民主党政権で一躍有名になった「八ッ場」にやってきました。
JR吾妻線川原湯温泉駅の背後で取り付け道路の橋脚の建設が進んでいます。この駅もいずれ水底に。温泉宿も水の中、泉源もダムの底。旅館はどうするの・・・とお聞きしたら、宿の移転先までポンプアップして営業するとおっしゃっていました。
この渓谷「吾妻渓谷」というそうです。この写真よりもっともっと深いすばらしい谷が形成されているんです。春夏秋冬四季折々の自然が楽しめるこの地域の大切な観光資源だという。主要な渓谷部分は残されるとのことですが、天が与えてくれた自然は地球の宝物大切にしたいものです。
国土交通省がこの事業のPRをするためでしょうか、その施設「やんば館」を訪ねました。 私は603,300人目の来館者ではなかったのでしょうか、残念ながら記念品はいただけませんでしたが、長い歴史がいっぱい詰まっている展示館でした。
首都圏を水から守る。水がめとして首都圏を潤す。 いわゆる治水利水そんな理由でこのダムの構想が進められたのでしょうか。県と町と国が建設に向けての協定書を締結したのが平成4年。それが40年越しと言えば40年前は昭和27年、そんな長い歴史を積み重ねての調印。以後上の写真の上段を天眼鏡で覗いてください。平成13、16、17年それぞれの節目を経て住民の移住は進み、取り付け道路などのハード事業は進んでいる。そんな現場に降り立った「民主党」が唱えた「コンクリートから人へ」いいでしょう私も賛同したんです。でもでもなんです。長い時間をかけて住民の苦悩の選択の中でようやく進められたこの事業、「やぁ~めた!」はないでしょう。計画中や着手前なら「やめた」もいいでしょう。でもここは違う、現場に立って、歴史を知ってより一層その意を強くしたのでした。
「八ッ場ダム」は少々水に関わっている私たちの研修目的のひとつでもあったのですが、民主党の「やぁ~めた」には誰一人賛成と手を挙げた人はいなかったようです。完成したダムが地域の発展に寄与することを願いながらこの地をあとにしました。