『野球少年 四月創刊二周年記念大計画號』(第三巻第四號/昭和24年3月15日発行/定価付録とも50円/尚文館)は、全50ページ。
表紙の絵は「別當選手」、グラビアは「八球團の猛練習畫報」、記事は「本壘打王川上哲治の話」他、小説は「三四郎の冒險」他という内容で、「神宮球場パノラマ大模型」、「日本野球六大學全試合記録書きこみ帳」が特別付録だったらしい。
『少年少女 譚海 (躍進六月号)』もそうなのだが、"○○○3月号"や"△△△4月号"というようにいろいろ遊ぶのがこの頃の雑誌編集における流行だったのだろうか。
(^_^)
この本は、『野球少年 三月大発展號(昭和24年2月15日発行)』の翌月に発行されたのがこの本というわけで、キャンプインしているプロ野球全8球団の様子が巻頭で大きく取り上げられているのがいかにも春らしい(ちなみにこの昭和24年は1リーグ制最後の年で、翌年からパシフィックリーグとセントラルリーグの2リーグ制になっている。この時点では誰も想像できなかったことであろうが・・・)。
ヴィクトル・スタルヒン投手が所属した新球団・大映スターズは四国・松山球場でキャンプを張っていたようだし、「新設のホームグラウンドで思いきり練習できる中日選手のよろこび」という解説では、中日ドラゴンズの1949(昭和24)年は完成したばかりの本拠地・中日スタヂアムで始動したことが伝えられていた。
前年の"急映"から再び"東急"に戻ったフライヤーズは、「東京目白の学習院に冬眠の夢をやぶって基礎トレーニングをはじめた」とのことで、「この基礎を終わって九州・別府に移って、本格的キャンプを続ける東急。ここも強いぞ」と紹介されていた。
また、「東京審判団は後楽園に集まって"ストライーク"、"セーフ"の練習に大汗を流しています」と写真つきで解説されていたが、審判団がいずれの球団にも帯同せず独自のキャンプ(!?)を張るということは今でもあるのだろうか!?
(^。^)
次号予告では、翌月発売の5月号には別冊付録として『日本野球八球團選手寫眞名鑑』が付くと紹介されていたが、残念ながら5月号もその付録も残されていない。
(^_^;)
ただ、この4月号18ページで「插込みの廣告でごらんください」と紹介されている『野球觀戰宝典』の広告裏面に「東京六大學リーグ選手一覽表」、「日本野球八球團選手一覽表」が掲載されていることから、文字でのみ確認ができるのだった。
表紙の絵は「別當選手」、グラビアは「八球團の猛練習畫報」、記事は「本壘打王川上哲治の話」他、小説は「三四郎の冒險」他という内容で、「神宮球場パノラマ大模型」、「日本野球六大學全試合記録書きこみ帳」が特別付録だったらしい。
『少年少女 譚海 (躍進六月号)』もそうなのだが、"○○○3月号"や"△△△4月号"というようにいろいろ遊ぶのがこの頃の雑誌編集における流行だったのだろうか。
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この本は、『野球少年 三月大発展號(昭和24年2月15日発行)』の翌月に発行されたのがこの本というわけで、キャンプインしているプロ野球全8球団の様子が巻頭で大きく取り上げられているのがいかにも春らしい(ちなみにこの昭和24年は1リーグ制最後の年で、翌年からパシフィックリーグとセントラルリーグの2リーグ制になっている。この時点では誰も想像できなかったことであろうが・・・)。
ヴィクトル・スタルヒン投手が所属した新球団・大映スターズは四国・松山球場でキャンプを張っていたようだし、「新設のホームグラウンドで思いきり練習できる中日選手のよろこび」という解説では、中日ドラゴンズの1949(昭和24)年は完成したばかりの本拠地・中日スタヂアムで始動したことが伝えられていた。
前年の"急映"から再び"東急"に戻ったフライヤーズは、「東京目白の学習院に冬眠の夢をやぶって基礎トレーニングをはじめた」とのことで、「この基礎を終わって九州・別府に移って、本格的キャンプを続ける東急。ここも強いぞ」と紹介されていた。
また、「東京審判団は後楽園に集まって"ストライーク"、"セーフ"の練習に大汗を流しています」と写真つきで解説されていたが、審判団がいずれの球団にも帯同せず独自のキャンプ(!?)を張るということは今でもあるのだろうか!?
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次号予告では、翌月発売の5月号には別冊付録として『日本野球八球團選手寫眞名鑑』が付くと紹介されていたが、残念ながら5月号もその付録も残されていない。
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ただ、この4月号18ページで「插込みの廣告でごらんください」と紹介されている『野球觀戰宝典』の広告裏面に「東京六大學リーグ選手一覽表」、「日本野球八球團選手一覽表」が掲載されていることから、文字でのみ確認ができるのだった。