『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年/北野武監督)を見た。
これは数年前にましけ映画サークルの仁左衛門企画で一度見ている。
聴覚障害者の青年・茂(真木蔵人)が、捨てられていたサーフボードを拾って修理し、見様見真似で練習に打ち込み、常連のサーファー達に笑われながらもどんどんと上達していく。
恋人の貴子(大島弘子)はいつも一緒にいるが、彼女も聴覚障害者なので2人の間に一切会話は無く、2人の関係は、はためにはとてもあっさりしている。
サイレント映画でもないのにこんなに静かな映画を見た記憶が無い、と思えるくらいに台詞が少ないのだが、そこに流れる久石譲の音楽がまた心地よい。
北野武は、この映画では監督と同時に企画・脚本・編集に名前があるのだが、この監督の好きな所はあえて(と思うのだけれど)悲しい驚きの場面を作らないことだ。
例えば倉本聰だと、脈絡も無く突然に誰かが死んだ話を持ち出して空気を変えるイメージが強いが、北野武にはそれが無くて、マッタク逆の笑える驚きをくれる。
勿論それは元々が芸人であることに大きな理由があるのかもしれないのだが、そもそも倉本聰を引き合いに出さなくても、話の進め方は優れている人だ。
全体として喜劇ではないので、楽しい場面が回想シーンに使われる所もまた泣けてくる。
映画に旬があるとすれば、この映画を見るのは8月の下旬といったちょうど今頃の時期が最も適しているのではないだろうか、などと勝手に解釈してしまう。
とても良い作品だ。
(^_^)
これは数年前にましけ映画サークルの仁左衛門企画で一度見ている。
聴覚障害者の青年・茂(真木蔵人)が、捨てられていたサーフボードを拾って修理し、見様見真似で練習に打ち込み、常連のサーファー達に笑われながらもどんどんと上達していく。
恋人の貴子(大島弘子)はいつも一緒にいるが、彼女も聴覚障害者なので2人の間に一切会話は無く、2人の関係は、はためにはとてもあっさりしている。
サイレント映画でもないのにこんなに静かな映画を見た記憶が無い、と思えるくらいに台詞が少ないのだが、そこに流れる久石譲の音楽がまた心地よい。
北野武は、この映画では監督と同時に企画・脚本・編集に名前があるのだが、この監督の好きな所はあえて(と思うのだけれど)悲しい驚きの場面を作らないことだ。
例えば倉本聰だと、脈絡も無く突然に誰かが死んだ話を持ち出して空気を変えるイメージが強いが、北野武にはそれが無くて、マッタク逆の笑える驚きをくれる。
勿論それは元々が芸人であることに大きな理由があるのかもしれないのだが、そもそも倉本聰を引き合いに出さなくても、話の進め方は優れている人だ。
全体として喜劇ではないので、楽しい場面が回想シーンに使われる所もまた泣けてくる。
映画に旬があるとすれば、この映画を見るのは8月の下旬といったちょうど今頃の時期が最も適しているのではないだろうか、などと勝手に解釈してしまう。
とても良い作品だ。
(^_^)