入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(20)

2020年11月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 一昨日「しかし、それが山を生活の場にしている者と、たまさか訪れた者との、敢えて言えば差ではないだろうか。」と呟いた。「差」などと言わずに、「違い」ぐらいにしておくべきだったかもしれないと後で思いながらも、そのままにした。



 入笠山の山頂へは滅多にしか行かない。今年はこれまでに1回だけ市長ら一行が来た時、牧場を案内がてら一緒に登っただけである。晴れた日の山頂の眺めに文句はないが、それでも自分からは行くようなことはまずない。それに対してその西側の、つまり伊那側に少し下った小入笠へはよく登る。今年だけでも100回を超すだろう、雨の日も風の日も。
 そこから眺める景色は、東側は入笠の山頂が邪魔するから概ね眺望は西側に限られ、伊那の谷や中アから北アとなる。普段は閉鎖された場所だが、ここに人を連れてきて入笠の山頂と小入笠の頭とどちらを選ぶかと尋ねれば、恐らく入笠山の山頂と答えるだろう。この頭もなかなかの場所ではあるが、しかしそれでいい。
 そう答えた人は眺望の良さからの判断だろうが、他方、何百回も登った者には、その都度に味わった思いがどこかに沁み込み、それが目の前の風景を目にする時に重なる。そういう心象を通して見ているから、美しさといった物差しだけでは測れない景色を見ていると言ってもいいだろう。
 余程のことがない限り、誰であれ生まれ育った土地への愛着はある。あの山室川の造った谷が、いつの間にか練ってねって作られた絶妙な蕎麦の味にも似てきたなどと、こんなよそ者が言ったら、かつての芝平の住人たちはどう思うだろうか。

 昨日はその芝平で生まれ育った北原のお師匠のお供をして、県境にある日蓮宗「真福寺」と、その昔に日蓮が立ち寄り説法をしたと伝えられている近くにある「高座石」を訪ねてきた。師は2回目だということだったが、その一人で思い込むこだわりについては、残念ながら弟子にはあまりよく理解できなかった。対応してくれた真福寺の住職もそうだっただろう。
 なお、富士見町が建てた高座石を説明している石柱は、身延山第9世日学上人と11世日朝上人の記述がアベコベになっていた。入笠の観光に力を入れている同町だが、富士見側の法華道の説明にも少々疑念が残る。

 用事が出来て急遽芝平まで行けば、「ナントカさ(失念)の水」の近くの側溝を、中年を過ぎた女性が浚っていた。この春にも見掛けた人のようだったので声を掛けたら、やはり元は芝平の住人だと言っていた。離村してからもう42年にもなるというのに、変わらぬ故郷への思いに触れた。
 本日はこの辺で。
コメント
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