仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

かあちゃん

2018年12月10日 | ムービー
『かあちゃん』(2001年/市川崑監督)を見た。
物語は、「ある晦日の日。長屋住まいの大工の熊五郎(石倉三郎)は、空き巣に入られたことを口実に、店賃の集金に来た大家(小沢昭一)に支払いを待ってもらった。盗まれた物を品書きして、お上に届出を出さなければならないと言われ、すっかり盗られたと言うのだが、空き巣に入った勇吉(原田龍二)は何も盗んでいなかった。勇吉が次に狙ったのは、おかつ(岸恵子)のところ。居酒屋で印半纏の男(中村梅雀)、老人(春風亭柳昇)、左官の八(コロッケ)、商人風の男(江戸家小猫)の話を盗み聞き、随分と金を貯め込んでいると踏んだのだ。そして深夜・・・」という内容。
市太(うじきつよし)、次郎(飯泉征貴)、三之助(山崎裕太)、おさん(勝野雅奈恵)、七之助(紺野紘矢)はぐっすりと眠り込んでいたが、おかつは夜なべ仕事をしていた。
おかつのところにあったのは、けちんぼ一家と言われながらも家族総出で、足掛け三年かけて稼いだ五両あまり。
これは、切羽詰まって二両の盗みを働き、牢屋に入れられた市太の友人・源さん(尾藤イサオ)のために貯めた金だと説明し、家族を誰も起こさず、温かいうどんを一杯ご馳走すると、勇吉の心から邪心はなくなった。
天涯孤独の人間がこんなことをされてしまっては、そりゃぁ涙も出てくるだろう。
おまけに、遠い親戚の人間だということにして、一緒に暮らしはじめるのだから、このかあちゃんという人は凄すぎる。
考えが足りないということではなく、豊かな発想と行動力の持ち主なのだ。
長男・市太は少しおっとりした男だが、この男もナカナカに人間性溢れる奴。
素晴らしい家族の物語だった。

獄門島(その2)

2018年12月04日 | ムービー
11年ぶりに『獄門島』(1977年/市川崑監督)を見た。
物語は、「昭和21(1946)年。瀬戸内海に浮かぶ周囲二里ばかりの小島で、明治以前は流刑場だった獄門島に、探偵・金田一耕助(石坂浩二)がやって来た。帰国の途中、復員船の中でマラリアにより死亡した本鬼頭(本家)の長男・鬼頭千万太(武田洋和)の絶筆を千光寺・了然和尚(佐分利信)に届けるという依頼を友人・雨宮から受けたからだった。そしてもう一つ、自分が帰らないと殺されるという千万太の妹・月代(浅野ゆう子)、雪枝(中村七枝子)、花子(一ノ瀬康子)についてことの真相を確かめ、可能なら未然に防いでほしいということだった。しかし、本家に住んでいる分家の娘・早苗(大原麗子)に事実を伝えた夜、殺された花子の死体がノウゼンカツラの木に吊るされ・・・」という内容。
殺人事件の捜査に当たるのは、岡山県警の等々力警部(加藤武)、阪東刑事(辻萬長)と、駐在の清水巡査(上條恒彦)の三人なのだが、金田一を容疑者として留置する清水もそうだし、誰よりも等々力警部の早合点が酷い。
「よし!分かった!!」と言いながら、手をポンと叩くのだが、これがマッタク当てにならない。
(^_^;)
そればかりか、捜査を間違った方向に導いて時間ばかりを浪費してしまいそうな気がするし、何より冤罪を生み出す原因にもなりかねないのが、本筋とは違う妙な怖さがあるのだった。
これは、推理作家・横溝正史(1902年~1981年)による同題の探偵小説が原作で、"金田一耕助シリーズ"作品の一つとして、昭和22(1947)年から昭和23(1948)にかけ、雑誌に連載されていたという。
なかなかに難解な事件をいくつも解決する金田一だが、いつも殺人事件を未然に防ぐことが出来ないのが残念だ。

青色革命

2018年03月24日 | ムービー
『青色革命』(1953年/市川崑監督)を見た。
物語は、「久松教授(中村伸郎)と学問上の論争がキッカケで反目し合い、職を辞した小泉達吉(千田是也)。後輩の鴨井助教授(伊藤雄之助)が何度も正岡総長(青山杉作)に掛け合ってくれたが日新大学への復職は叶わなかった。大学生の長男・順平(太刀川洋一)は希望した新聞社に採用されず、高校生の弟・篤志(江原達怡)と共に、前借りした2人の小遣い1年分を原資に高利貸しの仕事を始め、母親・恒子(沢村貞子)の心配ごとは尽きないのだった。また、家の下宿人・福沢君(三國連太郎)は、日曜のお昼ご飯時になると狙いすましてやってくる達吉の姪・並木美代子(久慈あさみ)に夢中だが、恒子は美代子と鴨井助教授との見合い話をすすめようと・・・」という内容。
美代子がお昼時に限って遊びに来るのは食費を浮かすためだとみんなの前でばらして笑っている篤志は、母親が作ってくれている弁当を学校で売っていることをばらされる。
兄にはコーヒー代やパチンコの玉を貸して利息分を取ったり、喫茶店でお酒を出させたり、とんでもない高校生なのだが、そんな弟を相手に青臭い革命論をぶつける順平。
2人のやり取りが耳に入った達吉が「あいつはいつの間に共産党になったんだ?」と心配するものの、恒子は「そんなものなりゃぁしませんよ。大丈夫ですよ。子供が共産党になるのはみんな親が悪いのよ。親が本当に子供を愛してやらないから寂しさのあまりああいうものに走るんでしょ。うちは大丈夫よ。私がついてますもの。あの年頃の子供にとっちゃ共産党もパチンコも同じですよ。麻疹みたいなものだから」と、マッタク意に介さない様子。
いろいろありそうな家だが、何だかんだうまくいっている人間関係が面白い。
(^_^)
初島という小料理屋のおかみ・須磨(木暮実千代)と、"日本国民民主化連盟主事"、"関東青年同志会事務局次長"、"日本國学新聞論説委員"を名乗る犬飼武五郎(加東大介)の怪しい2人もそうだが、オネェ言葉の福沢君も、男勝りの美代子もナカナカに飛び抜けた登場人物だ。
女性物のような普段着で、雑誌に出ているバレリーナの写真を見ながらいろいろとポーズをとり、組んだ両手の平が基本的に胸の位置にある福沢君と、見合いの席で、"おつむが禿げてる人は嫌い"と言ってしまう美代子は意外とお似合いだ。
(^。^)
美代子を演じている久慈あさみ(1922年~1996年)という女優さんを調べてみると、宝塚劇団で男役をしていた人のようで、淡島千景、南悠子と共に"東京の三羽烏"と呼ばれていたというそれなりに有名な人だったようだが、さすがに時代が違いすぎるのでマッタク知らなかった。
(^_^;)
「2人は恋愛関係なのかい」
「ばかね先生。そうじゃないからプレゼントなんかするんじゃないの。はっきりしちまえば何にもくれるものですか、男なんて」
「男にもいろいろあるだろう」
「あるもんですか。プレゼントなんて餌よ。おさかな釣るみたいなもんよ」
「じゃあ、そういうことにしておこう」
こういうざっくばらんな台詞のやり取りが多くて、市川崑監督の作品は面白い。

プーサン

2017年06月20日 | ムービー
『プーサン』(1953年/市川崑監督)を見た。
物語は、「補修学校(予備校)の講師をしている野呂米吉(伊藤雄之助)は、8年前に奥さんを亡くし、今は税務署吏員・金森風吉(藤原釜足)の家に間借りしているのだが、その娘・カン子(越路吹雪)に好意を寄せている。銀行勤務のカン子は無類のガンコ娘で、同僚より先に帰宅したくないと連日の残業続き。学校経営者の土建屋(加東大介)から時間外勤務を強いられても文句ひとつ言えないような米吉には興味がなかった。米吉は生徒の古橋三平(山本廉)の誘いにのってメーデーに参加したのだが、そこで・・・」という内容。
米吉は見るからに覇気がない男で、疾走するトラックをよけ損なって転び、右手をくじいた際も、授業中、代わりに黒板の文字を書いた泡田(小泉博)に金を請求され、その通りに支払うような頼りなさだ。
また、腕の治療に近所の病院を紹介された際も、内科医・手塚(木村功)の聴診器を使った診察を受け、「腕はいつ見てくれるんですか?」と終わって服を着てから訊ねる。
これは、どうにもずれている・・・。
(^_^;)
その手塚医師に関わるエピソードは酷かった。
あまりに忙しいからと弁当を食べながら患者の話を聞くというのも無茶苦茶だが、東大理学部の学生(平田昭彦)だというその患者は他の病院で結核と診断されが、アルバイトのため健康体だと書いた診断書がほしいのだという。
"アルバイト→本採用→給料確保→健康保険加入→治療"というのがその学生が描いたスケジュールらしいのだが、「その間に人に感染したらどうするんだ!!」と怒鳴られる。
そりゃそうだ。
あまりに自分勝手すぎる。
米吉とカン子のデート先は何故か日劇ミュージックホールでのストリップ。
開場一周年記念公演"桃源の美女たち"だ。
(^。^)
周囲の客がカップルだらけという演出に驚いたが、当時はストリップをデートコースに入れるというのもありだったのだろうか。
(^_^;)
出演していたのはマリー松原という人らしいのだが、"桃源の美女"というよりは"ジャングルの野獣"という感じだった。
銀座を行き交うクルマを避けながらスイスイと向かい側へ渡りきるカン子に対して、なかなか渡れない米吉。
2人の性格が良く表れていた場面だった。
調べてみると、1950(昭和25)年7月から1953(昭和28)年12月まで毎日新聞夕刊に連載された4コマ漫画が原作であり、映画化されるほどの人気だったのだというが、流石に時代が古すぎることもあって知らなかった。

足にさわった女

2017年04月02日 | ムービー
『足にさわった女』(1952年/市川崑監督)を見た。
物語は、「北五平太(池部良)は、(大阪府警ではなく)大阪警視庁捜査第1課第3係に所属する対スリの専門家。気が進まなかったのだが、上司の命令により1週間の休暇を取ることとなり、東京で行われる美人コンクールを見に行くことにした。東京へ向かう特急電車の食堂車で、"古来、美人の女盗賊というものは存在しない"と力説する小説家・坂々安古(山村聰)に異議を唱えた。一方、特別二等車。東京製薬株式会社社長・岡田六右衛門(見明凡太朗)の足に、向かいの席の足を組んだ美しい女性のつま先が頻繁に触れてくる。塩沢さや(越路吹雪)は大阪を根城にしている女スリで、父の法要のため下田へ向かっているところだった。さやと弟分ハシル(伊藤雄之助)の画策により照明がつかずマックラなトンネルを通過したあと、車内でスリ騒ぎが起きる。休暇中なので事件には関わりたくなかった北だったが、列車を乗り換えたさやを追い・・・」という内容。
乗り換えた列車の車内では、どこかのご令嬢に見間違われる服装から農婦のもんぺ姿に変装をしたものの、すぐに北と鉢合わせしてしまい、何とか逃げ切ろうとして、北に落とし物を拾ってほしいと頼み、発車間際の列車から降ろさせる。
この場面は実際に動き出す寸前の列車の下に池部良本人が潜り込んでいる。
スタントマンの代役や特撮も使っておらず、潜り込んだまま列車が動き出したのには驚いてしまった。
あれは凄い場面だった。
また、山村聰が演じた小説家・坂々安古が"おねえ言葉"だったのも妙に面白かった。
(^。^)
女学校を2年で中退したというさやは27歳。
太平洋戦争中、網元だった父にスパイ容疑をかけて国賊扱いし、自殺にまで追い込んだ親戚連中に、盛大な父の法要を行い見返してやることを長年の目標としてきたのだが、列車内で情けをかけた老婆(三好栄子)に貯めたお金をすられてしまうというのだから、因果応報だ。
(^_^;)
坂々「スリは現行犯でなくても捕まえられるんですか?」
塩沢「本人がスリだと言ってるんだから間違いないわよ」
警視(藤原釜足)「自白はあてにならないな」
というやり取りがあったのだが、自白偏重の取調べにより数々の冤罪が生み出されていた時代の物語だと思ったので、「これは皮肉か!?」とも思ったのだった。
この作品は、『足にさはつた女』(1926年/阿部豊監督)、本作(1952年)、『足にさわった女』(1960年/増村保造監督)と3回にわたって映画化されているようなのだが、かつては評判が高かった作品なのかもしれない。
昔の映画の割にはテンポがよかったし、面白い作品だった。
(^_^)

ラッキーさん

2017年02月22日 | ムービー
『ラッキーさん』(1952年/市川崑監督)を見た。
物語は、「南海鉱業株式会社に勤める若原俊平(小林桂樹)は、社内で"ラッキーさん"と呼ばれていて、昭和27年1月15日付けで庶務課から社長秘書へ昇進との社告が張り出された日には、"昇進祝い"だと自前で同僚に奢り、その挙句給料を前借してしまうという憎めない男。秋葉恭介社長(河村黎吉)は、前社長の奈良庄右衛門(小川虎之助)が戦後の公職追放により会社を去った際からの"留守番社長"だったが、追放解除による前社長復職で自分の立場が危うくなると考えていた。前社長令嬢の由起子さん(杉葉子)が経営している美容室の開店1周年記念の日に花を届けたものの、店に千里社長夫人(沢村貞子)が居合わせたことから、庶務課の町田さん(斎藤達雄)を替え玉にしたことがばれてしまい、さらには(町田さんが)葬式の帰りであることまで白状するという大失敗を演じてしまった。秋葉社長はこの失態を取り戻すため、由起子さんのお婿さんを世話しようと考え、秘書の若原に助言を求めるのだが・・・」という内容。
同じ秘書課の町田素子(島崎雪子)はラッキーさんに好意を持っているようだったが、彼は何かと忙しいことから、映画の約束すらもなかなか実現しない。
「若原さんの頭の中って、人のことばかりなのね」と、いつも自分自身のことより周囲の人達のことを考えているラッキーさんに幾分ガッカリもするのだが、きっと彼のそういうところがラッキーを引き寄せていて、そこが周りの人から"ラッキーさん"と呼ばれるようになった所以ではないのかと思った。
季節はずれの社員大運動会では、やはりラッキーさんに幸運が舞い込んできたのだが、あまりに職務のことばかりを優先するものだから、その後、せっかくのラッキーを生かせなかったのが残念だ。
とてもパワフルな奈良前社長が葉山の別荘で贅沢な料理三昧なのに対して、贅沢な料理ばかり食べ続けるとお茶漬けの美味しさが分かるという秋葉社長。
そのギラギラさの違いが財閥のオーナー(前)社長とサラリーマン社長との違いなのだろうか。
そして、ラッキーさんはまだまだ駆け出しのサラリーマンなので、「我々も早くお茶漬けの味を知りたいものでございます」とあくまでも秘書の仕事に徹していたが、あと数十年も経つと秋葉社長のようなことを言うのだろうか。

忠臣蔵 四十七人の刺客

2012年02月12日 | ムービー
『忠臣蔵 四十七人の刺客』(1994年/市川崑監督)を見た。
物語は、「江戸城内で刃傷事件を起こした浅野内匠頭(橋爪淳)を即日切腹とし、赤穂藩も取り潰した江戸幕府。その幕府の面目を叩き潰そうとの思いで仇討ちを計画した元赤穂藩国家老・大石内蔵助(高倉健)。対して吉良上野介(西村晃)を赤穂浪士から守るため様々な策を講ずる米沢藩江戸家老・色部又四郎(中井貴一)は・・・」という内容。
史実としての討ち入りは、その原因となった江戸城内・松の廊下での刃傷事件の理由について諸説あるようだが、この映画では最後までその部分は謎とされた。
色部の質問に吉良上野介は答えなかったし、最後にはその理由を明かすことを命乞いの条件として言い出したくらいだ。
監督がこの部分にこだわる理由は何だったのだろうか。
さほど大きな事柄にも思えなかったが、"最後にそれを持ち出す吉良の人間性"と"すでにそもそもなんて事はどうでも良くなっていた元赤穂藩士の心情"を改めて表現したかったのだろうか。
また、吉良邸の庭に迷路や堀があったりしたのだが、こういう表現も初めて見た。
斬新というよりは少し違和感を感じる演出だったので驚いた。
浪士を切り崩すために色部は様々な策を講じるが、効果があるのはやはり就職の口利きだ。
これはいつの時代でも一緒なんだろうな。

悪魔の手毬唄

2009年08月29日 | エンタメ
"GYAO"で『悪魔の手毬唄』(第2話)を見た。
これは映画ではなく、"横溝正史シリーズ"として1977(昭和52)年にテレビで放送されていたもの。
(^_^)
内容は、「岡山県鬼首(おにこべ)村の"亀の湯"で静養していた探偵・金田一耕助(古谷一行)は、仙人峠ですれ違った老婆おりんがすでに亡くなっている筈だと聞かされたことから、多々羅放庵(小沢栄太郎)の安否を気遣い、草庵を訪ねたのだが・・・」という幾分不可解な出来事から始まる物語。
この後、奇怪極まる連続殺人事件が展開されることになるわけで、これは一連の事件の序章にすぎないのだった。
物語そのものは、映画作品の『悪魔の手毬唄』(1977年/市川崑監督)と変わりはしないものの、2時間ほどで完結してしまう映画とは違い、このテレビドラマは全6話(5時間弱)で構成されている。
時間が長いからといって間延びなどはしていなく、映画にはない細かな描写が楽しめる。
1985(昭和60)年に27歳で亡くなった女優・夏目雅子が、別所千恵子(大空ゆかり)役として出演しているのも懐かしい。
さて当時、毎週土曜日午後10時から放送されていたこの"横溝正史シリーズ"最初の半年間(今風にいうと1stシーズン)の主題歌は、茶木みやこの『まぼろしの人』という曲だった。
中学生だった仁左衛門は、物語の展開もさることながら、その妖しい歌声がとても気になっていたのだった。
(^_^)

東京オリンピック

2008年12月18日 | ムービー
『東京オリンピック(英題Tokyo Olympiad)』(1965年/市川崑監督)を見た。
これは、昭和39(1964)年10月10日から同24日の期間に東京で行われた"第18回夏季オリンピック"を記録したものであり、基本的にはドキュメント作品なのであるが、競技以外の部分ではそれなりの演出はされているようだ。
例えば、富士山を背景にして聖火リレーのランナーが画面左から右に煙をたなびかせて走る様子は、別撮りとのことである。
上映時間は170分という長い作品だが、一番多く記録されていたのは陸上競技だった。
サッカー競技が今ほどの人気であれば相当な時間を割くことになったのだろうが、日本チームが活躍したわけでもないし、決勝の様子がほんの数十秒映ったに過ぎず、ボクシング競技などは(全編カラー作品でありながら)唯一モノクロ映像での取扱いなのだった。
(^o^)
映像はこれでもかというほどに極端なズームが多用され、走っている選手の全身を映すどころか、上半身と下半身に分けたショットで写されてもいて、顔すら映っていない選手がいたのには笑ってしまった。
仁左衛門は当時2歳だったので、このオリンピックやこの時代のことは何も知らないのだが、(後年自殺したという)マラソン競技で銅メダルを獲得した円谷幸吉選手の表彰台上での笑顔は素晴らしかった。
当時は映画館以外に学校や公民館でも上映されたというから、多くの日本人がこの映画を見たのだろう。

戦後値段史年表

2008年04月14日 | エンタメ
先日見た『犬神家の一族』(1976年/市川崑監督/東宝)の舞台は、昭和22(1947)年だった。
約60年前とあって余りにも時代が違うし、"外食券"という言葉も出てきたように戦時統制経済がまだ続いている時代背景が幾分描かれていて少し興味を持った。
「旅館の宿泊料金はいくらだったんだろう?」「蕎麦は一杯いくらだったんだろう?」等と少し調べてみたのだが、昭和21年、22年、23年と随分インフレが進行したようだ。
で、興味持ちついでに購入したのが、この本『戦後値段史年表/週刊朝日編』(1995年/朝日文庫)というわけである。
【白米】【理髪料金】【都知事の給料】【蕎麦】【蚊取線香】【胃酸】等、223項目にわたって物やサービス、給料等の変遷が記載されていてナカナカ面白い。
例えば、【映画館入場料】(封切普通入場料)は、
昭和21(1946)年3月=3円
昭和21(1946)年5月=4円50銭
昭和22(1947)年3月=10円
昭和22(1947)年9月=20円
昭和23(1948)年8月=40円
昭和26(1951)年?月=80円
と書かれているが、見る見るうちに上がっているのには驚かされる。
わずか6ヵ月後に倍の値段だ!!
「だから?」「知ってどうするの?」と言われると、どうしようもないのだが・・・。
(^^ゞ

戦後値段史年表 (朝日文庫)

犬神家の一族

2008年03月23日 | ムービー
『犬神家の一族』(1976年/市川崑監督)を見た。
「日清・日露・第1次世界大戦と、戦争によって莫大な資産を築いた犬神佐兵衛(三國連太郎)は、顧問弁護士の古館(小沢栄太郎)に遺言状を託していた。密かに中身を盗み見た弁護士助手の若林は遺産相続を巡る争い事が起きかねないと考え、探偵金田一耕助(石坂浩二)を呼び寄せる。しかし、その若林は死に、犬神一族の人間も次々に殺されていく」という物語。
舞台は昭和22(1947)年の信州(長野県)で、出征していた犬神佐清(あおい輝彦)が復員してきたり、金田一耕助が「外食券の代わりにこれを使ってください」と旅館の女中に米を渡すなど、まだまだ戦争の余韻が残っている時代(外食券というものは昭和27年まで使われていたよう)である。
しかし、この映画が制作された昭和51(1976)年にはすでに蒸気機関車は走っていなかったので、音は使われているが映像は出てこない。
明治・大正・昭和と使われ続けたあらゆる物が、戦後の高度経済成長を続けた中で徐々に新しく置き換えられていき、この頃にはすっかり何もかも変ってしまっていたのだろう。
そうなると、山や湖といった自然の中で撮影するか巨大なセットを作るか、音だけを使ってあとは見る人の想像力に期待するしか無い。
さて、金田一耕助が登場する物語は、最後に行われる謎解きがメインイベントで、これ抜きには終わることができないのだが、殺人を未然に防ぐことはほぼ出来なくて、いつも悲しい現場に立ち会うことになるのだった。
そこがシャーロック・ホームズとの違いだろうか。
しかし、用意されたキーワードや言い伝え、わらべ唄になぞらえた事件が、次々と起きていく様が大きな魅力ではある。
この『犬神家の一族』も当然そこを踏まえていて、それがあるから面白い。
解っていながらまた見たくなるのだ。
(^_^)

女王蜂

2007年05月18日 | ムービー
『女王蜂』(1978年/市川崑監督)を見た。
横溝正史原作&市川崑監督&石坂浩二主演の一連の金田一ものだが、これほどまでに面白くないのはどうしてなのだろうかと考えてしまう。
(^_^;)
さすがに終盤の金田一の謎解きの部分には見入ったが、あんなに時間をかけなくてもいいだろうと思った。
序盤から中盤にかけても、中井貴恵(大道寺智子役)の学芸会の演技を見せられているようでとても退屈だった。
毎度の横溝作品のパターンを材料として、その後の展開を想像しつつ見ていたに過ぎない仁左衛門だが、この作品は仁左衛門の想像力を上回ってくれなかったということなのだろうか。
いっそのこと、『刑事コロンボ』のように最初から犯人が解っているうえでの展開のほうが退屈しなかったのではないだろうか。
この映画には少々がっかりしてしまった。
(-_-;)

獄門島

2007年05月05日 | ムービー
『獄門島』(1977年/市川崑監督)を見た。
横溝正史原作の物語で描かれるのはドロドロした人間関係の中に発生する陰惨な事件ばかりだが、この物語もそうでありつつ少し悲しい物語。
使われているテーマ曲がオドロオドロシイものではないだけに、登場人物の哀れさが引き立つ。
そして、重要な点になっているのが、"故人の遺志"。
犬神家の一族』(1976年/市川崑監督)もそうだが、死んで尚この世に影響を及ぼすというのは恐ろしいことだ。
「季違いだがしかたがない」
この『獄門島』を初めて見たのは30年も前のことなので、犯人や事件の詳細は忘れていたのだが、了然和尚(佐分利信)のこの台詞はとても印象深く記憶に残っていた。
松尾芭蕉などの俳句に見立てた連続殺人が起こっていくというのがこの映画の筋書きなのだが、この台詞が解決のための最初のヒントだったからなのだろうか。
そして、今回初めて気がついたことが二つあって、一つは"しおどき"の言葉の意味。
「今が潮時」などと使われることから「ひきぎわ」とか「手を引く」といったような意味だとばかり思っていたが、「ものごとをするのにちょうどいい時」という意味だったことに気がついた。
40歳も過ぎて正しい日本語の意味を理解していなかったとは、まったくもって恥ずかしい限りである・・・。
もう一つは、通常の3倍のスピードで移動する"赤いあの人"がこの映画に出演していたことだ。
(^。^)

悪魔の手毬唄

2007年05月03日 | ムービー
『悪魔の手毬唄』(1977年/市川崑監督)を見た。
これは横溝正史の探偵小説が原作だ。
1961年には高倉健主演(金田一耕助役)で映画化されていたらしく、この石坂浩二主演版は再映画化ということのようだ。
金田一耕助が登場する映画やテレビドラマは数多く作られていて、何人もの俳優が演じているのだろうが、仁左衛門の世代では、映画の石坂浩二とテレビの古谷一行が結構印象に残っている金田一耕助ではないかと思う。
さて、金田一耕助が遭遇する事件の特徴は、複雑極まりない人間関係が描かれていることと、離島や片田舎の小さな村落が舞台になっていることだ。
大衆が遠くの町まで頻繁に行き来することなどほとんどなかった時代が背景になっているからなのだろうが、交通網や情報網が極度に発達し、夜の暗闇が随分と少なくなった今の時代では、こういった舞台は設定しにくくなったのではないだろうか。
この『悪魔の手毬唄』という物語は、岡山県のとある地域に残る手鞠唄になぞって次々と起きる殺人事件の謎を探偵金田一耕助が解いていくという内容なのだが、これを見るのが初めてではない仁左衛門はすでに結果を知っている。
まるで"刑事コロンボシリーズ"を見ているかのように、犯人が分かっているのにそれでも見てしまうのだが、映画というのはそれもまた良いのだ。
(^_^)

事件

2006年06月26日 | ムービー
『事件』(1978年/野村芳太郎監督)を見た。
殺人と死体遺棄の罪に問われた工員(19歳)の裁判を描いた物語で、被害者は犯人の義理の姉という事件だった。
今の時代はもっと凶悪な犯罪が連日のごとく起きていて、すでに現実社会は物語の殺人事件を凌駕していると思うのだが、原作が書かれた当時やこの映画が上映された当時は充分過ぎるほどに憂鬱な内容(人間模様)だったのかもしれない。
公判検事役は芦田伸介、弁護士役は丹波哲郎で、2人の名前が最初に紹介されることから一応彼等が主役ということになるのかもしれないが、他に存在感がある役者がこれでもかというくらいに出ていたので、2人の対立(対決)はかえって霞んで見えるほどだった。
これほど台詞が多い丹波哲郎も初めて見たが・・・。
(^_^;)
共演の渡瀬恒彦は、『仁義なき戦い』(1973年/深作欣二監督)の役柄同様に相変わらずチンピラ役がピッタリでこの上ない凶暴さを含んでいたし、大竹しのぶは、本当にしたたかな女の役が上手だと感じた。
また、佐分利信がキレ者の裁判長の役で出演していたが、公判検事と弁護士の互いの戦略に流されそうな状況を本筋に戻してくれる貴重な役柄で、「順調にいくといいがね」と、ぼそっと言った台詞や次々と明らかになる人間模様が『獄門島』(1977年/市川崑監督)の住職(了然和尚)役を思い起こさせたのだった。
この1970年代前半という時期は、なかなか良い日本映画が作られていた頃なのかもしれない。
これはおすすめできる日本映画だ。