野坂屋旅館

自然の豊かな小さな町で、不知火海で獲れた天然の美味しいお魚をメインに、四季折々のお料理をお客様にお出しします。

橋特集Ⅰ

2011-09-30 09:26:09 | Weblog
ぱるぱる様お待たせいたしました。

まずはリクエストの佐敷川の橋特集です。

藍川橋の向こうに見える一番手前の尾根が薩摩街道の佐敷太郎の登りのルートです。







これが藍川橋で、歩いてしか通れない橋です。










そのすぐ上流にあるのが七瀬橋で、七瀬食堂が橋のたもとにあります。


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6 コメント

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ありがとうございます (ぱるぱる)
2011-09-30 19:13:07
嬉しいです!!

川面に逆さに映っている町並みもいいもんですね
あれゴリラ山がゴリラでなくなっています/face_sup/}
山が秋色になってますね・・

橋の名前が、「藍川橋」・「七瀬橋」って、すんごく雰囲気の良い感じしませんか?
そういえば、「あいおい(漢字がわかりません)相逢橋?」
って、逸話のある橋もありましたね

町通り裏・川沿いの道は通学路で、藍川橋の階段をわざわざ上って下って登下校していましたよ。
懐かしくいろんな思い出が甦ってきました


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ありがとうございます (野坂屋主人)
2011-09-30 20:02:19
ぱるぱるさま

お気に召していただきありがとうございます。
長い間お待たせしました。

かかし祭りがもうお終いになるものですから、
先にアップをしました。

ゴリラ山とは、藍川橋の向こうに見える山の事ですか?
そういえばゴリラに見えるかも(笑)
私たちの世代では、そういう呼び名もありませんでした。
ちなみに城山(じょうやま)と呼ばれていまして、相良藩のお城があった山だそうです。

藍川橋の向こう、道川内の山の尾根が薩摩街道です。

これは、ブログに書き込むべきでしたが、朝からバタバタアップしたので、書き込みを忘れておりました。

相逢橋については仰る通りで、それは相逢橋の時に書かせていただきます。

また佐敷のこんな所が見たいと仰っていただければ、可能な限りアップしますので(笑)

ちなみに御迷惑でなければ、ぱるぱるさまはおいくつくらいですか?
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もうすぐ・・・ (ぱるぱる)
2011-10-02 00:04:36
今月で47歳になります。

佐敷には18歳まで暮らしましたので、来年は町を離れて30年になってしまいますね

ゴリラ山は採石場なので、ずいぶん削られて形が変わってしまったようですね。

ご主人は、みかげ公園の上の山が「はげんと山」と言っていたのをご存じでしょうか?
この山も、すっかり姿を変えて「はげ」が見えない山になってたよーな



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意外と同年代 (野坂屋主人)
2011-10-02 07:30:31
ぱるぱるさま、私は37年生まれのもうすぐ49歳です。
私の亡くなった弟と同級生だったのですね。
ただ小学校1年の1学期の途中で亡くなったので、憶えていらっしゃるか分かりませんが。
小学校1年の頃の担任は元山先生(女性)でした。
今の宮島医院の院長先生が、ぱるぱるさまの同級生ですね。

そういえばはげんと山も17・8年行っていません。
昔は幼稚園の遠足で行ったり、ソリを持って滑りに行ったりしていましたね。
あの頃のソリは、木製の椅子を切って、竹を半分に切ったものを、
火にあぶってスキーの板のように曲げて釘で打ち付けていました。

物が無かった時代ですから、今のプラスティックのソリは無かったですね。
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先輩ですね (ぱるぱる)
2011-10-03 22:46:34
ご主人は、私の2年先輩になられるんですね・・・
そして、弟さんは同級生だったんですね。

私は1年2組で同じクラスではなかったのですが、近所の同級生に1組だった子が何人かいました。
当時、天国にいった友達がクラスにいると耳にしたことがあります。
その人が、弟さんとは・・・
何年も経ちましたが、淋しいことですね。

伸ちゃん先生は、そうです。同級生ですよ。



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そうですか (野坂屋主人)
2011-10-04 00:38:03
そうです。

天国に行った子が、私の弟でした。
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