久多良木は元々百済来(くたらぎ)と書いたといわれています。
ここには日羅(百済の高官)のお父さんが葦北の国造りとして着任されていらっしゃいました。
それで百済来という地名になったと言われています。
黒岩では雲海が見れなかったので、こちらへ降りて来ました。
少しだけ雲海に近いものが見れました。
あとは久多良木の朝の景色です。
久多良木は元々百済来(くたらぎ)と書いたといわれています。
ここには日羅(百済の高官)のお父さんが葦北の国造りとして着任されていらっしゃいました。
それで百済来という地名になったと言われています。
黒岩では雲海が見れなかったので、こちらへ降りて来ました。
少しだけ雲海に近いものが見れました。
あとは久多良木の朝の景色です。