S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

言葉を見るという視線。

2007-05-09 17:00:03 | Weblog
アレルギーの薬が終わってしまったので、きのうは会社の帰りに皮膚科に行く。
薬を飲んでもなかなか治らないし、痒みがとまらないので薬を変えてもらい、猫や海老やハウスダストにアレルギーがないか調べてもらうことにした。

海老はみんな大好きなんだけれど、わたしは嫌いじゃないが、海老の調理をしたり、食べると身体中痒くなる。
以前、海老の皮をむいていて、その汁が眼に飛んでしまったために、お岩さんのように眼が腫れた・・・・・
海老ちゃんはおいしいんだけど・・・・そんな理由で食べるのが怖くなった。

猫アレルギーが出たらどうしよ?と思ってる。

猫は大好きだから、アレルギーが出たってこれは仕方ない。
こだまを追い出すわけにはいかないもん。


このアレルギー症状も更年期の恐怖の副産物か?


今読んでいる中平卓馬は写真家である。
「見続ける涯に火が」・・・彼が1965年から1977年にかけて書いた文章だけれど、ものすごく新鮮だ!
彼は写真家でありながら言葉に対する深い意思と、鋭い感性を持っていて、泣きたくなるぐらい共感できる。
この本に出合えたことも感謝するし、これを写真を勉強している娘にも読ませてあげたい。少し難しいかもしれないけれど・・・

彼が「すべての死んだ言葉からぬけ出し、茫漠とした命名不能の現実へ向かってさまよう危機的な視線を持ち続けたい」と言っている意思を、自分も身体のなかに刻み付けておきたいと思った。

彼が化石ではない生きた言葉として胸を打ったという「ゲバラ日記」を今度是非読んでみようと思う。


わたしの読書はこうして何か導かれるように、次の本に出合えることは、自分の魂みたいな内側の希求が、どこかに向かって流れているのだと漠然とだけれど、感じることがある。

自分の方向性が選び取っている現実なのだと思う。

生きていく限り、希求していくものを身体に持っていたい!


テンプレートを緑の季節に変えました。