今日は日露戦争終結100周年の日。1905年にポーツマス講和条約が調印された、記念すべき日だ。
講和にあたって、日本国内では講和反対運動が激しく、日比谷焼き打ち事件なども起きた。一部の好戦的勢力というよりも、国民の世論として終戦反対だったと言っていいだろう。確かに講和条件を見れば、これで日本が勝ったと言えるのかというところだ。でも当時の国際情勢とその後の世界史を思えば、アジアの小さな有色人の国がヨーロッパの強大な白人の国を相手に、五分の手打ちに持ち込んだだけでも勝利の名に値するだろう。
無論、戦争を美化するつもりはない。日露戦争が当時の日本にとって避けられないものだったとしても、戦争を避けられなくなったこと自体が失敗だろう。その後の世界史、とくに東洋の歴史にとって大きな影響を与えたのは事実としても、それが戦争で失われた人命とバランスがとれるかといえば誰も答えられないだろう。
といっても私は、歴史を見るのに現代の視点をもってしたくはない。「このことの是非は後世の歴史家が判断することだ」みたいな言葉を聞くことがあるが、後世の歴史家には、たとえば当時の日本人がロシアをどの程度脅威に感じていたかなどはわからないからだ。
これからの戦争には反対するけれど、過去の歴史は戦争も含めて、感情的に批判するよりも客観的に評価するようにしたいと思っている。そのためには、ほとんど知らない日露戦争についてももっと勉強したい。
読売新聞9月5日付社説
講和にあたって、日本国内では講和反対運動が激しく、日比谷焼き打ち事件なども起きた。一部の好戦的勢力というよりも、国民の世論として終戦反対だったと言っていいだろう。確かに講和条件を見れば、これで日本が勝ったと言えるのかというところだ。でも当時の国際情勢とその後の世界史を思えば、アジアの小さな有色人の国がヨーロッパの強大な白人の国を相手に、五分の手打ちに持ち込んだだけでも勝利の名に値するだろう。
無論、戦争を美化するつもりはない。日露戦争が当時の日本にとって避けられないものだったとしても、戦争を避けられなくなったこと自体が失敗だろう。その後の世界史、とくに東洋の歴史にとって大きな影響を与えたのは事実としても、それが戦争で失われた人命とバランスがとれるかといえば誰も答えられないだろう。
といっても私は、歴史を見るのに現代の視点をもってしたくはない。「このことの是非は後世の歴史家が判断することだ」みたいな言葉を聞くことがあるが、後世の歴史家には、たとえば当時の日本人がロシアをどの程度脅威に感じていたかなどはわからないからだ。
これからの戦争には反対するけれど、過去の歴史は戦争も含めて、感情的に批判するよりも客観的に評価するようにしたいと思っている。そのためには、ほとんど知らない日露戦争についてももっと勉強したい。
読売新聞9月5日付社説
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