『犬神家の一族』(1976年/
市川崑監督)を見た。
「日清・日露・第1次世界大戦と、戦争によって莫大な資産を築いた犬神佐兵衛(
三國連太郎)は、顧問弁護士の古館(
小沢栄太郎)に遺言状を託していた。密かに中身を盗み見た弁護士助手の若林は遺産相続を巡る争い事が起きかねないと考え、探偵金田一耕助(
石坂浩二)を呼び寄せる。しかし、その若林は死に、犬神一族の人間も次々に殺されていく」という物語。
舞台は昭和22(1947)年の信州(長野県)で、出征していた犬神佐清(
あおい輝彦)が復員してきたり、金田一耕助が「外食券の代わりにこれを使ってください」と旅館の女中に米を渡すなど、まだまだ戦争の余韻が残っている時代(外食券というものは昭和27年まで使われていたよう)である。
しかし、この映画が制作された昭和51(1976)年にはすでに蒸気機関車は走っていなかったので、音は使われているが映像は出てこない。
明治・大正・昭和と使われ続けたあらゆる物が、戦後の高度経済成長を続けた中で徐々に新しく置き換えられていき、この頃にはすっかり何もかも変ってしまっていたのだろう。
そうなると、山や湖といった自然の中で撮影するか巨大なセットを作るか、音だけを使ってあとは見る人の想像力に期待するしか無い。
さて、金田一耕助が登場する物語は、最後に行われる謎解きがメインイベントで、これ抜きには終わることができないのだが、殺人を未然に防ぐことはほぼ出来なくて、いつも悲しい現場に立ち会うことになるのだった。
そこがシャーロック・ホームズとの違いだろうか。
しかし、用意されたキーワードや言い伝え、わらべ唄になぞらえた事件が、次々と起きていく様が大きな魅力ではある。
この『犬神家の一族』も当然そこを踏まえていて、それがあるから面白い。
解っていながらまた見たくなるのだ。
(^_^)