仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

浅草四人姉妹

2017年03月22日 | ムービー
『浅草四人姉妹』(1952年/佐伯清監督)を見た。
物語は、「昭和27(1952)年の浅草。季節小料理"お獅子"を経営している井手藤吉(三島雅夫)と梅子(沢村貞子)の夫婦には4人の娘がいた。長女は東京隅田病院の内科医・美佐子(相馬千恵子)、次女は踊りで身を立てようと芸者になった幸子(関千恵子)、三女は洋裁店いづみに勤めながら将来のデザイナーを夢見ている千枝子(杉葉子)、四女は男にばかり任せていたらいつまた戦争になるか分からないから代議士になりたいという高校生の恵美子(岩崎加根子)。ある日、"姉ちゃん先生"と呼ばれて家族にも近所の人達からも頼りにされている美佐子のところへお見合いの話が舞い込み・・・」という内容。
"姉ちゃん先生"は、隣でアイスクリーム屋"蝶々"を営んでいる加代(飯田蝶子)の息子・三平(高島忠夫)と碁を打つのに、2階の物干し場から互いの家を行き来したり、当時の流行語らしい「とんでもはっぷん!!」という台詞があったり、なかなか面白い人のようだったが、性格は相当に勝気らしく、彼女に密かな好意を持っている同僚の外科医・田中(山内明)の気持ちにはまったく気がつかず、いつもキツイ言葉で対応していた。
三女・千枝子が盲腸の緊急手術を受けるべく病院に運ばれた深夜の当直医師が田中だったが、起こされた仮眠中の田中が思わず「何でこんな時間に怒りに来たの!?」と言っていたのには笑った。
かなり怖がられていたようだ。
(^。^)
この作品が劇場公開されたのは、前年に締結された"サンフランシスコ講和条約"が発効して日本が主権を回復した昭和27(1952)年。
「あら、地震だわ。地震と雷と空襲だけはどうもねぇ・・・」という台詞や、何度も"男が少ない世の中"といった言葉が出てきたり、(パーティーで)美佐子と田中が病院のアルコールを三角フラスコを使って水割りにし、じっと見てはお酒の名前を言いながらテキーラのように飲む場面など、まだまだ太平洋戦争の後遺症の中にいる時代に見えた。
物がなかったりあふれていたり、時代によって世の中の暮らしぶりは違うのかもしれないのだが、人の心や思いというのはいつの時代も変わらないものなのだろうと思いながら、面白く見られた作品だった。
(^_^)

ラッキーさん

2017年02月22日 | ムービー
『ラッキーさん』(1952年/市川崑監督)を見た。
物語は、「南海鉱業株式会社に勤める若原俊平(小林桂樹)は、社内で"ラッキーさん"と呼ばれていて、昭和27年1月15日付けで庶務課から社長秘書へ昇進との社告が張り出された日には、"昇進祝い"だと自前で同僚に奢り、その挙句給料を前借してしまうという憎めない男。秋葉恭介社長(河村黎吉)は、前社長の奈良庄右衛門(小川虎之助)が戦後の公職追放により会社を去った際からの"留守番社長"だったが、追放解除による前社長復職で自分の立場が危うくなると考えていた。前社長令嬢の由起子さん(杉葉子)が経営している美容室の開店1周年記念の日に花を届けたものの、店に千里社長夫人(沢村貞子)が居合わせたことから、庶務課の町田さん(斎藤達雄)を替え玉にしたことがばれてしまい、さらには(町田さんが)葬式の帰りであることまで白状するという大失敗を演じてしまった。秋葉社長はこの失態を取り戻すため、由起子さんのお婿さんを世話しようと考え、秘書の若原に助言を求めるのだが・・・」という内容。
同じ秘書課の町田素子(島崎雪子)はラッキーさんに好意を持っているようだったが、彼は何かと忙しいことから、映画の約束すらもなかなか実現しない。
「若原さんの頭の中って、人のことばかりなのね」と、いつも自分自身のことより周囲の人達のことを考えているラッキーさんに幾分ガッカリもするのだが、きっと彼のそういうところがラッキーを引き寄せていて、そこが周りの人から"ラッキーさん"と呼ばれるようになった所以ではないのかと思った。
季節はずれの社員大運動会では、やはりラッキーさんに幸運が舞い込んできたのだが、あまりに職務のことばかりを優先するものだから、その後、せっかくのラッキーを生かせなかったのが残念だ。
とてもパワフルな奈良前社長が葉山の別荘で贅沢な料理三昧なのに対して、贅沢な料理ばかり食べ続けるとお茶漬けの美味しさが分かるという秋葉社長。
そのギラギラさの違いが財閥のオーナー(前)社長とサラリーマン社長との違いなのだろうか。
そして、ラッキーさんはまだまだ駆け出しのサラリーマンなので、「我々も早くお茶漬けの味を知りたいものでございます」とあくまでも秘書の仕事に徹していたが、あと数十年も経つと秋葉社長のようなことを言うのだろうか。