白洲正子文学逍遥記
「十一面観音巡礼」編
登美の小河-011
本日は久しぶりに雨なしの天気が続いております。「梅雨の中休み」でしょうか。北風が吹くと途端にひんやりとした状態になり、ホット一息付きたくなる感じ。奄美群島の梅雨明けは6月下旬。まだまだ入り口辺りの状態です。
緑青を帯びた銅の灯篭。中央に力が集中するような感じを与えます。屋根の稜線の撓みの美しい曲線。長い時間が生み出した芸術作品です。この灯篭は徳川綱吉の生母・桂昌院寄進の葵の御紋つきの物。
法隆寺・大講堂
法隆寺にまつわる観音像 -003
観音菩薩立像
東院絵殿
夢違観音 ・ 銅像鍍金 ・ 87cm
飛鳥時代後期(7~8世紀)の作とされている有名なブロンズ像である。一般的には<夢違観音>(ゆめちがい・ゆめたがい>と呼称されてきた。蓮華座は元禄7年(1694)に、江戸の太子講の人達が、この像のために造った。
この像の両腕の下から伸びる天衣が欠けている。これがあったならば一層華やかで魅力的であったろう。
観音菩薩立像 ・ 61.5cm ・ 飛鳥時代
この観音像は一時期法隆寺・金堂・阿弥陀三尊像の右脇侍・勢至菩薩の位置に安置されていた。 ということは当初からの阿弥陀三尊の脇侍でないことを意味する。明治時代の廃仏毀釈があった混乱期に、阿弥陀三尊の脇侍・勢至菩薩が盗難にあった。(盗難か経済的な事情で売りに出されたかは不明)以後、身代わり仏として安置されていた。
現在の阿弥陀三尊像
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本来の勢至菩薩立像
しかしながら残念なことに、現在安置されている<勢至菩薩像>はCOPYである。そして、本来的な勢至菩薩像は日本にはなく、フランス・パリ・ギメ美術館にある。
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ギメ美術館の勢至菩薩 の謎!
法隆寺金堂西の間・阿弥陀三尊脇侍・勢至菩薩が、平成元年(1989)に偶然フランス・パリ・ギメ美術館で発見された。この美術館は1945年に同じパリ・ルーブル博物館・東洋部のコレクション全体をここに移し、アジア以外最大の東洋美術コレクションを蔵している。「ギメ」はフランスの実業家で古美術商であった。ギメは明治9年に来日し、大量の日本の美術品を購入している。この勢至菩薩はこの時に、彼が手に入れたものと考えられている。
この勢至菩薩が法隆寺金堂から失われたのは天保7年~明治21年の間とされている。盗難などで流失されたものが古美術商の手に渡り、周り回ってギメの手に入ったと思われる。この期間は日本美術の可也の名品が、諸外国(欧米)に流失している。この勢至菩薩の流失事由は未だわからない。
ギメ美術館
勢至菩薩
阿弥陀三尊
勢至菩薩 観音菩薩
数奇な運命を辿られている勢至菩薩。現在はパリ・ギメ美術館に保存されている。1989年に西武美術館で開催されることになっていた、美術展の出品作業の中で、中国製の観音とされていたブロンズ像が、研究者によって日本の仏像と判断され、後日、日本の仏像研究者 故・久野 健氏の調査で、この仏像が法隆寺金堂の勢至菩薩であることが判明した。現在祀られている勢至菩薩は、一時、里帰りを果たした際にCOPYが製作され、以後は現在の位置に祀られている。
現在の阿弥陀三尊・右脇侍・観音菩薩
勢至菩薩と観音菩薩
勢至菩薩は梵名Maha-sthamaprapta・マハー ストハーマプラプタと呼称し、大勢至と訳される。極楽浄土の補処の菩薩として、阿弥陀如来の脇侍として祀られる。形容は観音菩薩とほとんど同じであるが、宝冠の部分の造型が異なっている。
宝冠の中央が水瓶である。観音菩薩は化佛を備える。
観音菩薩は本尊に対して向かって右、勢至菩薩は左である。
次回も引き続き、法隆寺の観音像の名品をご紹介したい。
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