入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(6)

2020年11月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 暮らしの比重を山から里に移すと呟いた。水道の水も落とし、今年の草刈りは打ち止めにするとも言った。しかし、水道はそのまま、生活は相も変わらず山が中心、きょうも追い上げ坂の草刈りで一日が終わった。山奥のオヤジサマの露天風呂の仕事も、まだ終わらない。
 きょうの写真は、追い上げ坂から眺めた左の峰が入笠山で、右の山頂に工作物があるのがお馴染みの権兵衛山、下に写っているのは走行距離20万キロに限りなく近付きつつある愛車である。ただし、ここまでこの軽トラを上げたのは初めてだと思う。
 いつもの年なら、入牧の手続き、検査が終われば、この急な坂を牛たちはたくさんの人によって追い立てられ、第1牧区へ入る。ところが今年はそうせず、写真の正面の草地は大型の囲い罠だが、ここで馴化させ、その後左及び背後の第4放牧地へ、牛を出した。確かに、この傾斜は入牧したばかりの妊娠している牛には負担が多く、さらに乳牛にとっては大事な乳房を繁茂したススキで傷付ける可能性もある。
 以前は、これほど追い上げ坂にススキは生えていなかったが、繁茂の原因を作ったのは何年か前の野焼きがまず考えられる。それで今年は、牛の群れが通れるに充分な範囲を刈り取ることにして、来春にはどうなっているかを調べてみることにした。
 ただしこれは簡単なことではない。ススキの切り株は牛の足を痛める可能性があるから、丁寧に刈る必要がある。これがなかなか難しい仕事で、手直しが終わらない。今まで気付かなかったが、枯れススキの根の部分には、すでに来春に備えた芽が育っている。

 そうした作業の中、もう、Autumn Leavesは歌わないが、きょうは「山小屋の灯」を口ずさんだ。この歌については以前にも独り言ちたが、こういう歌や詞が今後も生まれたり、歌われることはないだろうと思う。と言って、今の若い人々が、夕暮れの槍や穂高を目にしても、こんな情緒的、感傷的な気分を理解できるだろうか、などと言うつもりはない。ただ、どうだろう、この歌が生まれた当時の時代背景、これは無視できないと思うし、当時の山への郷愁をこの歌詞や歌い方はやんわりと誘ってくれる。
 先日、牧柵を修理していたら、テイ沢を歩いてきたという年配の登山者に声を掛けられた。70歳でマナスルに登頂した知る人ぞ知るFさんだった。その後、この独り言にも懇切な通信を頂戴し嬉しかったが、機会があれば、氏のような古い山の時代を知っている人と話してみたい。あの日本山学会の副会長も務められ、この小屋にもご夫妻で足を運んでくれた温厚なN先生が亡くなられた今は、特に。

 かんとさん、あなたに限っては仮に小屋番が外に寝ても、受け入れます。予約は不要です。クク。分かるでしょう。Oldさま、通信のお礼が遅れました。何卒ご自愛ください。
 本日はこの辺で。
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