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nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

小さな時刻表

2012-07-24 | 書評
自分は時刻表は、家でも出先でもB6サイズの全国版コンパス時刻表を愛用しています。携帯版にも関わらず、JRに関しては全駅掲載で、JRのみを利用するには便利です。B5サイズのJTB時刻表JR時刻表の両大型時刻表は、大きく持ち出すのに躊躇します。電車の中で大型時刻表を開いている人もたまに見ますが。

その交通新聞社の全国版コンパス時刻表は一説では、本家のJR時刻表に匹敵するぐらい売れているという説もあり、駅のキヨスクなどでは全国版コンパス時刻表が置かれているケースも多いようです。一方、JTBはJTB携帯時刻表が2011年4月に休刊となって以来、携帯サイズの時刻表を出していませんでした。



そんな中JTBが出してきたのが、JTB小さな時刻表。写真左の全国版コンパス時刻表よりも若干大きいですが、同じくB6サイズでコンパクトに収まっています。中身はというと、巻末の広告以外はB5サイズのJTB時刻表をそのまま縮小しています。





上が全国版コンパス時刻表、下がJTB小さな時刻表の中です。これだけ字の大きさが違い、さすがに見づらいのですが、鉄道ファンの年齢層を考えるとこれでも良いのかもしれません。そのまま縮小したので、新幹線と特急の乗り継ぎのページや、企画乗車券のページ、会社線のページ、編成表もそのまま掲載されています。
このJTB小さな時刻表、B5サイズのJTB時刻表の増刊扱いとなっています。どうやら完全に青春18きっぷユーザー目当てで、2012年3月にJTB時刻表4月号の臨時増刊で初めて発売され、7月には8月号臨時増刊の夏号、11月には冬号が発売予定だそうです。

日本の仏教の宗派

2012-06-09 | 書評
浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)島田裕巳著を今回は取り上げます。
本の内容としては、主題の「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」よりも、副題の「仏教宗派の謎」の方が適正で、奈良仏教から現在に至る日本の仏教諸派を解説しています。

奈良仏教から始まり、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗を順番に解説しています。
奈良仏教のうち、興福寺は多数の荘園を持ち、大和一国を支配するほどの力を持っていました。武士の世の中の室町時代に入っても大和国の守護を務めるほど、興福寺は力があったそうです。しかし、安土桃山時代に信長秀吉によってその力をそがれ、江戸幕府によって興福寺の大和国の支配は完全に終了します。
明治以降、神仏習合の習慣が顕著だった、奈良仏教の諸寺院は興福寺を含めて、廃仏毀釈の影響で衰退しました。特に興福寺は塀が取り除かれ、境内は奈良公園と一体になっています。薬師寺なども似たような状態で、和辻哲郎の古寺巡礼に記されているように、荒れ果てていたそうです。
この状況を救ったのが、戦後の経済成長で、奈良仏教の各寺院は観光寺院として生き延びる努力を重ね、薬師寺の西塔と金堂再建に象徴されるように、復興しました。


ところで、この本の中で、天台宗以降の各宗派で読まれるお経の違いについて触れていました。以下それを表にまとめてみました。



自分も驚いたのですが、浄土系の宗派とそれ以外では、まったく読まれるお経が異なります。また天台宗、真言宗、臨済宗、曹洞宗では読まれるお経はかなり共通しています。日蓮宗は法華宗とも言われるように、法華経(と法華経の普門品が独立した観音経)のみが読まれています。

これ以外には、真言宗だけで読まれる「理趣経」の「百字の偈」、曹洞宗の宗祖道元が記した「修証義」、同じく南北朝時代の曹洞宗の大智の「大智禅師発願文」、浄土宗の法然が記した「一枚起請文」、浄土真宗の親鸞が記した「正信偈」や、同じく浄土真宗の蓮如の「御文」、臨済宗の白隠の「白隠禅師座禅和讃」があります。


さて、浄土真宗がなぜ日本で一番多いのか、それは庶民の信仰という点が徹底しているからだと、同氏は述べています。この点は日蓮宗も近く、両宗派では念仏や題目という具体的な救済の手段が備わっているからだと述べています。
この2つの宗派に特徴的なのは、葬儀の方法が他の宗派と異なり、剃髪授戒の部分が無い事が挙げられます。曹洞宗に始まる葬儀の中で、死者を出家させて僧侶に見立てるという習慣があり、他の宗派にも広まりましたが、在家仏教の性格が強い両宗派では行われません。
浄土真宗の場合、僧侶も出家したわけではなく、俗人として結婚するという点があり、特徴的で本願寺は東西とも代々世襲されています。


奈良仏教と各宗派で読まれる経典、浄土真宗のみ抜粋して紹介しましたが、それ以外の各宗派についても詳しく書かれています。
地味な仏教の本にもかかわらず、結構売れていて重版されているそうです。

鉄道忌避伝説の謎

2012-05-01 | 書評
宿場町が町が廃れるとして、鉄道が通る事に反対した鉄道忌避というと、有名なところでは岡崎と府中あたりではないかと思います。
実際に、岡崎は東海道本線の駅が中心市街からかなり外れたところにありますし、府中は中央本線のルートからは外れました。
この鉄道忌避がいかに根拠の無いことかを扱った本がこの「鉄道忌避伝説の謎 汽車が来た町、来なかった町」青木栄一著吉川弘文館刊です。


まず先んじて書くと、筆者曰く鉄道を誘致した記録は数多く残っていますが、鉄道を宿場町が忌避したと確認できる記録は、全くと言っていいほど存在しないそうです。また、不自然とも思えるほど、市街地から駅の位置が離れているケースでも、その多くは地形上の制約があるそうです。

鉄道の路線の場合、長い一本の線のため、どこか一ヶ所の地区で反対運動にあったとしても、そこだけルートを変えると前後の区間に影響を及ぼすため、なかなかルートの変更は出来ません。東海道新幹線が新幹線が浜松を過ぎるとやたら左右にカーブしたり、大船渡線のような例もありますが、一度決めたルートでそこから大きく変えないのが鉄道の建設です。
また、明治時代の蒸気機関車の出力は今日の電車はもとより、昭和に入って設計されたのD51やC57などの蒸気機関車よりも低く、トンネルの掘削技術も進んでいなかったため、特に沿岸や山間部に鉄道を敷設する場合、ルートに大いなる制約がありました。
伊賀上野や上野原が代表的なのですが、盆地の台地の上に市街地があり、鉄道はそれより低い川沿いに引かれています。わざわざ台地を上がらず、そのまま直線で川沿いを進むのが合理的なルートとされています。
この辺りは歴史家、その中でも地方史家に建設工学的見地が欠如していたと筆者は指摘しています。

岡崎の場合、豊橋から岡崎のルートと、岡崎の駅の位置の2つのポイントがあります。豊橋から岡崎の旧東海道ルート(現在の名鉄名本線のルート)は連続勾配が16~17パーミルときつく、それに対して蒲郡まわりのルートは勾配らしい勾配はありません。そのため蒲郡まわりが採用されたと言われています。しかし岡崎に鉄道が近づこうとした形跡はあり、幸田から現在の新幹線のルートで苅谷安城方面へ向かった方が近道にもかかわらず、岡崎に迂回する形になっています。しかし岡崎駅は市街地からかなり離れた位置に設けられています。これは、岡崎市街南側を流れる乙川が矢作川に合流する下流で橋を架けるためで、これより北へ駅を設けると、乙川に橋を単独で架ける必要が出てくるためと筆者は推理しています。
これは、歩くことになれていない現在の人間の視点から見ると、市街地から数キロ離れている事で、鉄道を忌避したと考えてしまうと指摘しています。

また当時も現在も同じなのですが、市街地に鉄道を新規で地上に引くというのは困難を伴います。さらに県庁所在地もしくはそれに匹敵する都市にふさわしい駅の構内はそれなりの広さが必要です。そのため、駅は市街地の外れに設置される例がほとんどとで、名古屋や大阪でも、駅のあるあたりは、明治期まではかなりの町はずれでした。
東京でも市街地に無理に線路を通したのは、上野から東京までと、御茶ノ水から両国までの総武線ぐらいで、あとはすべて当時の市街地の外れに線路を弾いています。

このように鉄道忌避伝説のほとんどすべては、虚構にすぎないと言うことを指摘したかなり読み応えのある本です。

ビブリア古書堂の事件手帖

2012-03-14 | 書評


本屋大賞受賞ということで、少し前から注目していた、ビブリア古書堂の事件手帖。1冊目を買って読んでみたら、面白くてすぐに2冊目を買いに本屋に行きました。

就職浪人中の主人公が、北鎌倉駅のそばの古書店に就職し、美人だが古書の事以外は世間知らずの店主と、古書にまつわる謎を解いていくというのが基本スタイルになります。いずれも短編が3本程度収録されています。
1巻は店主が怪我で入院していて、病室から古書にまつわるトラブルを解決する、安楽椅子探偵のスタイルを取っています。最後の1話で、怪我で入院している理由と、その原因との対決が見られます。
2巻は退院してきた、店主と主人公の2名がコンビを組んで、様々な謎を解決していきます。
作者もあとがきで述べていますが、この本に出てくる古書はすべて実在します。それもこの作品の一つの見所ではないかと思います。

宗教がわかれば世界が見える

2012-02-29 | 書評
またもや池上先生の本ですが、今回は宗教について取り上げた本です。

本の内容ですが、1章から8章まであり、1章を除いて各宗教の専門家と対談をしています。

宗教学者の島田裕巳氏、浄土真宗本願寺派住職の釈徹宗氏、臨済宗住職の高橋卓志氏、宮城学院女子大学名誉教授の山形孝夫氏、國學院大学前学長の安蘇谷正彦氏、東京外国語大学教授の飯塚正人氏、養老孟司氏の7人との対談が収録されています。

島田氏とは葬式は居るのか要らないのか、近年の日本の信仰形態、パワースポット的なものの流行について対談しています。面白かったのが創価学会について触れた所で、近年はなかなか外に向かって伸びていかない、親から引き継がれる完全に家の宗教になっている、支部で行われる新入会員の紹介がほとんど子供で、キリスト教の幼児洗礼状態に成っているという話でした。

釈徹宗氏とは仏教の世界観、高橋卓志氏とは仏教の現状などを対談しています。山形孝夫氏とはキリスト教について、安蘇谷正彦氏とは神道、飯塚正人氏とはイスラム教、養老孟司氏とは生死観について対談しています。

いろいろ面白い話が有ったのですが、かいつまんで紹介しておくと、神道の経典、仏教で言うところのお経、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランに相当するものは、古事記や日本書紀、万葉集や風土記などの奈良時代以前の歴史書がそれに相当するそうです。
そもそもこのあたりの書物は、江戸時代に国学が盛んになった頃、本居宣長が研究して、その解釈を明らかにした古事記のように、一部の知識階級を除いてほとんど読まれてない書物だったそうです。

ところで著書の中で池上先生が強調して書いているのが、日本人には独自の宗教観があり、決して宗教に対して無頓着無関心ではないということです。超自然的なものに対する畏れを持っていると述べています。