認識と理解は同じ山の違う見方であった。
ところが量子力学となると、
量子力学を認識することと理解することが全く違うのだ。
あるいは理解することと認識することが全く違う。
大体粒と波が同じである。
どう理解するのか。
理解しようがない。
それではしょうがないので、
誰もが誤ったイメージで理解する。
慣れてくると、このイメージ理解も誤りであることがある。
*。
だが言葉にも同じような現象がある。
文間を読むとか文脈で読む。
速読術にはこのようなことがある。
遂には書いてないことを読む。
妄想と変わりがない。
*。
量子力学は量子力学である。
量子力学を認識することと理解することは別である。
分かったようなことをいうことは、分かっていないことの自白である。
*。
大体素粒子はあるのか。
あるとして理論を展開する。
ないものをあるとして、理論を作る。
そこに美しい理論が出来る。
*。
素粒子論はあるのかないのか。
唯一つ正しいことは、素粒子論は存在する。
*。
素粒子論があるとすることは無矛盾だ。
従ってそれは証明できない。
そんなものないからだ。
*。
これが科学の秘密だ。
よく考えるとないものを、あるとしてやると、いい結果が出る。
*。
だがこれが公害の正体だ。
ないものをあるとすることは、公害だ。
ないものはないとしなくてはならない。
だがそれでは何も出来ない。
*。
科学はないものをあるとして作られる。
結局、現実化すると公害となる。
やはりなかったのだ。
ないとせねばならない。
*。
これはヒステリシスだ。
科学には公害はないとするやり方と、あるとするやり方がある。
公害を出す方法と、出さない方法だ。
分からないことをやった場合と、やらない場合だ。
*。
エネルギー保存則が成り立つシステムは、対称である。
ここでは利益の対偶は、公害である。
これが成り立たないシステムが、負帰還システムである。
公害と反対成分の利益を重ね合わせる。
これが動的均衡である。
*。
公害と反公害のシステムを、重ねあわせ、いい音楽を鳴らす。
これが負帰還システムだ。
あるいは動的均衡のシステムだ。
*。
ここに生の文明が成立する!
ところが量子力学となると、
量子力学を認識することと理解することが全く違うのだ。
あるいは理解することと認識することが全く違う。
大体粒と波が同じである。
どう理解するのか。
理解しようがない。
それではしょうがないので、
誰もが誤ったイメージで理解する。
慣れてくると、このイメージ理解も誤りであることがある。
*。
だが言葉にも同じような現象がある。
文間を読むとか文脈で読む。
速読術にはこのようなことがある。
遂には書いてないことを読む。
妄想と変わりがない。
*。
量子力学は量子力学である。
量子力学を認識することと理解することは別である。
分かったようなことをいうことは、分かっていないことの自白である。
*。
大体素粒子はあるのか。
あるとして理論を展開する。
ないものをあるとして、理論を作る。
そこに美しい理論が出来る。
*。
素粒子論はあるのかないのか。
唯一つ正しいことは、素粒子論は存在する。
*。
素粒子論があるとすることは無矛盾だ。
従ってそれは証明できない。
そんなものないからだ。
*。
これが科学の秘密だ。
よく考えるとないものを、あるとしてやると、いい結果が出る。
*。
だがこれが公害の正体だ。
ないものをあるとすることは、公害だ。
ないものはないとしなくてはならない。
だがそれでは何も出来ない。
*。
科学はないものをあるとして作られる。
結局、現実化すると公害となる。
やはりなかったのだ。
ないとせねばならない。
*。
これはヒステリシスだ。
科学には公害はないとするやり方と、あるとするやり方がある。
公害を出す方法と、出さない方法だ。
分からないことをやった場合と、やらない場合だ。
*。
エネルギー保存則が成り立つシステムは、対称である。
ここでは利益の対偶は、公害である。
これが成り立たないシステムが、負帰還システムである。
公害と反対成分の利益を重ね合わせる。
これが動的均衡である。
*。
公害と反公害のシステムを、重ねあわせ、いい音楽を鳴らす。
これが負帰還システムだ。
あるいは動的均衡のシステムだ。
*。
ここに生の文明が成立する!