仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

八つ墓村

2017年12月08日 | ムービー
『八つ墓村(1977年/野村芳太郎監督)を見た。
物語は、「新聞の尋ね人広告で自分が探されていることを知った寺田辰弥(萩原健一)は、早速、大阪の弁護士事務所に連絡を取った。その依頼主は岡山県三田村在住の資産家で、辰弥の異母兄だという多治見久弥(山崎努)だったが、療養中のため、辰弥の母・鶴子(中野良子)の父親である井川丑松(加藤嘉)が事務所に迎えに来ていた。ところが丑松は、諏訪啓弁護士(大滝秀治)に紹介された直後に、突然苦しみもがき死んでしまう。辰弥は、父方の親戚筋の未亡人である森美也子(小川眞由美)の案内で、生れ故郷に向かうことになったのだが、彼女の説明によると、ここは町村合併するまで、"八つ墓村"という何とも恐ろしい名称だったという。その八つ墓村と多治見家にまつわる話は戦国時代にまでさかのぼり・・・」という内容。
1566(永禄9)年、毛利との戦に敗れ落ち武者となった武将・尼子義孝(夏八木勲)が同胞(田中邦衛)らと計8人で村外れに住みついたが、毛利からの褒美に目がくらんだ村人達の策略で惨殺されたという。
その際の首謀者、庄左衛門(橋本功)は莫大な山林の権利を与えられ、今の多治見家の財の基礎を築いたのだが、義孝に「末代まで祟ってやる」と呪われ、庄左衛門はその後に発狂、村人7人を斬殺し、自らも首を斬り飛ばし突然の死を迎えたのだという。
思いがけず多治見家の財産を相続することになった辰弥を、その落ち武者の祟りが放っておくはずがない。
(^_^;)
丑松、久弥をはじめ、金遣いの荒い医師の久野(藤岡琢也)、辰弥の出生の秘密を知るただ一人の人物である工藤校長(下條正巳)など、辰弥にまつわる村人が次々と死んでいくことになるのだから、探偵・金田一耕助(渥美清)雇い、調査に派遣した諏訪弁護士の見立ては正しかったわけだ。
ただ、残念ながら金田一耕助は次々に起きる事件を未然に防ぐことはできないというのが、横溝正史原作の同シリーズにおける共通点なので、これは誰が監督をしようと、誰が金田一耕助を演じようと変わらない展開だ。
(^。^)
ただ、石坂浩二古谷一行などの主演シリーズ作品と違ったのは、時代設定。
第2次世界大戦終了直後の昭和20年代ではなく、昭和52(1977)年という設定になっていた。
辰弥は、「母親が生まれた所を見てみたかった」、「父親がどんな人か知りたかった」という理由から見ず知らずの土地に赴いただけだったのに、とんだ災難に巻き込まれてしまうのだが、一連の事件は、まさに"八つ墓村の祟り"。
そして、事件の謎ときというより、まるで"オカルト映画"を彷彿とさせる内容も、他の作品とは趣が違っていて面白かった。

続・拝啓天皇陛下様

2006年07月26日 | ムービー
『続・拝啓天皇陛下様』(1964年/野村芳太郎監督)を見た。
続編が第一作を超えるのは難しいというが、それはこの映画も例外ではなく、残念ながら前作『拝啓天皇陛下様』を超えることは出来なかったように思える。
本作の主人公は前作と同じ山田ショウスケではなく、山口善助(渥美清)という男。
名前も似ているが、寝る場所の心配が無く、3食賄い付きで10日おきに給料も貰える軍隊生活が大好きで、昭和天皇を崇拝しているという設定もほぼ同じ。
キャラクター設定はおろか全体の物語の流れもほぼ前作のとおりに進行する。
面白かったのは、戦地の中国で対峙している敵兵たちが、深夜に「さくら~♪さくら~♪」と日本兵の故郷の歌を合唱する場面。
本場で四面楚歌、いや、四面倭歌というわけである。
(^_^)

事件

2006年06月26日 | ムービー
『事件』(1978年/野村芳太郎監督)を見た。
殺人と死体遺棄の罪に問われた工員(19歳)の裁判を描いた物語で、被害者は犯人の義理の姉という事件だった。
今の時代はもっと凶悪な犯罪が連日のごとく起きていて、すでに現実社会は物語の殺人事件を凌駕していると思うのだが、原作が書かれた当時やこの映画が上映された当時は充分過ぎるほどに憂鬱な内容(人間模様)だったのかもしれない。
公判検事役は芦田伸介、弁護士役は丹波哲郎で、2人の名前が最初に紹介されることから一応彼等が主役ということになるのかもしれないが、他に存在感がある役者がこれでもかというくらいに出ていたので、2人の対立(対決)はかえって霞んで見えるほどだった。
これほど台詞が多い丹波哲郎も初めて見たが・・・。
(^_^;)
共演の渡瀬恒彦は、『仁義なき戦い』(1973年/深作欣二監督)の役柄同様に相変わらずチンピラ役がピッタリでこの上ない凶暴さを含んでいたし、大竹しのぶは、本当にしたたかな女の役が上手だと感じた。
また、佐分利信がキレ者の裁判長の役で出演していたが、公判検事と弁護士の互いの戦略に流されそうな状況を本筋に戻してくれる貴重な役柄で、「順調にいくといいがね」と、ぼそっと言った台詞や次々と明らかになる人間模様が『獄門島』(1977年/市川崑監督)の住職(了然和尚)役を思い起こさせたのだった。
この1970年代前半という時期は、なかなか良い日本映画が作られていた頃なのかもしれない。
これはおすすめできる日本映画だ。

拝啓天皇陛下様

2005年08月06日 | ムービー
『拝啓天皇陛下様』(1963年/野村芳太郎監督)を見た。
3歳の時に母親と死に別れて以来天涯孤独の山田ショウスケ(渥美清)が、岡山の歩兵連隊に入隊した昭和6(1931)年からの物語なのだが、想像とは違って思いっきりコメディー映画なのだった。
(^。^)
誰かが「恐れ多くも天皇陛下の〜」と言った時は必ず直立不同の姿勢をとらなければならないなど、今はギャグとしてしか使われないだろうという場面があったが、これは昭和20年8月15日までは現実に行われていたことなのだろう。
しかも、自分の銃をきちんと片付けなかった時には、その銃を持って「38式歩兵銃どの、あなたをお休め申さずして煙草などを吸い、のうのう休憩などしておりました。何卒勘弁して下さい」と言いながら延々と反省させられたりする場面も形は違いこそすれ、こういったことも実際に行われていたことだろうと想像する。
「歯をくいしばれー!」とビンタされた時に手の平で耳を叩かれ、鼓膜が破れたという人の話を聞いたことがあるが、「新兵さんは可哀相だね。また寝て泣くのかよー」という消灯ラッパにつけた詞が表すごとくに古参兵士のシゴキは強烈だったのだろう。
それでも山田は、「ここは天国じゃ。雨が降っても三食喰える。田舎は地獄じゃ」と言う。
山田は満期になって除隊するのが嫌でずっと軍隊にいたいとのことだった。
確かに本作品で描かれている時代の日本は、先が見えない不況の真っ只中で、田舎の生活はドン底だったらしい。
「あなた、お元気ですか。隣のチヨちゃん、あんた好きだったのと違いますか。ちょっと見えないと思ったら50円で大阪のほうに売られて行ったんだそうです。その他にも何人も村から売られた娘がいます。私はあんたの所に嫁に来て助かったのです。また兄さんが借金の催促に来ました。今は畑に何もないので売る物がありません。お願いだからお金は使わないでうちへ送って下さい」という手紙を紹介する場面がこの時代をわかりやすく表しているのではないかと思った。
さて、表題のごとく天皇に「自分を除隊させないでほしい」という内容の手紙を出そうとした山田は、「不敬罪になるぞ」と仲間に止められた。
仁左衛門は学生時代にスーパーマーケットのダイエーでアルバイトをしていたことがあるのだが、中内会長(当時)が店の視察に来たことがあって、ある社員が「あの行列の前に飛び出して社長に直訴したらすぐにクビだな」等と言っていたことを思い出す。
それも"不敬罪"ということだったのだろう。
今はどちらの帝国も滅びてしまったわけだがね。