今朝は霧が深い。午前7時半の気温は13度と、たった3度ほどの違いでも先日来の気温10度と比べたらかなり過ごしやすく感じている。いつだったか、気温が10度以下まで下がったのを機に炬燵を用意したものの、電気はまだ入れてはいない。
今までの習慣で、外に出てつい霧の中に牛の姿を探そうとして「もう牛はいないのだな」と、改めてそのことを実感した。こういう思いはまだしばらくは続くだろう。
今週末は珍しくどこからも予約が入っていない。
牛が下牧したあと、昨年はどんなことをしていたかと今後の参考にするため前年の作業日誌を見ていたら、牧を閉じたのは今年よりか早く、9月の19日だった。もう、そういうことはすっかり忘れていた。
しかも、残留牛が4頭も出たことを日誌を読むうちに思い出したが、その牛たちの「調教を始める」とはあるものの、いつ里へ降ろしたかの記述はない。詳しく思い出そうとしても、その1年前の残留牛の印象、記憶の方が強く、それと重なったりして、まさに霧の中。
その後、間を挟んで1週間ほど映画の撮影が続き、それなりに忙しく過ごしたことが日誌に記されている。もちろんそのことは忘れずに覚えていたが、しかし、それが下牧後のこんな時季だったとは驚いた、忘れていた。
遠い記憶を呼び起こすうち、あとからあとから争うように幾つもの記憶の断片が映像のように甦ってきた。政策担当者、監督、老女優・・・。
照明係の親方は、軽トラで機材の搬入を手伝う管理人が短気を起こさないようにとの配慮でか、トラックの隣席にいつも気のいい女性の照明担当者を座るようにと言い付けていた。彼女は結婚したのでその仕事を最後にすると話していたが、どうしたか。
押し入れには2足の冬物の靴下があるが、それも気配りの親方から頂戴した物だ。
一合一会、まさにそうだ。こんな静かな曇天の秋の日に、そんなことを思い出しながらいい時間が過ぎていく。雨が降らないようなら、焼き合わせにでもツタウルシの紅葉でも見にいくか、それとも少し森の中でも歩いてみるか。
朝から1台の軽トラが通っただけで、登山者の声もしなければ、姿もない。
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本日はこの辺で。明日は沈黙します。