真善美は部分にして、全体は心である。
ギリシャ時代は、哲学が心であった。
真善美の全体が心だから。
日本人には想像も出来ない。
*。
古代ローマ千年の謎、
帝国を増幅器とし、市民が負帰還を掛け、
かくして国家という部品と市民という部品が、
社会の心を作った。
社会が心となったことは、
古代ローマ以外にない。
*。
心は愛であり、
民主主義議会によって、
善悪の悪は、反転され整流され平滑され、
即ち、負帰還され、
善の帝国が作られた。
*。
アメリカと日本は民主主義議会によって、悪の帝国を作る。
国家と国民に正帰還が掛かり、発振させたからだ。
金は作れるが、心はない。
これが悪の帝国だ。
**。
真善美は心を作る部品である。
即ち、部分である。
部分と全体を、敵味方関係にするには、
心や愛を排除すればいい。
すると真善美は、金権力に変質する。
これを真善美として使う。
それができる心無き真善美だ。
これが事実の世界であり、
即ち、金権力の世界である。
*。
事実はリアリティであり、
真実は、心の世界のメタ次元である。
両方揃って現世だ。
*。
アメリカと日本は、
事実だけの世界であり金権力の世界だ。
ここには心のない感動と幸福がある。
これは消耗品だから、
疲労が蓄積され、やがて壊れる。
*。
金権力の感動と幸福は、
金属板を折ったり戻したりすることだから、
やがて割れてしまう。
それをつなげる高等技術、
だが覆水盆に返らず、
心はバラバラにされ、
心を失った。
*。
骨をくわえた犬が、
川面に映る骨を見て、
これに噛み付き、
くわえていた骨を落とす。
これが事実論だ。
戦争紛争喧嘩の世界だ。
これを競争という事実論だ。
*。
真実にあるものは、
即ち、心あるものは、
川面の骨に噛み付かない。
事実論や競争は破壊であることを知っている。
ギリシャ時代は、哲学が心であった。
真善美の全体が心だから。
日本人には想像も出来ない。
*。
古代ローマ千年の謎、
帝国を増幅器とし、市民が負帰還を掛け、
かくして国家という部品と市民という部品が、
社会の心を作った。
社会が心となったことは、
古代ローマ以外にない。
*。
心は愛であり、
民主主義議会によって、
善悪の悪は、反転され整流され平滑され、
即ち、負帰還され、
善の帝国が作られた。
*。
アメリカと日本は民主主義議会によって、悪の帝国を作る。
国家と国民に正帰還が掛かり、発振させたからだ。
金は作れるが、心はない。
これが悪の帝国だ。
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真善美は心を作る部品である。
即ち、部分である。
部分と全体を、敵味方関係にするには、
心や愛を排除すればいい。
すると真善美は、金権力に変質する。
これを真善美として使う。
それができる心無き真善美だ。
これが事実の世界であり、
即ち、金権力の世界である。
*。
事実はリアリティであり、
真実は、心の世界のメタ次元である。
両方揃って現世だ。
*。
アメリカと日本は、
事実だけの世界であり金権力の世界だ。
ここには心のない感動と幸福がある。
これは消耗品だから、
疲労が蓄積され、やがて壊れる。
*。
金権力の感動と幸福は、
金属板を折ったり戻したりすることだから、
やがて割れてしまう。
それをつなげる高等技術、
だが覆水盆に返らず、
心はバラバラにされ、
心を失った。
*。
骨をくわえた犬が、
川面に映る骨を見て、
これに噛み付き、
くわえていた骨を落とす。
これが事実論だ。
戦争紛争喧嘩の世界だ。
これを競争という事実論だ。
*。
真実にあるものは、
即ち、心あるものは、
川面の骨に噛み付かない。
事実論や競争は破壊であることを知っている。