仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

宇宙人王さんとの遭遇

2013年11月29日 | 映画サークル
ましけ映画サークル11月例会(2013年11月26日)は、小○企画『宇宙人王さんとの遭遇(原題L'ARRIVO DI WANG/THE ARRIVAL OF WANG)』(2011年/アントニオ・マネッティマルコ・マネッティ監督/イタリア)だった。
物語は、「中国語の同時通訳を依頼されたガイア(フランチェスカ・クティカ)は、別の翻訳の仕事が締め切り間際だったものの、高額な報酬に惹かれ、その謎めいた仕事を引き受けてしまう。自宅まで迎えに来たキュルティ局長(エンニオ・ファンタスティキーニ)に目隠しをされ、行き先も知らされず謎のアジトに連れていかれた彼女は、鍵をかけられた暗い部屋で相手の姿も見えないままに通訳を始めるのだが・・・」という内容。
事前情報を何も持ち合わせていなかったので、タイトルを耳にした時にはギャグ映画なのだろうと思ったのだが、見始めてみるとそういう類いの映画ではないことがすぐに分かった。
どうにも雰囲気が暗い・・・。
(^_^;)
あまりにも高圧的な態度で取調べをするキュルティ局長に対してガイアが憤慨し、最悪な雰囲気が続くその密室に、途中からファルコ医師(ジャーデー・ジラルディ)が加わり、さらに長時間の取調べが続く。
上映時間は約80分と短い割には取調べの場面があまりにも長く、同じようなことの繰り返しなことから、見ていて少しうんざりしてしまったし、物語の結末は仁左衛門の予想と大差がなかった。
その突飛な発想をさらに面白く発展させることが出来なかったようで、そのひねりの無さを少しばかり残念に感じたのだった。

鶴岡八幡宮

2013年11月27日 | おでかけ
鶴岡八幡宮の鳥居】のつづき
"舞殿"の後ろにある長い石段を登り、門をくぐると"鶴岡八幡宮本殿"があった。
お参りをした後、その左奥にあった"宝物殿"へ(確か入館料200円)。
館内には国宝や国重要文化財等が多く展示されていたが、おそらく本物はしまいこんであって、ここに出されているのはほとんどが複製品なのだろう。
(^_^;)
つづく

鶴岡八幡宮の鳥居

2013年11月27日 | おでかけ
江の島】のつづき
午後からの予定を前倒しして午前中に"鶴岡八幡宮"(神奈川県鎌倉市)を参拝した。
ここは鎌倉幕府初代将軍源頼朝ゆかりの神社として知られているらしく、境内は国の史跡に指定されている。
敷地はとても広く、鳥居から本殿までは随分と遠かった。
つづく

江の島

2013年11月24日 | おでかけ
芦ノ湖遊覧船】のつづき
箱根湯本(神奈川県箱根町)の某ホテルに宿泊した我々の最終日(4日目)出発時刻は午前9時の予定だったが、交通事情に不安を抱いていた運転手さんの希望で午前8時に変更となった。
出発予定時刻が近くなってきて皆さんが徐々に集まってきたが、バスに乗り込んで座ってしまえば何もすることもないので、会計係の仁左衛門は、直前に済ませた(全員分の)会計のレシートを何となく眺めていたのだが、その時あることに気がつき、驚いてバスを飛び出した。
ここのホテルでは"#○○○"との部屋番号が書かれたカードキー1枚を使って館内すべてのオーダーをし、チェックアウトの際にまとめて支払いをしていたのだが、よく見ると長いレシートの下のほうに身に覚えの無い"#△△△"との番号で1万円強が清算されていたのだ。
慌ててフロントに戻り、間違っていた分を返金してもらったのだが、そういえば会計の際、「これ、返します」とか「これ、預けておきます」とか言いながら、横からカードキーをフロントの会計係の人の前に置き去った知らないジイちゃん達2人がいた。
部屋番号を確認してきたので「#×××は違いますよ」と言った筈だがホテルの人は混乱して間違ってしまったのかもしれない。
おかげで約10分出発が遅れたものの、赤の他人の会計を負担させられるだなんて馬鹿なことにならなくてホッとしたのだった。
(^_^;)
そして、バスは一路江の島へ。
着いたはいいものの、出発時間を繰り上げたものだから多くの土産店やトイレはほぼ準備中。
湘南の海を横に見ながらも、聞こえてくるご高齢バスガイドさんの話は「太平洋戦争中に松並木の松ぼっくりを拾って米を炊いた」というような話で、朝から「今日は何て日だ!!」と叫びたくなった。
つづく

芦ノ湖遊覧船

2013年11月23日 | おでかけ
箱根関所】のつづき
昼食を済ませた我々は遊覧船で芦ノ湖を横断した。
箱根関所跡から湖尻ターミナルまでの所要時間は約40分。
"双胴遊覧船"というのは1961(昭和36)年に日本で初めてこの芦ノ湖で就航したとのことであるが、我々が乗船した"十国丸"という船がその"双胴遊覧船"で、(全長)28.80m、(全幅)11.60m、(総屯数)337.00トン、(速力)11.0ノット、定員700人という船のようだった。
展望デッキにはスタンド席があったのでしばらく座ってみたものの、さすがに寒くなって中の客室に引き上げた。
操舵室がガラス張りになっているので客室から丸見えなのが面白い。
(^_^)
つづく

箱根関所

2013年11月22日 | おでかけ
十国峠】のつづき
正午近くになって【国指定史跡・箱根関所】に辿り着いた。
(^_^;)
ここは、"箱根関跡保存整備事業"として1999(平成11)年から2年をかけて跡地一帯の発掘調査を行なったうえで構造物を復元し、2007(平成19)年から公開しているとのこと。
十国峠を越えた我々は、"京口御門"と呼ばれる門から関所の中へと入った。
というか、そちら側が出入口。
(^。^)
関所が機能していた江戸時代は全国に53箇所あまりの関所が設けられ、そのうち中山道の木曽福島(長野県)、碓氷(うすい/群馬県)、東海道の新居(静岡県)、箱根(神奈川県)の4箇所は規模も大きく、最も重要な関所であったらしい。
"箱根関所"が現在の場所に置かれたのは江戸時代初期の1619(元和5)年のことといわれているとのこと。
関所では江戸に入ってくる鉄砲と江戸から外に出て行く女性を厳しく取り締まったそうで、"入鉄炮出女"との言葉もあったようだが、箱根関所の場合は「入鉄炮」の検査は行われていなかったものの「出女」には特に厳しく、女性の身体的特徴を専門に検分する"人見女"という女性の役人が常駐していたとのことである。
我々は、役人を模した人形が置いてある"面番所"の前を通り、今度は"江戸口御門"を通り抜けて"箱根関所資料館"まで行ったのだが、そこで箱根関所のアイドルだという"おたま"というのが気になった。
どうやらこれは、1702(元禄15)年に(伊豆の実家が恋しくなって奉公に出ていた江戸のおじさん宅を抜け出したものの通行手形を持っていないことから山を抜けようとして)関所破りの罪で捕まり、獄門(さらし首)になってしまった実在の女性"おたま"をモデルにしているらしい。
江戸時代の死刑制度について調べてみると、武士に対しては切腹または斬首という刑があり、武士でない階級には(重い順に)鋸挽(のこぎりびき)、磔(はりつけ)、獄門(斬首刑・重)、火罪(かざい/火あぶり)、死罪(斬首刑・中)、下手人(斬首刑・軽)という6種類の刑があったらしく、おたまは「斬首後の首を刑場に3日2夜晒される」という3番目に重い方法で処刑されてしまった人。
女の子だったとはいえ、そのような悲しい最期を迎えてしまった人をアイドルキャラクターのモデルにしてしまう発想には少し違和感を覚えた。
つづく

十国峠

2013年11月21日 | おでかけ
木製走路】のつづき
予定に無かった"伊豆ベロドローム"(静岡県伊豆市)の見学に随分と時間を要してしまったからか、バスは近道をしようとしたのだろう。
生活道路のような随分と細い道にどんどんと入り込んでいった。
どこをどう通っていたのか我々乗客にはさっぱり分からなかったが、やがて"高さ制限2.5m"の鉄橋下を通り抜けることが出来ず、Uターンすることに・・・。
ところが、元々狭い道路の角に電柱やブロックの塀があるなどしてさらに狭くなり、簡単にUターン出来る場所ではなかった。
車体を塀にこするなど、運転手さんは随分と苦労したようだ。
(^_^;)
そうやって何とか辿り着いた"十石峠"。
ケーブルカーでさらに登れば素晴らしい景色が眺められるとのことだったが、この日も生憎の天候で、我々は3日間遂に一度も富士山の姿を拝むことなく静岡県を後にすることになったのだった。
つづく

木製走路

2013年11月21日 | おでかけ
世界標準仕様】のつづき
"伊豆ベロドローム"の走路は木製。
材質はシベリア松だそうだ。
我々の靴のかかと等で傷をつけては大変なことから、靴底が柔らかいことを確認されたうえでこの木製走路に立たせてもらった。
最大傾斜角度は45度とのこと。
横から見ただけも凄い角度だと感じた。
(^_^;)
つづく

世界標準仕様

2013年11月19日 | おでかけ
伊豆ベロドローム内部】のつづき
サイクルスポーツセンター(静岡県伊豆市)内にある"伊豆ベロドローム"は、地上3階・地下1階、高さ27mの施設。
国際自転車競技連合規格の周長250mは世界標準仕様である。
ちょうどこの時、"日本競輪学校"の生徒さん達が練習をしているようだったが、その中には将来のメダリストがいたかも知れない。
つづく

伊豆ベロドローム内部

2013年11月19日 | おでかけ
伊豆ベロドロームのロビー】のつづき
競技場のスタンドに入った。
これはみごとな施設だ。
観客席は常設1,800席、仮設1,200席とのこと。
選手達はわざわざ海外遠征を行わなくても、ここでオリンピックや世界選手権等の世界大会と同様の環境で練習が出来るというわけだ。
素晴らしい。
つづく

伊豆ベロドロームのロビー

2013年11月19日 | おでかけ
伊豆ベロドローム】の続き
"日本競輪学校"(静岡県伊豆市)にはアスファルト舗装の400m、333m、250mの練習用走路があり、それらは競輪選手養成施設としては充分なもののようだったが、現在のオリンピックや世界選手権での標準になっている"屋内型板張り250mトラック"が国内に無かったことから、3年の工期をかけて2011(平成23)年10月に完成させたのが、この"伊豆ベロドローム"。
何だか聞きなれない言葉だが、自転車競技場を"ベロドローム(Velodrome)"というらしい。
ちなみに日本の"国民体育大会"では自転車のトラックレース種目が実施されることから、原則として一都道府県につき1箇所以上は必ず自転車競技場が設置されているらしいのだが、それらは(ここを除いて)すべて400mと333mのトラックとのこと。
全国に47箇所も競技場が存在するのに国際標準適合の施設が(ここ以外)一つも無く、2020(平成32)年の東京オリンピックをめざして"有明ベロドローム(東京都江東区)を建設するだなんて、世界大会での競技力向上や好成績に結びつくことが無いだろう国民体育大会のその競技要項とともに随分と馬鹿げた話のようにも感じる。
(-_-;)
まぁそれはさておいて、この"伊豆ベロドローム"のロビーには、国際大会を意識させる東京オリンピック(1964年)ポスター等が飾られていた。
つづく

伊豆ベロドローム

2013年11月15日 | おでかけ
日本競輪学校の施設を見学】のつづき
"日本競輪学校"(静岡県伊豆市)の施設を見学させていただいた際、校舎敷地を出て、隣接地にある"サイクルスポーツセンター"へと向かった。
ここはサイクルスポーツ普及のための施設とのことで、サイクルコースター(ジェットコースター)、サイクルゴーランド(メリーゴーランド)、水上自転車といった遊園地のような遊戯施設や、サイクル温泉ゆ~サロン(天然温泉施設)、パターゴルフコース(全長363ヤード・18ホール)等といった施設があり、家族連れがほぼ一日中楽しむことが出来そうな場所のようだった。
"一般財団法人日本サイクルスポーツセンター"という団体が運営しているとのことである。
そして、その敷地内に日本初の屋内木製走路競技場である【伊豆ベロドローム】があった。
つづく

日本競輪学校の施設を見学

2013年11月15日 | おでかけ
天城山国有林の看板】のつづき
3日目の朝は午前9時頃に宿泊先を出発した
この日は、「修善寺温泉→亀石峠→伊豆スカイライン→十国峠→箱根関所→芦ノ湖遊覧船→箱根湯元」というコースのはずだったが、ご高齢バスガイドさんの昔話から始まって、予定が出だしから変更、なぜか"日本競輪学校"(静岡県伊豆市)に立ち寄ることとなった。
ここは競輪選手を養成するための研修施設らしかったが、我々一行の中に無類のギャンブル好きの御仁がいたこともあって、交渉の結果、この施設内を見させてもらうことになったのだった。
(^_^;)
調べてみると、この学校の設立は1950(昭和25)年とのことだったが、手狭になって1968(昭和43)年に東京都北多摩郡調布町(現調布市)から現在地に移転してきたらしく、練習用の走路や教室・体育館・屋内練習施設・寮・ロードコースなどがある校内敷地は広大だった。
"心臓破りの坂"と呼ばれているという最大斜度14度の急な坂を我々もバスで下ったが、運転手さんは幾分緊張していたようだった。
(^_^)
つづく

天城山国有林の看板

2013年11月15日 | おでかけ
浄蓮の滝】のつづき
"天城連山"は"万三郎岳(標高1,405m)をはじめとする山々で構成され、スギとヒノキが多く植林されているらしい。
この看板は観光資源というわけではないのだろうに、よく分からないシール等が沢山貼られていて汚らしく感じた。
つづく

浄蓮の滝

2013年11月15日 | おでかけ
天城越えの歌碑】のつづき
"浄蓮の滝"の落差は25m。
右側には柱状節理が見えた。
この滝を説明しようとする時、「ほら、石川さゆりの"天城越え"の歌詞に出てくる・・・」という説明でピンとくるので、古くからあるという"女郎蜘蛛伝説"はすっかりかすんでしまっている。
(^_^;)
また、この辺りの沢は随分と水が綺麗なようで、沢山のわさび田が作られているようだった。
つづく