入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「冬」 (30)

2019年02月01日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 里にも雪が積もった。昨夜あれだけ飲んだのに、今朝また雪見酒を怠らない律義さ、感心である。これで今日は、どこへも行かない。

 Fさんは、そこまで東駒(甲斐駒)が好きだったんだね。彼女の希望は、そこを「永遠の臥床」とすることだと。それに対して赤羽さんは、火葬もせずに深い海の中に沈んでいくことが理想だとか。フランス映画「冒険者たち」だったか、二入の男たちが愛した女性の遺体を、潜水具を着せ、深い海の底に沈める情景が、曲とともに甦ってきた。泣ける。
 
 山に来て、人は山を語る。しかしいつの間にか知らずしらずのうちに、人生について、生き方について語っている。若くして思い半ばで生命を落としたクライマーに仮託してみたり、あるいは山への想いと繋げてみたりして。だから、山と人生が重ならないような山行は、味気ない。日常にはない不安や、危険を押しても山に行くことで、安直に過ぎていく時間に抵抗したり、日ごろ気にかけない意識の深い所へ降りていくこともできる、それが山だ。河童橋から眺める雄大な景色は魅力だろうが、あの人たちは恐らく、そのとき人生のことなど考えてはいない。穂高の山並みも、梓川の清流も、岸辺のヤナギも、銀座の電飾やショーウインドウと同じかも知れない。
 いや確かに、人生などいくら考えてもキリがないといえばそうだ。しかしだからといって、遠いか近いかは別にして、誰にも終局が訪れるという自明の前に、考えないでは済まない。しかも、それがかなり非情残酷なやり方だから余計に悩ましい。美女は老醜をさらし、美男は痴呆を知らず徘徊する、そういう例をたくさん見てきた。
 あの人たちが、いとも呆気なく山で生命を失ったと思えても、その時本人たちにどれほどの濃密な時が流れたかは分からない。朝から酒を飲み薄い時間を呆けていると、あの時死んだ方が良かったのにと、どこかで囁く声を聞いたような気がした。

 k山君、心配かけました。今朝も早くに、雪に関する〝山奥情報″が入り起こされました。隠れ家付近は30センチほどの積雪があったようです。いつもなら、2月は冬季営業の最盛期です。こうなれば一人でも二人でも、できる限り受けるつもりでいます。まだ鹿肉もあるし、前回同様、法華道から来なはれ。

 廃屋の入り口に置き去りにされたままの柱時計、時を刻むのを止めたのはいつだったろう。

今週末の2月2,3だけは、予約を受けることができません。
冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«      ’19年「冬」 (2... | トップ |      ’19年「冬」 (3... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

キャンプ場および宿泊施設の案内など」カテゴリの最新記事