入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(65)

2021年05月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 今朝も1時間ばかり早く家を出た。開田に上ると、空と中アの山肌の色が同色に近く、残雪を抱いた山稜だけが白く輝き目立ち、まるで浮いているように見えた。青空と新緑に急かされたか、広々とした開田に田植えが始まり、すでに苗を植え終えた田はもちろん、まだこれからという田も水が張られ、水田の風景が生き生きとして変わりつつある。

 上に来ても郭公の鳴き声がする。昨日は郭公の外にもウグイスの声を聞いたような気がしたが、多分、間違いない。きょうは昼近くになって気温は17度くらいまで上昇し、青空も広がってきた。ヤマナシの白い花が第1牧区でも咲いたし、白樺のつくった緑陰を見れば季節は最早初夏という気がしてくる。牧草の生育も一段と進むだろう。

 昨日、第4牧区で30頭ばかりの鹿が草を食む姿を、小入笠の中腹で見た。あの牧区においては最良の放牧地である。また、帰る時、やはり同じくらいの数の鹿の群れを貴婦人の丘の下で見た。折角の牧草の新芽を今年も牛より先にあの招かざる客たちに食べられるのかと思うと実に忌々しいのだが、有効な対抗策がない。
 大型の囲い罠を使おうと行ってみると、中には結構新しい鹿の足跡や落とし物があって、思っていた以上に鹿の出入りがあるらしく驚いた。前回の捕獲以降しばらく罠の使用を見合わせていたのは、はっきりとしなかった天候のせいで、今夜雨が降って塩が流失しなければ、恐らくあまり日をかけずに、一矢報いることができるだろう。
 第1牧区は電気牧柵の効果によるのか、通電を始めてからまだ鹿の姿を見てない。電牧もほぼ正常に働いている。しかしそれでも、やがては必ず侵入してくるはずだ。
 昨年は、その前年の豚コレラのせいだという説もあるが、有難いことにイノシシの被害がなかった。今年はどうなるかと、それも心配になる。

 オイデエラの片付けは、日曜日にSさんと一緒に汗をかき、ほぼ済んだ。本日はこの辺で。
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     ’21年「春」(64)

2021年05月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 このごろの朝は郭公の鳴く声で目覚め、日中は山笑う山上の牧にあって自然の恩寵をほしいままにする。無窮の大空と、広大な大地はさまざまな緑の色に溢れかえっている。きょうは高曇りの空、ようやく芽吹き出した三本のミズナラの向こうには乗鞍、穂高の山並みがそれぞれ気品・気高さをそなえ見えていた。
 夕べには酒を酌み、蛙の合唱を聞きつつ夜の帳の降りるのを待つ。田園で暮らす妙味、18年前、今と同じころに信州に帰って以来、その思いはずっと変わらない。ふる里の自然を満身で称えたい時だ。
 
 きょう下から、牛の入牧を6月の10日ごろにしたいが、草は大丈夫かと聞いてきた。どうせ、馴化のため1,2週間は大型の囲い罠の中に置くことだし、そのころで大丈夫だと答えておいた。まだ頭数は決まっていないが今年は入牧が何回かに分散するようで、大型トラックは使わないかも知れない。となれば、あれだけやった枝打ちの意味は果たしてあったのだろうかと、誰に問えばいいのか。
 和牛の数が増えると言っていたが、その頭数によっては乳牛と分けた方がいいかも知れない。大体、和牛の力が強く、ホルスは一歩も二歩も譲らなければならない。特に給塩の場合がそうで、満遍なく行き渡らせようとすると、かなりの工夫と根気も要る。
 度を越えた自分本位の振る舞いに、ついお前らは雌か、と言いたくなることもあるが、このごろの人間界ではそういうことを言うのはご法度らしい。

 雨が降ってきた。梅雨の長期化が心配されているが荒れた山道が気になる。牛が来れば、当然それも心配になる。corvid-19に加え、雨は副業の方にも影響するだろう。「副業」というのは山小屋やキャンプ場の営業のことだが、そういえば今年はまだ撮影の話が1件も来ていない。
 すでにワクチン接種を2回済ませた人も身近にいる。大都会よりも地方の方が早いようだ。まだ接種の予約はしてないが、当分の間は副業の方、細々とやる。

 どうも泣き出した空に、早朝の高揚感が少し失速気味になってしまった。鳥の声がしているから雨は大したことないだろう。本日はこの辺で。
 
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     ’21年「春」(63)

2021年05月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝もカッコウが「起きろ、起きろ」と鳴き出し、重苦しい雨雲ながら夜が明けてきた。目覚まし時計役のこの鳥の鳴く声を数えてみたら25,6回で中断して、また鳴き続けている。今度は長い、と思ったら声がしなくなった。どこかへ飛び去ったのだろう。10分くらいは泣き続けていた。遠くで、カラスも泣き出した。

 予想通り、芝平を過ぎて未舗装の山道に入ると、昨日の大雨の被害がそこら中に目に付いた。特にひどかったのは大崩れと枯れ木橋の辺りで、側溝は用をなさず、そこへ導水する例の導水棒も土砂に埋もれ、多くは何の役にも立っていなかった。こういう状況を見れば、林道の弱点がもっとよく分かるはずだが、守備範囲の多い行政には、こんな山の中まではなかなか手が回らないのだろう。
 石ころ、枯れ木などで水の溢れ出た側溝はできるだけ浚ってきたが、納得のいくまでやっていたらいつまで経っても牧場へは到達できないと、途中で諦めた。道路に溢れ出た瓦礫や、水流でえぐられたあの山道が旧に復するのはいつのことになるのやら。
 
 同じく気になっていたのがテイ沢の丸太橋である。あの大雨でも無事だったかとヒヤヒヤしながら行ってみた。沢の水量はかなりあって心配したものの、下から1,2,3番目の橋はどうやら無事だった。
 そこへ上から一人登山者が下りてきた。単独の若い女性で、上の状況を聞くと、土砂の流失はあったようだが、丸太橋は無事だということだった。その言葉に安堵して、そこから一緒に引き返すことにした。別に女性だからというわけではない、ちゃんと相手を見てした判断で、何よりも上に行かずに済んで助かった。今は何においても牧場の仕事を優先したい時で、テイ沢の方にまで手を出したくはなかった。

 その牧場、ここ一日二日で牧草の新鮮な緑の色が大分目立つようになってきた。きょうからようやく、そんな第1牧区の有刺鉄線の牧柵の手入れを始めた。やはり、この仕事に入って、本来の牧場の仕事に手を付けることができるわけで、それなりに気合が入る。
 緩んだバラ線をぴんと張り直す。冬の間に鹿や風や切られたところは結線する。そして、少し離れて、見直す。この自分のやった出来不出来を判定しては、気分を良くする。15年間そうだった。植え終えた稲田を眺める者の気持ちと似ているかも知れない。単純、と思われたら、それすら嬉しい。
 牧柵修理は大変な仕事だが、晴れていれば背後には御嶽山や乗鞍、中アや北アを背にして、広大な緑の草原で一人だけでする仕事である。冥利だと思っている。

 Ume氏から新緑が美しい航空写真を何枚も預かっている。あの天気ではと掲載を見合わせていたが、次回から始めます、お楽しみに。きょうの写真は泥水溢れるオイデエラ。本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 






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     ’21年「春」(62)

2021年05月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 カッコウの鳴く声で目が覚めた。まだ5時前でもうひと眠りできそうだったが、この頃はあの人の真似をして、曙の鳥の囀り、曇り空の落ち着いた雰囲気などを味わいながら、いい一日の始まりにしている。この後朝風呂に入り、弁当を作り、気が向けばいつでも好きな時間に山の牧場へ出発する。誰かに強いられたり、束縛されているわけでない。多分、農業に携わる老いた人々の自由気儘な田舎の暮らしとあまり変わらないだろう。
 
 お節介でも、求められていることよりか少し余計に何かする。それがささやかな主張であり、言えば自己満足である。これは他人に指示されたり評価されても駄目で、自分で納得できなければ面白くない。
 確かに、枝打ちでは癇癪を起したり、イラついたりする。脱柵を繰り返す牛には腹を立て、我が物顔で牛と一緒に草を食む鹿どもは一網打尽にしてやりたくなる。決して仕事は、牧場や周囲の自然のように牧歌的ではなく、労を楽しむところまでは実際にはいかない。しかし、それが後になって質の良い酒のように効いてくる。自己満足のうま味、ほどの良い快さになるのだ。
 


 山にはこんな恵みもある。春はタラの芽、秋は雑キノコ。ところが、それらの収穫は年々早くなるばかり、明らかに温暖化のせいだろう。二酸化炭素の大気に占める割合はたった100分の4パーセントに過ぎないと聞いたが、それのわずかな増減が自然界を揺さぶっている。(5月20日記)
 
 夜が明けてきた。雨音が激しい。それでも、もうすぐ走行距離20万キロに届く分身のような軽トラを励まし、早まった梅雨の時季を、折れることなく山へ向かうことにする。すでに今年も仕事を始めてから1ヶ月が過ぎた。弁当作りも続いている。

 いやいや、もの凄い雨と濁流、峠にたどり着くまでには側溝から溢れ出た水を無視できず、幾箇所となく浚いながら来る羽目に。例の導水棒が役に立っている箇所もあれば、最早そうではない所も。峠から池之平までの間はさらにひどく、その様子を写真に撮るのを忘れたのが実に惜しまれる。やはり、道路が濁流の通り道で、肝心の側溝は空っぽという状態がかなり目に付いた。
 写真はド日陰の手前だが、これなどはせいぜい小川で、峠の前後の山道はまさに激流、と言えば少しは状況が分かるかも知れない。上に来るほど雨脚は弱まった。
 本日はこの辺で。 
 
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     ’21年「春」(61)

2021年05月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日に呟いた通り、牧場内の他の山梨に先駆けて、今年も第2牧区のこの木が開花の先陣を切った。それにしても早い気がする。この後に続くコナシなどつい3,4日前に葉が出揃ったくらいだから、こちらの方の開花はまだ先のことになるだろう。
 性悪の木として日ごろ悪口ばかり言ってるが、真っ白い花を咲かせる初夏と、葉が葡萄色に色付く秋だけはこのコナシの木の存在を大いに認めざるを得ない。真っ白い花の帯は6月前後、くすんだ赤い帯は秋も深まった11月のころ、今年も大沢山や小入笠の山腹を見事なまでに縞状に飾るだろう。

 雨が降っている。朝のうちは大したことなく、オイデエラで昨日の続きとなる残骸の片付けを少しして、さらに峠までの未舗装の悪路にも少々お節介をしてきた。
 あの丸太にゴムの付いた棒のことを何と呼ぶのか知らないが、とりあえず導水棒とでも呼んでおく。道路にやや斜め横に埋め込み、雨の流れを側溝や川に導水するための、グレーチングの代用物である。意外と値段のする物で1本3,4万円する。
 これが峠まで9本くらい埋められているが、2年も経つと水で運ばれた土砂がその導水棒に堆積し、何もしなければ水は導水棒を乗り越え用をなさなくなる。それが現在の状況である。それで、何本か手を出してきた。
 雨と言おうか、水でもいいが、これの持つ力は驚くばかりで、一夜の雨で未舗装を流れ下った幾筋もの雨の跡は重機の鉄の爪先で削ったようになる。あの山道を一番利用する者であり、それゆえにまた道路状況の影響を一番受ける者でもある。それだけに、見過ごせない。

 こんな天気の日でも遠くから来て、小黒川へ釣りに行く人がいた。この人たち2名は他の人と違い、車を小黒川林道の施錠されているゲートのすぐ近くに置かず、1㌔程手前の退避場所に停めた。こういう釣り人は珍しい。対応も穏やかで、入漁券も持ち、富士見の通行規制を避けて杖突峠を回ってきたと言っていた。
 そうまでして釣りをする人の気持ちは分からないが、あの人たちなら牧場の駐車場を利用しても構わないと思う。今度はそう言ってやろう。
 大多数の人たちは南門にある通行止めの標識など無視している。今は施錠されているからそれができず、勝手に車をそこらに放置していく。牛が脱柵すればまず被害に遭うのはこうした人の車だが、弁天様下の三叉路から東門までの何百㍍かは、道路ではなく牧場らしい。となると、どういうことになるのだろう。まあ、そんなことは何も表示してないから、今それを言っても仕方ないか。
 
 雨脚は強まるばかり、第1牧区の電圧が不足気味だ。本日はこの辺で。


 





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