仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

あの夏、いちばん静かな海。

2006年08月28日 | ムービー
『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年/北野武監督)を見た。
これは数年前にましけ映画サークルの仁左衛門企画で一度見ている。
聴覚障害者の青年・茂(真木蔵人)が、捨てられていたサーフボードを拾って修理し、見様見真似で練習に打ち込み、常連のサーファー達に笑われながらもどんどんと上達していく。
恋人の貴子(大島弘子)はいつも一緒にいるが、彼女も聴覚障害者なので2人の間に一切会話は無く、2人の関係は、はためにはとてもあっさりしている。
サイレント映画でもないのにこんなに静かな映画を見た記憶が無い、と思えるくらいに台詞が少ないのだが、そこに流れる久石譲の音楽がまた心地よい。
北野武は、この映画では監督と同時に企画・脚本・編集に名前があるのだが、この監督の好きな所はあえて(と思うのだけれど)悲しい驚きの場面を作らないことだ。
例えば倉本聰だと、脈絡も無く突然に誰かが死んだ話を持ち出して空気を変えるイメージが強いが、北野武にはそれが無くて、マッタク逆の笑える驚きをくれる。
勿論それは元々が芸人であることに大きな理由があるのかもしれないのだが、そもそも倉本聰を引き合いに出さなくても、話の進め方は優れている人だ。
全体として喜劇ではないので、楽しい場面が回想シーンに使われる所もまた泣けてくる。
映画に旬があるとすれば、この映画を見るのは8月の下旬といったちょうど今頃の時期が最も適しているのではないだろうか、などと勝手に解釈してしまう。
とても良い作品だ。
(^_^)

ついに終了

2006年08月27日 | じもてぃーライフ
【第20回日本海オロロンライントライアスロン大会】が午前6時30分に競技を開始した。
ボランティアの集合時間は午前4時30分。
仁左衛門は前夜から駐車場に置いたクルマの中で横になっていたのだが、1~2時間は眠れたのだろうか。
4時前には目が覚めていたような気がするが。
会場のノールマリーナましけには、まだ薄暗いというのに続々とボランティアや出場選手が集まってくる。
仁左衛門も受付を済ませて朝食のパンが入った紙袋と飲み物をもらい、しばし待機していたのだが、「ちょっとちょっと」と声がかかり(THEタッチか・・・)、何ごとかと行ってみると、「あ、これだ」。
どうやら仁左衛門がもらった紙袋には食べかけのパンが入っていたらしい。
今年で終了するトライアスロン大会の最後を飾ったのは、何ともしょぼい出来事だった。
(^_^;)
まぁそれはともかく、選手から預かった荷物を2台の行き先が違うトラックに積み込むのが仁左衛門がいる部署の役割。
その仕事の合間に、泳ぎ終わって自転車で増毛町を後にする選手たちを見送ったりして、ついにトライアスロンのボランティアが終了した。
初めてこれを手伝ったのは、平成2(1990)年だったろうか平成3(1991)年だったろうか。
増毛の手伝いが終わってからさらに初山別のエイドステーションに手伝いに行ったり、増毛町商工会青年部員N氏が出場したり、S氏が大会で知り合ったボランティア同士結婚したりと、いろいろなことがあった。
これから数時間後に誰がトップでゴールするのかは知らないが、とにかく日本海オロロンライントライアスロン大会は終わった。
お疲れさま。

トライアスロン大会前夜

2006年08月26日 | じもてぃーライフ
今年20回目を迎えた【日本海オロロンライントライアスロン大会】だが、ついに今回で終了することになった。
仁左衛門は商工会青年部に所属していた時は、カーボパーティーの司会をしたり、夜中じゅう自転車管理の担当をしたりしていたが、ここ数年は体育協会のほうでボランティア登録がされているので、集合時間は当日の午前4時30分。
しかし、とても起きられる時刻ではないので、青年部時代と同様に前夜から会場にいるのだった。
f^_^;

泳ぐひと

2006年08月23日 | 映画サークル
昨日のましけ映画サークル8月例会は、忠〇企画の『泳ぐひと(原題/The Swimmer)』(1968年/フランク・ペリー監督/アメリカ)だった。
当時、アメリカンニューシネマと呼ばれた映画の1本らしいのだが、さて、どう評価していいものか迷う内容だ。
(^_^;)
主人公ネッド・メリル(バート・ランカスター)は、突然林の中から海水パンツ1枚の姿で友人宅のプールに現れ、泳ぎ始める。
友人は皆さんが超金持ちのようで、彼は自宅まで友人宅のプールを泳ぎながら帰ろうとするのだが、友人たちの表情や対応を見ていると、とても危ない人の話かとも思ったし、もしかするとゴーストかとも思った。
そのうちに、どうやら離婚か破産かしてしまった人が昔住んでいた家とその時代に帰りたいと願って、ただ彷徨っている話なのではないかと思ってもきたのだが、事件らしい事件も起きないことから、そのうちに飽きてきた。
そして、結末。
よく解らない作品だったが、最初から最後まで海パン1枚で演技し続けたバート・ランカスターに拍手!!
(^_^)

太陽がいっぱい

2006年08月22日 | ムービー
『太陽がいっぱい(原題Plein soleil)』(1960年/ルネ・クレマン監督/フランス・イタリア)を見た。
画面に映し出される青い海や水平線が、この暑い夏に見るのにはピッタリの舞台設定だが、流れる音楽はなんとも切ないメロディーだ。
フィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)の父親から息子の説得を依頼されたが、無碍な扱いをされて復讐を企てる貧乏青年トム・リプレー(アラン・ドロン)が主人公。
「上品に振舞いたいと意識すること自体が下品なんだよ」
金持ち坊ちゃんならではの台詞だが、こういった小さなやり取りが積もり積もって殺意までに至ったのか。
「契約した報酬をもらえなくなるから約束を守れ」と言いながらも、"人を殺してはいけない"という社会の約束事をいとも簡単に破ってしまうのも、やはり"お金"のためだ。
自分勝手な犯罪を続けて邪魔者を排除し、金と女を手に入れた彼はビーチでひとり悦にいり、「最高だ。最高の気分だよ」と何度もつぶやく。
『The Talented Mr. Ripley』(1955年/パトリシア・ハイスミス著)という小説を原作にしているようだが、映画と小説では内容が少し違うようだ。
1960(昭和35)年の製作ということもあって、交換手を介して電話をかけたりお札が異常に大きかったりと凄く古臭さを感じるのだが、面白い映画だった。

週末は疲れる・・・

2006年08月21日 | じもてぃーライフ
先週は盆踊りの実行委員会や何やらで騒々しかったが、7月中旬頃から8月中旬頃までの30~40日は、「もう勘弁してくれ!!」と言いたくなるくらいにイベントやそれに伴う会議や寄付金集め、その他ボランティアなどが多くて、あっという間に時間が過ぎ去る。
夏場に工事が集中する公共事業ではないが、事業の平準化を願いたくなるくらいに集中して時間を取られる。
この週末は、土曜日に増毛高等学校同窓会の総会・懇親ビアパーティーがあったのだが、2次会を途中で抜け出して、午後11時頃からようやくテニス協会のキャンプに合流した。
オールナイト大会のように午前1時や2時頃までテニスをするかもと思い、一応ラケットを持って行ったのだが、その時刻だとテニスコートはすでに真っ暗で、参加者は皆お酒を飲んでいたのだった。
あーだこうだと酒を飲みながら話をしつつ、午前4時近くになってようやく寝ようとしたのだが、そのくらいの時間になると明るくなって世間はいろいろ動き始めるので、よく寝られない。
しかし、いびきをかいて寝入る人もいるし、そのあたりは様々だ。
午前9時頃には、身体が融けてしまうんじゃないかと思えるほどに強烈な太陽光線にさらされながらも、昨夜の残りの生ビールを飲みつつ朝食を摂り、後片付けをして、汗まみれになって帰ってきた。
先週からの疲れもあるのか、もうテニスをする気力は残っていなかった。

ソフトクリーム

2006年08月19日 | 美味しんぼ
先日行われた納涼盆踊り大会の謝礼を配ってまわったのだが、暑かったので、暑寒沢の冨野果樹園に行った時、ソフトクリーム(250円)を食べた。
上に載っているのは、冨野果樹園自家製のさくらんぼジャムだそうで、これがなかなか美味しかった。
しかし、気温がこう高いとアイスがどんどん融けていく。
そして、いつものように手がベタベタになったのだった。
(^o^)

納涼盆踊り大会

2006年08月18日 | じもてぃーライフ
8/15(火)と8/16(水)の2日間、【納涼盆踊り大会】を行った。
主催は、昨年までと同じく増毛町商工会の盆踊り実行委員会だが、これには商工会の観光部会のほかに増毛町ボランティアセンターからも委員を出してもらっている。
初日は午後2時に集合して準備を始めたが、直前から雨が降り始めて、開始時間の午後7時頃まで時折小さな雨粒が落ちたりした。
天気予報の降水確率が高くて不安な中での実施だったが、まぁ何とかもってくれたのでホッとしたのだった。
しかし、準備に5時間もかけながら、踊っている時間は1時間程度しかない。
わが家に訪れたお客さんの話では、太平洋戦争前の増毛では1週間以上も続けて盆踊りがあって、しかも連日午前3時頃までやっていたというから驚きだ。
平成18年納涼盆踊りの画像は、【ここ】をご覧いただきたい。

稲村ジェーン

2006年08月14日 | ムービー
『稲村ジェーン』(1990年/桑田佳祐監督)を久しぶりに見た。
「曲のイメージが固定されてしまうから」と、♪いとしのエリー♪(作詞・作曲 桑田佳祐)をテーマ曲として使い続けるテレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』(1~4くらい?)に対し、曲を使用しないように抗議し続けているサザンオールスターズの桑田佳祐が、自ら監督・音楽を担当した作品。
自分で作り、自分達のバンドで演奏している曲を自分が監督をする映画に使うのだから、「主題歌というのはこういうことだぜ!!」とでも言っているような格好だ。
それだけに、見る前は「単なるプロモーションビデオか?」との疑問も湧いたが、見てみるとそれほどそうも感じなかった。
それっぽさも適度にあったが、あれは程々な所だったのだろう。
(^_^;)
物語は、1960年代半ば頃が舞台なのだろうか。
奇妙な友情が芽生えた4人の若者の、一夏の出来事だ。
「暑かったけど、短かったよな、夏」
この台詞がよほど気に入ったのか、2回も使ってしまったのは、監督としての未熟さなのだろう。
しかし、この映画に使われている♪希望の轍♪(作詞・作曲 桑田佳祐)は、♪いとしのエリー♪と並ぶサザンオールスターズの代表曲になっている。
企画としては大成功だったのだろう。

レナードの朝

2006年08月12日 | ムービー
『レナードの朝(原題Awakenings)』(1990年/ペニー・マーシャル監督/アメリカ)を久しぶりに見た。
これは30年以上も長い間半昏睡状態にあった患者達15人の実話を基にした、1969年の夏に起こった奇跡の物語だ。
まるっきりの昏睡状態では無く、まるでPCがフリーズした時のように脳や身体の動きが止まってしまう病気があるだなんて驚きだ。
意識を取り戻したら30歳も歳をとっていたとは、「まるで詐欺にあったようだ」という台詞が本当にぴったりだと思う。
夢なら醒めて欲しいと思うのは当然だろう。
しかし、時代の変化に戸惑いながらも、彼らは社会生活に強い意欲を示し、主人公レナード・ロウ(ロバート・デ・ニーロ)は生まれて初めての恋もする。
面白かったのは、患者や医者など大勢で外出した際に、患者は皆、不器用なセイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)よりも遊びを楽しんでいたこと。
彼らはその症状が落ち着いてさえいれば、あまりにも普通の人間なのだ。
4トンのミミズから1デシグラムの物質を取り出せないことを5年かけて証明したなどと平然とと説明するセイヤー医師のほうがある意味普通ではないかもしれない。
(^_^)
それにしても、ロバート・デ・ニーロの演技は素晴らしい。
この映画で第56回ニューヨーク批評家協会賞男優賞を受賞しているが、第63回アカデミー賞主演男優賞の受賞は逃している。
この演技でいくつ賞を受賞しても足りないくらいの仕事はしていると思うのだが・・・。

フィールド・オブ・ドリームス

2006年08月10日 | ムービー
『フィールド・オブ・ドリームス(原題Field of Dreams)』(1989年/フィル・アルデン・ロビンソン監督/アメリカ)を久しぶりに見た。
これは、仁左衛門の数少ないコレクションの一つなのだが、DVDでもVHSでもなく8ミリビデオなところが、我ながらとてもマニアックだと思う。
(^。^)
また、映画自体も変わった物語で、「それを作れば彼は来る」「彼の心を癒せ」といった謎のメッセージを聞いた主人公レイ・キンセラ(ケビン・コスナー)が、破産の危機に陥りながらも収穫を控えたトウモロコシ畑の一部を潰して野球場を作るという何とも不可思議な行動をとる。
しかし、とても感動する物語であることは間違いがなくて、一番は、ムーンライト・グラハム/ドクター・グラハム(バート・ランカスター)の一連のエピソードだ。
あと一歩、ほんの少しの差で届かなかった夢の話。
「夢は肩をかすめ歩み去った。人生の節目となる瞬間は自分ではそれと分からない。また機会があるさと思ったが、実際はそれが最初で最後だった」
初めて見た映画でもないのに、そのあとの場面でも目頭が熱くなった。
それと、自分の父親とキャッチボールをする場面。
"...For Our Parents."という見る者へのメッセージが、これまた良いのだった。
(^_^)

第2の夕張

2006年08月03日 | 社会・政治・経済
『NIKKEI NET』(2006.08.03)に、『赤字隠し…道内9自治体にも疑い・総務省調査』との見出しの記事があった。
「北海道夕張市の財政破綻を受けて総務省が実施した調査で、夕張市以外にも北海道の9自治体で一時借入金を使った"赤字隠し"の疑いがあることが8/2、明らかになった」との内容だった。
1ヶ月前の『asahi.com』(2006.07.01)では、「道の2004年度の決算を調査したところ、道内27市町村の財政が危険水域を超えていた」との報道があったが、その調査は一体何だったのか!?
たった1ヵ月後に総務省からこのような調査結果が出るだなんて、道の調査事態がいい加減な調査だったのか!?
『NIKKEI NET』の記事は、「総務省は不適正な会計操作がなかったかどうか、道に再調査を指示した。道は月内に自治体名を含めた調査結果を公表する方針で、財政悪化が進み自主再建が困難な【第2の夕張】が浮上する可能性が出てきた」と書かれていた。
本気で調査するつもりなら、金融機関からの情報も提供してもらえばハッキリするのではないか。
いつまで先送りしたところで、必ず「もうだめだ!!」という時がきっと来るのだろうから、観念して早く対策をとったほうが結局は得だと思うのだが。
「総務省は夕張市に似たケースがないか、都道府県を通じて全国の市町村を対象に一時借入金のピーク時の総額や、税収と地方交付税をあわせた標準的な収入額に占める割合などを調査。3日に概要を公表する」という。

道立高校の統廃合

2006年08月01日 | 社会・政治・経済
『毎日新聞』(2006.08.01)に、「高校適正配置…妹背牛商の募集停止決定~道教委は8/1、春の選抜高校バレーボール大会で1978年に全国優勝した妹背牛商高の募集停止などを柱とした2007年度の公立高の適正配置計画案を正式に決めた」との記事があった。
妹背牛商高の地元・空知管内妹背牛町は、6月下旬から存続を願う署名活動に取り組み、7/26に行われた町民集会で道教委に12万620人分を提出したが、道教委は、「今後、生徒数の増加が見込めず、深川市の近隣高への通学が可能」とし、2008年度末に廃校にすることを覆さなかった。
道教委は、今年6月に【1学年3学級以下は、原則として、近隣高校との再編整備による学校規模の適正化を図る】としているが、これは、【私立高校に配慮し、公立高校において中卒者数に応じた一定比率に基づく定員調整を検討する等の基本的な考え方】によるとしているものの、国の基準では1学年1学級しかない学校は一部の教職員についての給与が交付税措置されず、【道の財政負担の軽減】であるというのが一番大きな理由であり、今回の妹背牛商高の募集停止決定は、第1弾の発表に過ぎない。
2008年度以降の公立高の将来像を示す新指針も原案通り決まっているし、2008年度から3年間の高校の具体的な配置計画は年内にも公表されることになっているという。
増毛高等学校は今回の発表では対象校にはならなかったものの、留萌管内では、増毛、苫前商、遠別農、天塩、留萌千望、羽幌といった留萌以外の学校がすべて対象になっていて、この地域の高校教育は放棄されようとしている。
平成17年2月~3月に実施された『高校教育に関する道民意向調査』(高校教育推進会議)の結果では、生徒が高校を選ぶ際の基準として「自分の学力」を考慮する割合が最も高いという結果が出ているが、地域別に見ると桧山、留萌、日高、根室では「通学時間や通学距離」の割合が最も高いという結果が出ている。
実際、仁左衛門が留萌高等学校ではなく増毛高等学校に進学したのは、歩いて通学できる距離にあったからであるし、地元に学校があるのに朝早く起きて通学に長い時間をとられるのはナンセンスと考えたからである。
この選択が正しかったかどうかは別として、どちらの学校を選ぶにしてもその後の人生に大きな影響を及ぼす選択肢でもなかった。
しかし、選択肢が用意されていたことは重要なことだったと思う。
留萌管内の学校はどこも今後も募集を停止することなく存続して、生徒や親たちに選択肢を残して欲しいと仁左衛門は考えるのである。