goo blog サービス終了のお知らせ 

nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

京都市バスの前乗り化

2019-03-24 | バス(路線・事業者)


京都市バスの混雑対応のため、観光系統を中心に前乗り中降り化を進める方針で、3月16日の改正からとりあえず、急行100系統(京都駅~清水道~銀閣寺道)とその補完系統の東山シャトルを前乗り化しました。
前から乗車すれば、中扉よりも後ろにも乗客が移動しやすいため、詰め込みが効き輸送力増強になるということのようです。



ドアの出入り口表示の部分には、サボを差し込んで出入り口表示を反転させています。

前乗り化によって、終点の京都駅では前ドアと中ドアの両方を開放して降車できるようになったので、降車時間が圧倒的に早くなりました。混雑緩和よりも、こちらの方の効果が大きいかもしれません。
停車停留所が限られ、案内が容易な急行100系統が前乗り化に選ばれましたが、これ以外にも急行102系統(北大路バスターミナル~金閣寺道~出町柳駅前~銀閣寺道~錦林車庫)、急行101系統(京都駅~二条城前~金閣寺道~北大路バスターミナル)など急行系統を順次前乗り化するようです。
これらの系統は洛バスとして区別されているので、わかりやすいのですが、一般系統まで前乗り化が進むのか注目です。
伏見区南部の整理券系統は京都駅よりも北には元から来ないですし、嵐山、岩倉地区が均一化された現在、洛西地区からのバスと8系統以外は、整理券車は市内中心部に入ってこないので、すべての均一系統を前乗り化することも可能だと思いますが、案内などを考慮するとすぐには難しいかもしれません。

撮影 3月16日

谷汲鉄道のバス事業

2018-12-17 | バス(路線・事業者)


ほとんど知られていない事ですが、名鉄谷汲線(2001年廃止)の前進の谷汲鉄道はバス事業を行っていました。1935年(昭和10年)に運営を開始して、1941年(昭和16年)には大垣自動車(現名阪近鉄バス)に、路線車両車庫等も譲渡してます。
この谷汲鉄道のバス事業の詳細については、詳しいことは良くわかっていません。1941年の時点で黒野駅~神戸~三ツ屋と大垣駅~赤坂~垂井駅という路線を運行していた事と、不破郡青墓村(現大垣市青墓)の車庫、車両4両を所有していました。
黒野駅~神戸~三ツ屋の路線のうち、黒野駅~神戸はもともと、谷汲鉄道が養老線広神戸駅から分岐して、大野町黒野を経て谷汲への路線を計画していた名残で、未成線部分にバスを走らせたわけです。揖斐川にかかる旧平野庄橋(通称神戸橋)は、1933年に開通していますので、黒野~神戸間の路線バス運行が可能になったと思われます。



この路線の大垣側の終点が三ツ屋で、現在も名阪近鉄バス大垣大野線の三ツ屋バス停がある大垣市三津屋町と思われます。大垣駅の北へ2.5~3km程度北で、かなり中途半端なところに終点があることになります。
三ツ屋神戸間は、養老線(当時は参宮急行電鉄経営)と並走するため、交通統合の時期に国から参宮急行電鉄が谷汲鉄道の自動車事業を買収するように指示があったのですが、当時参急は大軌との合併の事務手続きで手が回らず、すでに参急傘下にあった大垣自動車が大垣赤坂間の路線が、自社路線と並走していたこともあり、買収したようです。

この、三ツ屋の終点についてはかなり謎だったのですが、同時に買収した大垣駅~赤坂~垂井駅にヒントがありました。
自分は長年、谷汲鉄道の大垣駅~赤坂~垂井駅間の大垣駅~赤坂間ルートは、現在の名阪近鉄バスの路線と同じ国道417号経由だと思っていました。となると、谷汲鉄道のバス路線は、2路線が離れていて、これもかなり謎でした。
更に調査したところ1954年に大垣市三ツ屋から大垣市池尻に至る路線の廃止届が大垣自動車から出されています。このルートは三ツ屋からからは旧中山道、東赤坂駅を経由して、赤坂に至っていたのではないかと推定されます。
この路線、谷汲鉄道とは無関係だと思っていたのですが、以前は谷汲鉄道の大垣駅~赤坂~垂井駅間の路線の一部だったと推測すればかなり辻褄が合います。

整理すると、谷汲鉄道は大垣駅~三ツ屋~東赤坂駅~赤坂~青墓~垂井という路線(おそらく三ツ屋~垂井間は旧中山道経由のルート)と、大垣~三ツ屋~神戸~黒野という路線を走らせていて、車庫は不破郡青墓村にあったと言うことなのでしょう。T字形の路線ということになります。
それで、路線の認可としては、大垣~垂井と三ツ屋~黒野で受けていたのではないかと推定されます。

また、大垣赤坂間の国道経由のルートは、大垣自動車が1935年以前から運行しており、谷汲鉄道としては参入しづらかったと推定されます。



オレンジ色のラインが推定される谷汲鉄道のバス路線で、黒が現在の名阪近鉄バスの大垣赤坂間のルートになります。
ちなみに谷汲鉄道の大垣黒野間のルートは、現在の名阪近鉄バス大垣大野線(以前は黒野線)の自分の知る限りの最も古いルートです。大垣大野線は神戸町内及び大野町内では、道路の開通で、何度かルート変更が行われており、谷汲鉄道時代は若干現在のルートとは違い、広神戸駅前に乗り入れていた可能性もあります。

それで、肝心の谷汲鉄道がなぜ不破郡青墓村(現大垣市青墓)に、バスの車庫があったのかというと、おそらく小規模な独立系のバス事業を谷汲鉄道が買収して、既存の路線とつなぎ合わせて黒野大垣間のバス運行を行ったのではないかと推定されます。
もともと神戸黒野間は谷汲鉄道が鉄道の敷設免許を持っていたので、バス路線の認可は容易に取得できたと思われます。

ちなみに、谷汲鉄道由来のバス路線のうち、大垣大野間は現在もバスの運行が続いていますが、赤坂~垂井間は1970年代前半に廃止されれています。

参考文献 名古屋近鉄バス50年の歩み

比良線

2018-10-29 | バス(路線・事業者)

京都バス最長の路線として有名な比良線、出町柳朽木間を1時間以上かけて走破します。ただ比良線は整備された国道を走行するので、狭隘路線として有名な花背線のほうが所要時間はかかります。

終点の朽木学校前は滋賀県内で、京都バスの路線で唯一、滋賀県まで越境して運行されます。この路線、沿線の生活需要を全く考慮しておらず、ハイキングなどの行楽客むけのダイヤで、以前は通年運行でしたが、2011年以降は土曜休日運行・冬期運休となっています。
1990年代は葛川梅の木止まりで、後に朽木まで延長されていますので、当初から沿線の生活需要は見込んでいなかったようです。

ダイヤは出町柳駅前7:45発~朽木学校前9:02着、朽木学校前9:30発~出町柳駅前10:47着、出町柳駅前14:55発~朽木学校前16:14着、朽木学校前17:00発~出町柳駅前18:17着の2往復が運行されています。現状のままでは京都市内での滞在時間が4時間程度しか確保できません。
午後の出町柳駅前発がもう少し遅い時間であれば、滋賀県内の沿線からの京都市内への買い物需要等もついでに取り込めそうですが、折返しの出町柳駅前着が遅くなるので登山帰りの客との兼ね合いで、難しいのかもしれません。

なお、朽木へは湖西線安曇川から江若交通のバスが1時間に1本程度運転されていて、こちらが公共交通でのメインルートになっています。

撮影 2018年8月12日 出町柳駅前

名古屋駅バスターミナル使用開始

2017-04-16 | バス(路線・事業者)


4月1日からJRゲートタワー、JPタワーの一階に完成したバスターミナルに名古屋駅の市バスの路線の発着が集約されました。



JR管理の案内表示と、名古屋市交通局管理の案内表示が混在していて、わかりにくい状態になっています。
ただ、以前のバスターミナルが乗り場がレモンホームとグリーンホーム2つに分かれていて、行き来ができなかった頃より遥かに使いやすくなりました(セントラルタワーズの開業後は、レモンホームとグリーンホームの間の簡易的な通路が出来ましたが)。


またバスの待機スペースも従来のバスターミナルよりも確保しているようです。

ところで、JR東海バスは新幹線側からバスターミナルを戻さない方針で、今回観光バス用の1パースのみ確保しています。

名古屋駅の3つのバスターミナル、市バス、JR東海バス、名鉄のうち、市バスはこのように新しくなりました。
新幹線側のJR東海バスのターミナルは当分の間、あのままのようですが、名鉄バスセンターは名鉄百貨店やパッセ、旧メルサ、名鉄レジャックなどと合わせて建て替えの話が出ています。そのときは、バスターミナル建て替え中の市バスのように、バス停を名古屋駅近辺の分散させるのでしょうか。

撮影 2017年4月8日

まで

2017-01-17 | バス(路線・事業者)
京都市バス独特の言い回しに「まで」があります。これらはいずれもそのバス停までの運行を意味していますが、数パターンがあります。

1.循環系統

循環系統の場合、起点終点は一応ありますが、多くは通しで運転されるため、途中で入庫する場合、幕に「まで」と表示しています。
この206系統の場合、北大路バスターミナル内にある烏丸営業所に入庫するため、このように「北大路バスターミナルまで」と表示しています。
これ以外にも201系統「みぶまで」、202系統207系統208系統「九条車庫まで」、203系統「錦林車庫まで」、204系統「北大路バスターミナルまで」などがあります。北8系統も200番台の系統と同じ循環系統で、入庫の場合は「北大路バスターミナルまで」と表示しています。北8系統の場合、北大路バスターミナルをまたいで循環する便の方が少なく、大半が北大路バスターミナル入庫だそうです。


206系統は、北大路バスターミナル~北大路通~東山通~京都駅~大宮通・千本通~北大路通~北大路バスターミナルというルートですが、東側と西側で乗客数に差があるため、利用客の多い東側の北大路バスターミナル~北大路通~東山通~京都駅の区間便が多数運転されています。京都駅は入庫ではないのですが、こちらも「京都駅まで」と表示しています。


ちなみに2014年の更新前の206系統の区間便の幕は、206の部分の色が反転していました。

2.循環系統以外

循環系統以外の入庫や、途中で折り返す場合も「まで」が使われます。
この81系統の場合、京都駅~中書島~横大路車庫の系統ですが、一部は中書島(正確には京阪中書島・伏見港公園行き)で折り返します。このように「中書島まで」と表示しています。区間便の場合も、循環系統の入庫と同じように「まで」が使われます。
このパターンには、5系統の「修学院道まで」や3系統の「京都外大まで」、急行104系統「京都駅まで」などの例があります。


3.例外その1

区間便で「まで」が使われた例のうち、2001年から2005年まで設定があった5A系統京都駅~銀閣寺の区間便、通称「青5」も「銀閣寺まで」と表示していました。
しかし、5A系統は銀閣寺で入庫せず、そのまま17系統になり、京都駅まで戻っていました。入庫や区間便ではない、「まで」は5A系統が唯一と思われます。
5A系統設定以前は、循環系統などの途中入庫や区間便は方向幕が「入庫」だったのですが、5A系統は入庫ではないので「まで」が採用され、それが循環系統などにも波及したらしいのです。
反対側の17系統は5A系統との連結運転をしていた時期は、幕に「銀閣寺」とだけ表示し、「まで」は無かったのですが、2005年以降5A系統との連結運転が解消された後は「銀閣寺錦林車庫まで」と表示して運行してました。誤乗防止のため、錦林車庫前より先に行く便が無いにも関わらず「まで」が表示されたわけです。
また5A系統を受け継いだ、57系統(2007年廃止)も「南禅寺永観堂錦林車庫まで」と17系統と同じように、区間便でないにも関わらず「まで」がありました。
2014年の方向幕を新調したときに17系統は「銀閣寺錦林車庫」が行き先表示なり、「まで」が無くなりました。

4.例外その2

こちらは「まで」が使われなかった例です。
南5系統は従来京都駅~師団街道~竹田駅の系統でしたが、一部が入出庫のた横大路車庫まで延長されました。以前は特81系統の区間便扱い(実はこれも幕には「竹田駅まで」と表示していた)だったのですが、南5系統の延長に変更されました。
ただ、幕は「稲荷大社・竹田駅」と「稲荷大社・竹田駅・中書島」で、竹田駅行きには「まで」はありません。竹田駅行きと入庫のため横大路車庫行きがある急行105系統も同様のようです。
従来の路線を入出庫のため横大路車庫まで伸ばした関係で、「まで」が付かなかったようです。

5.205系統

若干事情が異なるのが205系統。205系統は九条車庫~京都駅~河原町通~北大路バスターミナル~西大路通~京都駅~九条車庫のラケット形の運行となっています。九条車庫発着で、他の200番台の系統と異なり、完全な循環系統ではありません。京都駅の手前で「九条車庫まで」という幕を表示しますが、当然途中入庫ではなく、205系統は九条車庫よりも先に行く事はありません。他の循環系統の入庫に合わせて「まで」が使われいるようです。



205系統は九条営業所以外のバスも臨時便や代走として運転されることがあります。入庫のため九条車庫まで行く必要ないので、京都駅が終点になりますが、当然ながら「京都駅まで」と表示しています。九条車庫行きは河原町三条を出ると「京都駅」と表示していますので、「京都駅」と「京都駅まで」という間違い探しのような状況の幕になります。
なお、京都駅で折り返す205系統の代走や臨時便は、206系統と同様に「北大路バスターミナルまで」となるものもあります。