中央に見えている山が西駒が岳、左の端に見えているのが空木岳で、どちらも中央アルプスを代表する山である。天気の良い日は毎朝決まって目にする風景で、朝日を浴びて青空と画する峰々の残雪の輝きが一際映え、壮快な気分にさせてくれる。見えているのは西駒が岳の前岳で本峰は隠れているが、ずっとこの姿を眺めながら自分の山のような気がして大きくなった。登った回数も10回や20回ではない。しかしこの頃は、よそ者ののように感じていた空木岳のアルペン的な山容により魅かれる。ことに、残雪を抱いた今の季節。
今朝は開田の田植えの準備が始まっている様子を遠くから眺めながら来た。車の横を水番が忙しく通り過ぎていった。見知った顔だが挨拶はない、表情も険しい。天竜川から揚水ポンプで水揚げされた水が、ここら一帯の開田に来るようになると、どの田にも水が万遍なく行き渡るようにするのは、水番の仕事であり、責任である。
昔は水争いなどもあったから、これはそうならないための知恵なのだろうか。水路は水田を流れる普通の川に比べたら幅は狭く水量も限られているから、それを自分の田のことばかり考えて各自が勝手放題にしていたらきっと昔のような水争いが起きる。水番は第一に公平でなければならず毎朝、水路の状態、水田の水の加減など、田圃に水の必要がなくなる夏の過ぎるころまで、重い責任を背負わされて気が抜けない。
山はきょうも静かだ。午後になってまた雲が出てきて、それでさらに静穏で、落ち着いたな雰囲気が増したような気がする。目を凝らせば、冬眠を長らく決めていた白樺やダケカンバの小枝に若葉がようやく見えるようになってきた。そうなると、山桜の品の良い赤みを帯びた葉の色が一歩引くように見え、ほぼ同時に咲き出した花の季節もぼつぼつ終わる。
花と言えば、どうしても伐らなければならなかった山桜の枝を持ち帰り、空き瓶に入れて小屋の自室に置いてある。水の吸い上げがかなり早いように思うが、錯覚だろうか。
本日はこの辺で。