を執るところで、生活はこちらの方で行っていたようです。
その全容に迫っているのが2階の3Dシアターで、名古屋城の簡単な歴史と本丸御殿について教えてくれます。
その全容というのもたいそう豪奢な造りで、ふすま絵は狩野派の絵師たちにより描かれ、欄間の彫刻も繊細にして写実。中でも、障壁画の一部である『竹林豹虎図』は重要文化財にもしてされている狩野派の一級品です。
さすがは、藩主の御寝所といったところでしょうか。
ちなみに、シアターのナビゲートを務めたのは7代藩主・徳川宗春で、8代将軍・徳川吉宗(1684~1751)や大岡忠相(1677~1752)で有名な享保の改革(1716~1745)に反対したというのですから、さぞかし強者だったのでしょう。

さて、その本丸御殿。
最初期こそ寝所や接待などで使われていたものの、のちには使われなくなったということで…最近の議員宿舎とか、事務所費の問題と同じような目で見てしまうのは…悪いことでしょうか。

今日の一枚は、愉快なおじさんこと加藤清正公像です。
実に、おめでたい加藤さんです。


名古屋旅行記(1)

2007-02-05 22:17:31 | 
名古屋へといってきました。
わたしは通り過ぎたことはあっても、立ち寄ったことがない土地で、わたしの中では常に、桃太郎電鉄の中のある一つの物件駅…あるいは、戦国期に改革といえる大きな仕事をやり遂げた3人の武将の出生地。
そういった認識でした。
また名物がたくさんある土地でもあります。
みそかつ、ういろう、ひつまぶし。エビフライにあんかけスパ、あるいは手羽先、名古屋コーチンなどなど。
毎食外で食べても飽きることのない、名物にあふれています。

そんな名古屋へ出かけることになったのは、前にも幾度か話をしましたが、大学の同期会があるからで、その集まりとはゼミの集まりでした。
参加者は、例年どおりのメンツといったところで、恩師も入れて7名といった、こぢんまりとしたものでした。
なので、目下のところ、その同期会への出席が目的。しかし、せっかく名古屋なのだから、少しは楽しみたいということで、やや早めにいって観光でもしようと思っていました。
まぁ歯に不安を抱えていましたので、3日当日に歯医者に行かねばならないかも知れなかったのが、どうにか行かずに済むことになり、2月3日の午前に出かけることにしました。
しかし、このことが後に起こる悲惨な結末になるとは…わたしは思いもよりませんでした…。

もしわたしの住む甲府から名古屋までいこうとすると、中央線から塩尻、中津川を経由して名古屋に至るというルート①と、身延線から静岡まで出て、東海道線で名古屋まで行くルート②があります。
お金と時間のバランスを考えれば、塩尻経由のルート①がいいんですが、わたしは時間を取りました。
何せ、ルート①の全行程を鈍行でいけば、お金は5000円以下で済みますが、時間は6時間かかります。途中特急を使っても約4時間。しかし、お金は8000円となります。
ところが、ルート②ですと特急・新幹線を乗り継げば、約3時間で8500円ですから、やはり東海道を行くことにしました。
午前10時55分、身延線東花輪駅から特急ワイドビューふじかわ6号に乗って2時間。
新幹線との連絡駅である静岡駅に到着しました。
ここで三島のKと合流。静岡からは、Kとともに名古屋へ向かう約束になっていました。

さて、わたしの名古屋への関門が、実は新幹線でした。
何分乗るのが中学の修学旅行以来と言うことで、そのときは皆と連れだってぞろぞろといったわけですから、はぐれさえしなければ切符を買うなどの手続きは省略されたのですが、今回は個人旅行と言うことで、そうはいきません。
幸い、新幹線の切符は出発地の東花輪駅にて乗車券・特急券・新幹線券とすべて買えましたので、ぷりぷりと進むことができました。
それにまして驚きだったのは、「切符を重ねて自動改札に入れる」というの行為です。
わたしの知る改札というのは、乗車券と特急券を別に入れるものだったのですが、ところが新幹線に限ってはそうではないというのが、何とも不思議でしたね。
……まぁ、そんな小さなことはどうでもいいのです。

新幹線ひかり411号の中では無事に座ることもでき、静岡駅のキオスクで買ったサンドウィッチをむしゃむしゃと食べながら、わずか50分で名古屋に到着。
景色を楽しむ暇もなく着いてしまったことにひどく驚いたものでした。
新幹線は、景色を楽しむためのものではないのだなぁと思いました。

では今日はここまでです。
今日の一枚は、生まれて初めて降り立つ名古屋駅の看板。
Kに「(人に)田舎ものだと思われるから、やめて」といわれた一枚です。

名古屋からの帰還。

2007-02-04 23:47:29 | 
昨日・今日と以前話していた大学時代の同期会へ、名古屋へと行ってきました。
楽しかったには楽しかったのですが、歯のこともあり存分に…というわけにはいきませんでした。
この様子は、また近いうちに旅行記を書くようにしたいと思います。

それにしても、名古屋は過ごしやすい土地だなぁと感じました。
休日だったからかも知れませんが、人も少なく道は広く。
これで歯が健在だったら、さぞかし最高の楽しさだったろうなぁと思わずにはいられません。
今週は、水曜日と土曜日に歯医者に行く予定です。

はぁ……。

26.Botswana

2007-02-02 23:14:16 | 『万国巡覧記』

ボツワナ共和国 
(Republic of Botswana)

1.面 積  58.2万km2(日本の1.5倍)
2.人 口  173万人(2004年:世銀)人口増加率1.1%(1998~2004年:世銀)
3.首 都  ハボローネ(Gaborone)、人口18.6万人(2001年推計)
4.人 種  ツワナ族、カランダ族、ムブクシュ族等
5.言 語  英語、ツワナ語(国語)
6.宗 教  キリスト教、伝統宗教
7.主要産業 (農)こうりゃん、メイズ (畜)牛、羊 (鉱)ダイヤモンド、銅、ニッケル、石炭 (工)食品加工
8.GNI 7,500百万米ドル(2004年:世銀)
9.一人当たりGNI 4,340米ドル(2004年:世銀)
10.通貨・.為替レート プラ(Pula)、1米ドル=5.68プラ(2006年4月) 
11.3文字コード ISO/BWA、IOC&FIFA/BOT
(外務省HP)

アフリカ諸国が比較的貧しいというのはこれは事実で、日本や先進諸国が裕福であるというのも事実です。
アフリカに住む人々から見ればごく当たり前の生活であっても、先進諸国や平均から見て貧しいというのは、客観的な事実であると思います。
そんなアフリカ諸国の中でも、安定した経済を維持している国が、今回のボツワナです。

国名は「ツワナ族の国」という意味で、そのツワナ族は現在の人口95%を占めると言います。
南に南アフリカを北と西をナミビア、東をジンバブエに囲まれた内陸国で、他の諸国同様に15世紀にはヨーロッパ人が入植し、1885年にはイギリスの保護領となりました。
独立したのは、アフリカの年といわれた1966年です。
この国は、2000年の調査で成人におけるエイズ感染率が38.8%と世界最高を記録しており、そのために平均寿命が39歳ととても低くなっています。
また、89年から90年代中期に及ぶダイヤモンド市場の低迷が続き、一時は困窮した経済も、97年にはGDPも上昇し中所得国に分類されるに至りました。

さて、ダイヤモンドの話が出てきました。
ボツワナは、2006年現在産出量世界一位。また、金額面でも国の歳入の50%をダイヤモンドが占めています。
まさしく、ダイヤモンドの国なのです。
ダイアモンドは、天然でもっとも堅い物質であるというのは有名な話ですね。炭素の同素体で、結晶構造を持つことは、もしかしたら高校の化学などで学んだかもしれません。
ダイアモンドの品質を決めるのは、俗に4Cと呼ばれる要素です。
すなわち、カラット (Carat)、色 (Color)、カット (Cut)、透明度 (Clarity)ですが、これはあくまでもブリリアントカットにおける国際基準だそうです。
史上最も大きなダイアの原石は、1905年に南アフリカで採掘された「カリナン」と呼ばれるものです。3106カラット(621.2g)もありました。
そこから削り出されたダイアのうち、もっとも巨大なものは「ザ・グレート・スター・オブ・アフリカ(偉大なアフリカの星)」と呼ばれ、約530カラットもありました。
そのダイアは当時のイギリス国王・エドワード7世(1841~1910)に献上され、今でもロンドン塔で展示されています。
なお研磨済みで世界最大のものは、現在タイ王室が所有している「ザ・ゴールデン・ジュビリー」と呼ばれるもので、約545カラットあります。
ちなみに、このゴールデン・ジュビリーも、カリナンと同じ鉱山から発見されたということですから、あながち桃鉄のような臨時収入も夢の話ではないということでしょうか。

宝石というものは、時に大きな戦争や憎しみを生み出すこともありますが、今発展途上にあるボツワナにとっては、代え難い大きな望みでもあるのです。


その4 竜王

2007-02-01 21:48:10 | 山梨観光マップ

いよいよ本当に、知る人ぞ知る駅が出てきました。
それが、竜王です。
一応、特急かいじも止まるのでアクセスはしやすい駅といえそうです。

竜王 ryuoh

物 件

種 別

価 格

収益率の変化

1段階

2段階

3段階

信玄和菓子チェーン

食品

1000万

?%

?%

?%

スーパーマーケットチェーン

商業

3000万

?%

?%

?%

甲州ワイン牛直売所

食品

1億

5%

7%

10%

甲州ワイン牛牧場

農林

3億

1%

3%

5%

ワイナリー

食品

5億

3%

5%

7%

ゲームソフト開発会社

商業

10億

5%

6%

7%

郷土文学館

観光

20億

1%

2%

3%

ミレー美術館

観光

40億

1%

3%

5%

信玄和菓子チェーンは前回と同様、詳しい説明は石和温泉駅でしましょう。
また、スーパーマーケットチェーンもチェーン店ということですが、まぁ山梨といえば…ということで、あえて説明はしません。
甲州ワイン牛直売所と牧場のモデルは、「甲州ワインビーフ小林牧場」さんです。テレビや雑誌などで見かけた方も多いと思います。
わたしは祭りの屋台などで食したことがありますが、もう絶品のおいしさです。
山梨に来たら、ぜひ一度ご賞味ください。
ワイナリーは、本家桃鉄ではワイン工場となっているものですが、あまりピンとこないのでここではあえて、ワイナリーとさせていただきました。
モデルはサントリーさんの「登美の丘ワイナリー」です。
工場見学もできるようなので、興味があればいってみるのもよいでしょう。
ゲームソフト開発会社は、実は「HAL研究所・山梨開発センター」です。
『星のカービィ』シリーズ、『大乱闘!スマッシュブラザーズ』シリーズなどの人気ゲームを生み出した会社です。
郷土文学館は、「山梨県立文学館」です。
郷土出身の俳人・飯田蛇笏をはじめ、郷土にゆかりのある文学者の膨大な資料が多く納められています。
また、芥川龍之介の資料も豊富ということでも有名です。
ミレー美術館は、当然「山梨県立美術館」です。
ミレーの作品を数多く収蔵するこの美術館は、山梨観光の定番コースです。美術に興味ある人ならば立ち寄って損をすることはないでしょう。
また、文学館と美術館は、ともに「芸術の森公園」にあります。
美術館に立ち寄ったら、ぜひ文学館にもお立ち寄りください。
ちなみに、芸術の森公園は甲府市と甲斐市の市境にあります。本来は甲府市なのですが、便宜上竜王に組み入れてあります。

次回はいよいよ、山梨の県庁所在地!
経済の中心地!
武田信玄のお膝元!
甲府です!