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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「オードリー」(再)(137)・「死ぬということ 医学的に、実務的に、文学的に」

2024-09-08 | _気な・気な_
再放送でやっと初見の「オードリー」。ドラマ思い出し話題に上ることの多い作品との印象があった。
ですが 二人目のお母さんがブルドーザー。何しろ一人目(という表現も変ですが)を差し置いて、「二人目の母」という無理やりな立場を既成事実化し、実質一人目のお母さん化!?状態。実母に当たる母は混乱し、主人公も困惑の幼少期。思春期に至るころ、主人公はカメラを手にすることになる。
そのね、写真がいいんですよ。15分のラスト1分くらいのところでテーマソングとともに、それまでのストーリーのサマリー場面が流れることがほんの時々にあって、主人公・美月がシャッターを押したモノクロの写真たちもちりばめられている。それがね、いいんですよ。
その二人目の母に病が襲う。もう少し先の回でそうなるのかしらと思っていた私は少し慌てた。今読んでいた本のタイトルが「死ぬということ 医学的に、実務的に、文学的に」(中公新書)というものだったからだ。
新着コーナーにあって、借りられるなら借りてみるかとどこか気軽に読み始めていたのだった。
著者・黒木登志夫さんが計算をしてくれている。
生まれるのは70兆分の1の確率 卵子と精子の減数分裂の際の染色体の組み合わせを計算すると、なんと70兆分の1の偶然になるのだ。(p.3)
そして、われわれは寿命を全うして死ぬ。死は「必然」なのだ。(p.4)

美月に一人目と二人目の母がいたことをどう計算式に組み入れることができるのだろうか。
ブルドーザーの愛も愛だった。





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