仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

青色革命

2018年03月24日 | ムービー
『青色革命』(1953年/市川崑監督)を見た。
物語は、「久松教授(中村伸郎)と学問上の論争がキッカケで反目し合い、職を辞した小泉達吉(千田是也)。後輩の鴨井助教授(伊藤雄之助)が何度も正岡総長(青山杉作)に掛け合ってくれたが日新大学への復職は叶わなかった。大学生の長男・順平(太刀川洋一)は希望した新聞社に採用されず、高校生の弟・篤志(江原達怡)と共に、前借りした2人の小遣い1年分を原資に高利貸しの仕事を始め、母親・恒子(沢村貞子)の心配ごとは尽きないのだった。また、家の下宿人・福沢君(三國連太郎)は、日曜のお昼ご飯時になると狙いすましてやってくる達吉の姪・並木美代子(久慈あさみ)に夢中だが、恒子は美代子と鴨井助教授との見合い話をすすめようと・・・」という内容。
美代子がお昼時に限って遊びに来るのは食費を浮かすためだとみんなの前でばらして笑っている篤志は、母親が作ってくれている弁当を学校で売っていることをばらされる。
兄にはコーヒー代やパチンコの玉を貸して利息分を取ったり、喫茶店でお酒を出させたり、とんでもない高校生なのだが、そんな弟を相手に青臭い革命論をぶつける順平。
2人のやり取りが耳に入った達吉が「あいつはいつの間に共産党になったんだ?」と心配するものの、恒子は「そんなものなりゃぁしませんよ。大丈夫ですよ。子供が共産党になるのはみんな親が悪いのよ。親が本当に子供を愛してやらないから寂しさのあまりああいうものに走るんでしょ。うちは大丈夫よ。私がついてますもの。あの年頃の子供にとっちゃ共産党もパチンコも同じですよ。麻疹みたいなものだから」と、マッタク意に介さない様子。
いろいろありそうな家だが、何だかんだうまくいっている人間関係が面白い。
(^_^)
初島という小料理屋のおかみ・須磨(木暮実千代)と、"日本国民民主化連盟主事"、"関東青年同志会事務局次長"、"日本國学新聞論説委員"を名乗る犬飼武五郎(加東大介)の怪しい2人もそうだが、オネェ言葉の福沢君も、男勝りの美代子もナカナカに飛び抜けた登場人物だ。
女性物のような普段着で、雑誌に出ているバレリーナの写真を見ながらいろいろとポーズをとり、組んだ両手の平が基本的に胸の位置にある福沢君と、見合いの席で、"おつむが禿げてる人は嫌い"と言ってしまう美代子は意外とお似合いだ。
(^。^)
美代子を演じている久慈あさみ(1922年~1996年)という女優さんを調べてみると、宝塚劇団で男役をしていた人のようで、淡島千景、南悠子と共に"東京の三羽烏"と呼ばれていたというそれなりに有名な人だったようだが、さすがに時代が違いすぎるのでマッタク知らなかった。
(^_^;)
「2人は恋愛関係なのかい」
「ばかね先生。そうじゃないからプレゼントなんかするんじゃないの。はっきりしちまえば何にもくれるものですか、男なんて」
「男にもいろいろあるだろう」
「あるもんですか。プレゼントなんて餌よ。おさかな釣るみたいなもんよ」
「じゃあ、そういうことにしておこう」
こういうざっくばらんな台詞のやり取りが多くて、市川崑監督の作品は面白い。

浅草四人姉妹

2017年03月22日 | ムービー
『浅草四人姉妹』(1952年/佐伯清監督)を見た。
物語は、「昭和27(1952)年の浅草。季節小料理"お獅子"を経営している井手藤吉(三島雅夫)と梅子(沢村貞子)の夫婦には4人の娘がいた。長女は東京隅田病院の内科医・美佐子(相馬千恵子)、次女は踊りで身を立てようと芸者になった幸子(関千恵子)、三女は洋裁店いづみに勤めながら将来のデザイナーを夢見ている千枝子(杉葉子)、四女は男にばかり任せていたらいつまた戦争になるか分からないから代議士になりたいという高校生の恵美子(岩崎加根子)。ある日、"姉ちゃん先生"と呼ばれて家族にも近所の人達からも頼りにされている美佐子のところへお見合いの話が舞い込み・・・」という内容。
"姉ちゃん先生"は、隣でアイスクリーム屋"蝶々"を営んでいる加代(飯田蝶子)の息子・三平(高島忠夫)と碁を打つのに、2階の物干し場から互いの家を行き来したり、当時の流行語らしい「とんでもはっぷん!!」という台詞があったり、なかなか面白い人のようだったが、性格は相当に勝気らしく、彼女に密かな好意を持っている同僚の外科医・田中(山内明)の気持ちにはまったく気がつかず、いつもキツイ言葉で対応していた。
三女・千枝子が盲腸の緊急手術を受けるべく病院に運ばれた深夜の当直医師が田中だったが、起こされた仮眠中の田中が思わず「何でこんな時間に怒りに来たの!?」と言っていたのには笑った。
かなり怖がられていたようだ。
(^。^)
この作品が劇場公開されたのは、前年に締結された"サンフランシスコ講和条約"が発効して日本が主権を回復した昭和27(1952)年。
「あら、地震だわ。地震と雷と空襲だけはどうもねぇ・・・」という台詞や、何度も"男が少ない世の中"といった言葉が出てきたり、(パーティーで)美佐子と田中が病院のアルコールを三角フラスコを使って水割りにし、じっと見てはお酒の名前を言いながらテキーラのように飲む場面など、まだまだ太平洋戦争の後遺症の中にいる時代に見えた。
物がなかったりあふれていたり、時代によって世の中の暮らしぶりは違うのかもしれないのだが、人の心や思いというのはいつの時代も変わらないものなのだろうと思いながら、面白く見られた作品だった。
(^_^)

ラッキーさん

2017年02月22日 | ムービー
『ラッキーさん』(1952年/市川崑監督)を見た。
物語は、「南海鉱業株式会社に勤める若原俊平(小林桂樹)は、社内で"ラッキーさん"と呼ばれていて、昭和27年1月15日付けで庶務課から社長秘書へ昇進との社告が張り出された日には、"昇進祝い"だと自前で同僚に奢り、その挙句給料を前借してしまうという憎めない男。秋葉恭介社長(河村黎吉)は、前社長の奈良庄右衛門(小川虎之助)が戦後の公職追放により会社を去った際からの"留守番社長"だったが、追放解除による前社長復職で自分の立場が危うくなると考えていた。前社長令嬢の由起子さん(杉葉子)が経営している美容室の開店1周年記念の日に花を届けたものの、店に千里社長夫人(沢村貞子)が居合わせたことから、庶務課の町田さん(斎藤達雄)を替え玉にしたことがばれてしまい、さらには(町田さんが)葬式の帰りであることまで白状するという大失敗を演じてしまった。秋葉社長はこの失態を取り戻すため、由起子さんのお婿さんを世話しようと考え、秘書の若原に助言を求めるのだが・・・」という内容。
同じ秘書課の町田素子(島崎雪子)はラッキーさんに好意を持っているようだったが、彼は何かと忙しいことから、映画の約束すらもなかなか実現しない。
「若原さんの頭の中って、人のことばかりなのね」と、いつも自分自身のことより周囲の人達のことを考えているラッキーさんに幾分ガッカリもするのだが、きっと彼のそういうところがラッキーを引き寄せていて、そこが周りの人から"ラッキーさん"と呼ばれるようになった所以ではないのかと思った。
季節はずれの社員大運動会では、やはりラッキーさんに幸運が舞い込んできたのだが、あまりに職務のことばかりを優先するものだから、その後、せっかくのラッキーを生かせなかったのが残念だ。
とてもパワフルな奈良前社長が葉山の別荘で贅沢な料理三昧なのに対して、贅沢な料理ばかり食べ続けるとお茶漬けの美味しさが分かるという秋葉社長。
そのギラギラさの違いが財閥のオーナー(前)社長とサラリーマン社長との違いなのだろうか。
そして、ラッキーさんはまだまだ駆け出しのサラリーマンなので、「我々も早くお茶漬けの味を知りたいものでございます」とあくまでも秘書の仕事に徹していたが、あと数十年も経つと秋葉社長のようなことを言うのだろうか。

警察日記

2013年04月25日 | ムービー
『警察日記』(1955年/久松静児監督)を見た。
物語は、「会津磐梯山のふもとにある横宮町。戦後、住民の暮らしはまだ貧しく、軽犯罪が横行し、警察署は忙しかった。やけ酒を飲んだ挙句、夜更けに道路で横になっていた馬車引きの岩太(伊藤雄之助)は警ら中の花川巡査(三國連太郎)に窃盗容疑をかけられ署に連れて行かれたが、倉持巡査(殿山泰司)から取調べを受けていた桃代(小田切みき)の"正直の上に馬鹿がつくほどの男だ"といった話で助けられる。翌朝、駅に捨てられていたユキ子(二木てるみ)と赤ん坊、身売りするところだった二田アヤ(岩崎加根子)を保護した吉井巡査(森繁久弥)は・・・」という内容で、伊藤永之介(1903~1959年)の同名小説が原作。
横宮警察署に勤務する警察官達が関わる様々な事件が織り込まれていて、凶悪な事件や心底醜悪な人間が登場する展開も無いことから、何だかのんびりしている。
しかし、「机一つもらったきりだし兼務兼務で忙しいんですよ」という役場の児童相談所、「引き取り手がなくて戸籍の面からも間違いの無い孤児しか引き受けできません」という孤児収容所、「予算の中でしかできません」という保健所、ニワトリしかいなかった民生保護相談所など、どこへ相談しても保護した捨て子の落ち着き先を見つけることができず、処遇に困った吉井巡査はユキ子を自宅で、赤ん坊のマサルを料亭のヒデ(沢村貞子)に預けるというエピソードや、今を生きるお金のためにもぐりの就旋屋・杉田モヨ(杉村春子)に頼らざるを得ない二田アヤに自分のお金を渡す花川巡査のエピソードなどで、社会の制度や仕組みのゆがみ、どうにも解決できない限界といったものをあらわに描いている。
故郷に錦を飾った酒屋の次男坊・丸尾通産大臣(稲葉義男)の登場場面は僅かだったが、そんな庶民の苦労とは別世界で、凱旋パレードや芸者と遊ぶことに忙しい姿が描かれ、「政治家があれじゃ日本の世の中はなかなか良くならないだろう」と思わせる象徴のような存在だった。
吉井巡査の「警察に来て相談すれば、いくらでも方法はあったんだ」という台詞も、社会組織の適正な運用ではなく、警察官個人の資質や人間としての愛情に頼らざるを得ない状況を言い表しているに過ぎないような気がして、むなしく聞こえただけだった。
ほかにも、村田老人(東野英治郎)や無銭飲食した親子など辛い姿も描かれており、それらは誇張されたフィクションの世界だと分かってはいても、「まぁ似たようなことは実際にあったんだろうなぁ」と考えてしまう。
これはなかなかに素晴らしい映画だった。