仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

ギャラクシー街道

2017年05月21日 | ムービー
『ギャラクシー街道』(2015年/三谷幸喜監督)を見た。
物語は、「西暦2265年。太陽系第5惑星と第6惑星の間に位置するスペースコロニー"うず潮"と地球とを結ぶスペース幹線道路"ルート246666"は、通称"ギャラクシー街道"と呼ばれていた。かつては活気があったこの街道も、開通から150年が経過して老朽化が著しく、閉鎖の噂も流れていたのだった。街道沿いには何軒かのショップがあり、その一つ、ノア(香取慎吾)とノエ(綾瀬はるか)の夫婦が勤務する小さなハンバーガーショップ・"サンドサンドバーガー・コスモ店"は、バス停が近いとあって、今日も様々な宇宙人たちが立ち寄っていたのだが・・・」という内容。
店員は夫婦のほかにパートタイマーのハナ(大竹しのぶ)がいるが、ハナはどうも計算が苦手らしく、客とのトラブルが絶えないのだが、ノアとノエの2人は諦めているようだった。
後始末が妙に手際が良い。
(^。^)
店を訪れる客はまばらで、ドアを開けた時に聞こえる風の音が何とも物悲しく聞こえてくる。
店内は何だか寒々しい雰囲気なのだが、それは店員に活気がないからだろう。
店長のノアは、カエル型宇宙人ズズ(西川貴教)が身体中から垂らす水が気に入らないらしく、客席にブルーシートを敷かせるし、偶然訪れたかつての恋人レイ(優香)とその夫ババサヒブ(梶原善)らと、だらだら話しているだけ。
ブルーシートを敷いたノエが「気を悪くしないでくださいね」とズズに断りを入れるものの、気にしないわけがない。
と思って見ていたら、ズズは全然気にする様子もなくただ黙々とハンバーガーを食べていた。
何だかよく分からないくだりだ。
ハトヤ隊員(小栗旬)、マンモ隊員(秋元才加)、トチヤマ隊長(阿南健治)のエピソードは『ウルトラセンブン』のエピソードのパロディのようだったが、これはどれくらいの人がパロディだと分かったのだろうか。
(^_^;)
「オープニングのアニメーション映像で観客に抱かせたワクワク感は一体何だったの?」とも思ったが、これは久々に見たつまらない作品だった。
残念。

海街diary

2016年05月31日 | ムービー
『海街diary』(2015年/是枝裕和監督)を見た。
物語は、「15年前に父が家を飛び出し、母も再婚して家を去って以来、その鎌倉の家で祖母と暮らしていた香田幸(綾瀬はるか)、佳乃(長澤まさみ)、千佳(夏帆)の三姉妹。7年前に祖母が亡くなってからもそこで3人で生活をしていた。ある日、父の訃報を受け、葬儀のために訪れた山形の小さな温泉町で腹違いの妹・浅野すず(広瀬すず)に出会う。3人の父を奪ったすずの母はすでに他界し、頼りない義母を支えるすずの姿を見て、彼女の境遇を察した幸は、別れ際に"鎌倉で一緒に暮さない?"と声を掛ける。そうやって4人姉妹の新しい生活が始まったのだが・・・」という内容。
血のつながりがあるとはいえ、彼女達は初めて会った人同士。
発車する電車のドアがいつ閉まるか分からないという瀬戸際に突然思いもよらない同居を誘われ、躊躇せず「行きます!!」と答えるすず。
父が亡くなり、これからの義母や義弟達との生活に対する不安が迷わずそう答えさせたのだろう。
転機というのは、いつどこで訪れるのかまったく分からない。
人生というのはホント不思議なものである。
また、これはほぼ全編を通して、"生死"に関係するエピソードが展開していく物語だ。
そもそもの始まりが父親の死であるし、母・佐々木都(大竹しのぶ)は祖母の法事の場面で登場する。
馴染みの海猫食堂店主・二ノ宮さち子(風吹ジュン)などは、一番ヘビーな"生死"にまつわるエピソードを背負わされる登場人物で、自身のことや家族のことで苦しむ様子にはどうにも切なさを感じる。
さて、この作品は、第68回カンヌ国際映画祭に出品された際に『Our Little Sister』というタイトルでも紹介されていたようなのだが、英語のタイトルというのは、大体において、それ以上ないほどに分かりやすくつけられていることが多いように思える。
日本語タイトルとのギャップには笑ってしまうこともあるのだが、逆に、直線的かつ説明的なタイトルでは日本国内だと今一つウケが良くないということなのかもしれない。
やはり、日本では何か情緒的なタイトルをつけることが人気を得る秘訣ということなのだろう。

鉄道員(ぽっぽや)

2014年04月11日 | ムービー
『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年/降旗康男監督)を見た。
物語は、「美寄駅から分岐して敷設されているローカル線・幌舞線。その終着・幌舞駅で駅長として勤務している佐藤乙松(高倉健)は数ヵ月後に定年退職を控えており、これまで何よりも職務を優先させてきた彼は生後2ヶ月で死んでしまった一人娘や長年連れ添った妻(大竹しのぶ)の最期を看取ることができなかったことを悔いていた。また、すでに再就職先が内定している友人の杉浦仙次(小林稔侍)美寄駅長からこれからも一緒に働こうと誘われているものの、どうにもその気になれずにもいたのだった。そんな時、見慣れない女の子が乙松の前に現れ、"見たことがある人形だ"と不思議な思いをする。そして、JR北海道本社勤務の杉浦秀男(吉岡秀隆)からは幌舞線の廃線の予定が早まったことを告げられるのだが・・・」という内容。
"定年退職"、"ローカル線の廃線"といった身近にありがちな少し寂しい出来事が話の中心になってはいるのだが、"幌舞駅"という舞台も架空だし、物語全体としてもこれは紛れもなく"ファンタジー"である。
(^_^)
それならもっと楽しい物語にしてほしいところではあるのだが、寂れた町の廃止になる鉄道路線の定年退職する男達が、閉山する前の賑やかだった頃に死んでしまった人達のこと等を回想しているのだから、それは無理な話か。
(^_^;)
秀男からの廃線を予告する電話を切ったあと、投げ捨てるように帽子を机に置く乙松だったが、少しして帽子をきちんとかぶり直す。
何か『武士の家計簿』(2010年/森田芳光監督)と通じるような世界で、それは人生のすべてをその職業に捧げてきた男の性(さが)であり、それ故、退職後にリゾートホテルの仕事というまったくの別世界で生きていくことへの抵抗があったのだろう。
大竹しのぶの演技はやはり素晴らしい。
妙にうつむいて相手と目を合わせない、あの感じは見事だ。
たった2ヶ月で死んでしまった娘・雪子(広末涼子)の姿だと気がつき、彼女を何のためらいもなく"ゆっこ"と呼ぶ乙松。
彼のそういう思いがこの数日の不思議な体験を生んだのだろう。

ふくろう

2012年02月04日 | ムービー
『ふくろう』(2003年/新藤兼人監督)を見た。
物語は、「1980(昭和55)年頃。終戦後に満州から引き揚げて東北の山奥・希望ヶ丘開拓村に入植したものの、そこは作物がまったく育たない不毛の土地だった。村人達は土地を棄てて出て行き、最後に残ったユミエ(大竹しのぶ)の亭主も出稼ぎに出たきり行方知れずだ。食べられる木の根や皮も無くなり、飢えたユミエと娘のエミコ(伊藤歩)は家に残った僅かな布で服を作り、絵具で化粧をし、工事現場で働く男達を相手に・・・」という内容。
北方や南方から次々と引き揚げてくる人達に土地と仕事を与えるべく取った戦後開拓政策だったのだろうが、元々畑など作れない山奥の土地がほとんどだったのだろうから、そうそううまく行くはずもなく、多くの開拓農家が離散したはずだ。
「あんた達1軒のために、こんな山奥まで水道も電気も引かなくちゃならない」というような役所の人の台詞があったが、仕舞いには行政的にもお荷物になっていたのかもしれない。
物語自体はフィクションなのだろうが現実の社会で起きたことが背景に見えるだけに、台詞もなんだか重く聞こえた。
散りばめられているユーモアも物凄くブラックだ。
それにしても女は強く、そして男は情けない。
(^_^;)
これは一見の価値がある作品だ。

事件

2006年06月26日 | ムービー
『事件』(1978年/野村芳太郎監督)を見た。
殺人と死体遺棄の罪に問われた工員(19歳)の裁判を描いた物語で、被害者は犯人の義理の姉という事件だった。
今の時代はもっと凶悪な犯罪が連日のごとく起きていて、すでに現実社会は物語の殺人事件を凌駕していると思うのだが、原作が書かれた当時やこの映画が上映された当時は充分過ぎるほどに憂鬱な内容(人間模様)だったのかもしれない。
公判検事役は芦田伸介、弁護士役は丹波哲郎で、2人の名前が最初に紹介されることから一応彼等が主役ということになるのかもしれないが、他に存在感がある役者がこれでもかというくらいに出ていたので、2人の対立(対決)はかえって霞んで見えるほどだった。
これほど台詞が多い丹波哲郎も初めて見たが・・・。
(^_^;)
共演の渡瀬恒彦は、『仁義なき戦い』(1973年/深作欣二監督)の役柄同様に相変わらずチンピラ役がピッタリでこの上ない凶暴さを含んでいたし、大竹しのぶは、本当にしたたかな女の役が上手だと感じた。
また、佐分利信がキレ者の裁判長の役で出演していたが、公判検事と弁護士の互いの戦略に流されそうな状況を本筋に戻してくれる貴重な役柄で、「順調にいくといいがね」と、ぼそっと言った台詞や次々と明らかになる人間模様が『獄門島』(1977年/市川崑監督)の住職(了然和尚)役を思い起こさせたのだった。
この1970年代前半という時期は、なかなか良い日本映画が作られていた頃なのかもしれない。
これはおすすめできる日本映画だ。