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悲しみの道/その1 (2014中東no34)

2014-06-20 | 中東

 イエスが死刑判決を受け、十字架を担いで処刑の行われたゴルゴダの丘まで歩いたと信じられている道を歩きます。それはキリスト教徒にとって最も聖なる道だといいます。

 ごちゃごちゃした小っちゃなお店が並ぶ小路を抜けて目的地に向かいます。 

 ガイド本にはこう書いてありました。「イエスはもともとユダヤ人である。しかし、ユダヤ教の律法学者は、イエスの説く教義が律法をないがしろにするものだと考えていた。そして人々の心をとらえたイエスの力を脅威と感じ、結果的に十字架へと追い込んだのである」と。そして、当時この地を統括していたローマ帝国の総督ピトラによって死刑を言い渡されたという。その場所には、現在学校が立地していて、私たちは見ることが出来ませんでした。この地からイエスが磔刑にされた聖墳墓教会までの道のりに、イエスにまつわる出来事を記念した14のポイントが設けられ、それぞれに教会あるいは修道院が建てられているそうだ。 

 私たちは第2ステイションから。「鞭打ちの教会」ローマ兵士たちに鞭で打たれ、茨の冠を頭に十字架を背負っての死への旅立ちが、ここから始まったという。次の写真は、その教会の内部。 

 

  私たちは、第3ステーションに行く前にシオン聖母修道女院を訪れるのでした。

 ガイドさんが手にする写真、どこかで目に触れませんでしたか。そうです、no19「ネボ山へ」でご紹介した聖ジョージ教会の床に貼られていたエルサレムを表すモザイク地図です。 

 修道女院の地下には、ローマ時代に残されたという、こんな遺跡を歩きました。いただいた日本語のパンフには、紀元前30年、北方からの攻撃を防御するためローマ軍人により建てられたと書いてありますが、よく分かりません。貯水槽もあるし、すり減った石畳歩道。生活していたにおいはするのでした。

 

 

 ヴィア・ドロローサ 。キリストの道行きが1から14まで図示されたパネルが掲げてありました。私たちはここを歩くのです。こうして航空写真で見るとエルサレムの旧市街地は意外に小さい。

 

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