仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

お茶漬けの味

2021年06月30日 | ムービー
『お茶漬けの味』(1952年/小津安二郎監督)を見た。
物語は、「海外展開もしている丸の内の会社に勤務しているエリート社員・佐竹茂吉(佐分利信)と妻・妙子(木暮実千代)は見合い結婚。ブルジョア階級出身の妙子は、長野出身の夫の質素さが野暮に見え、学生時代からの仲間、雨宮アヤ(淡島千景)、黒田高子(上原葉子)、姪の山内節子(津島恵子)らと遊び歩いては、夫を "鈍感さん" と呼び、笑っているのだった。節子の見合いの日。母親・千鶴(三宅邦子)と叔母・妙子が同席していた歌舞伎座での見合いの席から逃げ出した節子は茂吉の所へ行くが、一旦は歌舞伎座へと帰され・・・」という内容。
何とも気楽な妙子は、茂吉に節子の具合が悪いとか友達が病気だとか嘘をついて温泉に出掛け、高子の旦那が海外出張だと聞くと、「うちの旦那様もどこか遠い所へ行っちゃわないかな。私の見えない所に」とまで言うのだが、節子は叔母のそんな所が好きになれないようだ。
見合いの席を抜け出して叔父の茂吉の所を訪ねたのは、朴とつな茂吉に何となく惹かれていたからかもしれない。
茂吉は戦死した友人の弟・岡田登(鶴田浩二)に誘われては、競輪やパチンコに出掛けるのだが、"甘辛人生教室" と書いてある大きな赤提灯のパチンコ屋は、軍隊で部下だった平山定郎(笠智衆)の店で、「こんなものが流行っている間は、世の中はいかんです」と、平山がしみじみと語っていたのが印象的だった。
「ごきげんよう」と挨拶し、列車の一等席や高級煙草を好む妙子と、ご飯に味噌汁をかけて食べ、三等席や安い煙草あさひを好む茂吉。
「インティメート(親密)な、もっとプリミティブ(粗野)な、遠慮や気兼ねのない、気安い感じが好きなんだよ」と言う茂吉のおおらかさと寛容が理解できない妙子の身勝手さに、友人も姪もあきれ返ってしまった様子なのは、当然のようにも思えた。
ほぼ70年前の随分と違う時代の作品なのだが、なかなかに面白かった。

獄門島(その2)

2018年12月04日 | ムービー
11年ぶりに『獄門島』(1977年/市川崑監督)を見た。
物語は、「昭和21(1946)年。瀬戸内海に浮かぶ周囲二里ばかりの小島で、明治以前は流刑場だった獄門島に、探偵・金田一耕助(石坂浩二)がやって来た。帰国の途中、復員船の中でマラリアにより死亡した本鬼頭(本家)の長男・鬼頭千万太(武田洋和)の絶筆を千光寺・了然和尚(佐分利信)に届けるという依頼を友人・雨宮から受けたからだった。そしてもう一つ、自分が帰らないと殺されるという千万太の妹・月代(浅野ゆう子)、雪枝(中村七枝子)、花子(一ノ瀬康子)についてことの真相を確かめ、可能なら未然に防いでほしいということだった。しかし、本家に住んでいる分家の娘・早苗(大原麗子)に事実を伝えた夜、殺された花子の死体がノウゼンカツラの木に吊るされ・・・」という内容。
殺人事件の捜査に当たるのは、岡山県警の等々力警部(加藤武)、阪東刑事(辻萬長)と、駐在の清水巡査(上條恒彦)の三人なのだが、金田一を容疑者として留置する清水もそうだし、誰よりも等々力警部の早合点が酷い。
「よし!分かった!!」と言いながら、手をポンと叩くのだが、これがマッタク当てにならない。
(^_^;)
そればかりか、捜査を間違った方向に導いて時間ばかりを浪費してしまいそうな気がするし、何より冤罪を生み出す原因にもなりかねないのが、本筋とは違う妙な怖さがあるのだった。
これは、推理作家・横溝正史(1902年~1981年)による同題の探偵小説が原作で、"金田一耕助シリーズ"作品の一つとして、昭和22(1947)年から昭和23(1948)にかけ、雑誌に連載されていたという。
なかなかに難解な事件をいくつも解決する金田一だが、いつも殺人事件を未然に防ぐことが出来ないのが残念だ。

獄門島

2007年05月05日 | ムービー
『獄門島』(1977年/市川崑監督)を見た。
横溝正史原作の物語で描かれるのはドロドロした人間関係の中に発生する陰惨な事件ばかりだが、この物語もそうでありつつ少し悲しい物語。
使われているテーマ曲がオドロオドロシイものではないだけに、登場人物の哀れさが引き立つ。
そして、重要な点になっているのが、"故人の遺志"。
犬神家の一族』(1976年/市川崑監督)もそうだが、死んで尚この世に影響を及ぼすというのは恐ろしいことだ。
「季違いだがしかたがない」
この『獄門島』を初めて見たのは30年も前のことなので、犯人や事件の詳細は忘れていたのだが、了然和尚(佐分利信)のこの台詞はとても印象深く記憶に残っていた。
松尾芭蕉などの俳句に見立てた連続殺人が起こっていくというのがこの映画の筋書きなのだが、この台詞が解決のための最初のヒントだったからなのだろうか。
そして、今回初めて気がついたことが二つあって、一つは"しおどき"の言葉の意味。
「今が潮時」などと使われることから「ひきぎわ」とか「手を引く」といったような意味だとばかり思っていたが、「ものごとをするのにちょうどいい時」という意味だったことに気がついた。
40歳も過ぎて正しい日本語の意味を理解していなかったとは、まったくもって恥ずかしい限りである・・・。
もう一つは、通常の3倍のスピードで移動する"赤いあの人"がこの映画に出演していたことだ。
(^。^)

事件

2006年06月26日 | ムービー
『事件』(1978年/野村芳太郎監督)を見た。
殺人と死体遺棄の罪に問われた工員(19歳)の裁判を描いた物語で、被害者は犯人の義理の姉という事件だった。
今の時代はもっと凶悪な犯罪が連日のごとく起きていて、すでに現実社会は物語の殺人事件を凌駕していると思うのだが、原作が書かれた当時やこの映画が上映された当時は充分過ぎるほどに憂鬱な内容(人間模様)だったのかもしれない。
公判検事役は芦田伸介、弁護士役は丹波哲郎で、2人の名前が最初に紹介されることから一応彼等が主役ということになるのかもしれないが、他に存在感がある役者がこれでもかというくらいに出ていたので、2人の対立(対決)はかえって霞んで見えるほどだった。
これほど台詞が多い丹波哲郎も初めて見たが・・・。
(^_^;)
共演の渡瀬恒彦は、『仁義なき戦い』(1973年/深作欣二監督)の役柄同様に相変わらずチンピラ役がピッタリでこの上ない凶暴さを含んでいたし、大竹しのぶは、本当にしたたかな女の役が上手だと感じた。
また、佐分利信がキレ者の裁判長の役で出演していたが、公判検事と弁護士の互いの戦略に流されそうな状況を本筋に戻してくれる貴重な役柄で、「順調にいくといいがね」と、ぼそっと言った台詞や次々と明らかになる人間模様が『獄門島』(1977年/市川崑監督)の住職(了然和尚)役を思い起こさせたのだった。
この1970年代前半という時期は、なかなか良い日本映画が作られていた頃なのかもしれない。
これはおすすめできる日本映画だ。